初めての友人

「結果としてガルマインとの会談は大失敗だった。感情の見えない相手に怯え、まともに顔すら上げることができなかった。共に赴いた外交官には……、かなり迷惑をかけたものだ」


 飛鳥はディノランテの身に起こった過去の出来事を黙って聞いていた。そして理解した。なぜ、ディノランテが飛鳥の気持ちを分かったのかを。いや、普段、相手の感情が見えている分、見えなくなった時の恐怖はディノランテの方が格段に上だろう。


「まぁ結局のところ、何が言いたいかと言うとだな……」


 と遠い空を眺めていたディノランテが俯いている飛鳥に目を向ける。


「……お前はまだ間に合うということだ」

「……はい?」


 何の脈絡もなく唐突に放たれた言葉に飛鳥は呆けてしまい、その様子もまたディノランテに筒抜けであった。


「私はもう、人の顔色を読み取ることはできん。左眼を閉じればいつでも感情は見えなくはなるが、今更この眼なしに暮らすことは不可能だ」


 ディノランテはさらに続ける。


「だが、お前は私と違い、人から逃げているだけではないのか?」


 その言葉に飛鳥は確信を突かれたような思いになる。昔を思い出すと頭が痛くなる。思い出したくもない忌々しい記憶。人を恐れ、人との関係を諦め、人から逃げ、だが完全に縁を切ることのできない、あの記憶。


 分かっていた。いつかはそれに向き合わなければならないことを。だが、今の飛鳥にその勇気はまだなかった。


 しかし、それならばディノランテはどうなのだろうか。そんな疑問が飛鳥の頭の中に浮かんだ。


「殿下は……、殿下は俺と違うのですか? 確かに俺は人との関わりから疎まれることのない程度に距離をとって生きてきました。それを『逃げ』と言われても仕方ないでしょう」


 先程、感情が爆発し仮面を剥がされた飛鳥はディノランテと顔を合わせることができなかったが、ここでようやく彼の顔を見た。


「でも、殿下が左眼を今でも使い続けるのは『逃げ』とは言わないのですか?」


 ただ純粋な疑問。人を恐れ、人から逃げた飛鳥を『逃げ』と言うのなら、感情が読めないことを恐れ、それを克服することを諦めたディノランテは『逃げ』とは言わないのだろうか。


「そう言われると正直、上手く返す言葉が思いつかないが、そうだな……、例えば魔法具だ。世の中には生活に溶け込んでおる魔法具が沢山ある。だが、それを手放すことなぞ今更できんだろう? 私のこの眼はそれと一緒なのだ」


 この世界の生活のことはあまり詳しくはないが、飛鳥は何となくディノランテの言っていることを理解した。現代の日本でも同じことが言えるだろう。文明が発展し、昔に比べればとても暮らしやすい世の中になった。火を起こすならライターがある。水を飲みたければ蛇口を捻るだけ。遠くの人と会話もでき、車や電車などで遠出も可能だ。分からないことがあればすぐにスマホで調べればいい。他にも様々な技術で今の地球が成り立っていると言っても過言ではないだろう。


 たが、その文明の利器が全て無くなってしまったら……。考えるだけでもおぞましい。


 ディノランテの左眼はその領域まで達した。あることが当たり前で生きていく中でなくてはならないもの。今更、それを捨てることは出来ない。


 だが、そういった文明の発展により日常に溶け込んだ道具は少なからず人から何かを奪う。車に乗ることにより脚力が衰え、冷暖房を完備することで暑さや寒さへの耐性が下がったことがそれである。


 そして、同じように彼の左眼は彼から人の顔色を読むというコミュニケーションにおいて最も大切なものを奪ったのだ。


「別に今すぐでなくても良いと思うぞ」


 身体を洗い終えたディノランテが湖から上がりタオルを手に取る。


「私とは違い、お前は普通の眼を持っている。ゆっくりで良い。お前にはまだ人と向き合うチャンスがあるんだ。まぁ、お前はすでにその発端を掴んでいると思うがな」


 髪の水分を拭き取りながら「にしし」と笑いながら悪い顔をするディノランテに飛鳥は首を傾げる。


「何ですか、それは……」

「それを己自身で見つけるのだよ」


 そう言いディノランテは満面の笑みで笑う。


 飛鳥は今度こそ、その顔に裏がないのだと確信する。どこにもそんな根拠はない。ただ何となく、そんな気がしただけ。だが、そう思うだけで何だか心が軽くなった気がした。


 そして、ようやく飛鳥の感情が落ち着いたのを見たディノランテは安堵する。


「ったく、私は本来、こんなことを言うためにお前の元に来たわけではないのだぞ……」

「え、じゃあ何で来たんです?」


 その言葉に飛鳥の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。


「気にしていたぞ。あのシェリアという少女が……」

「シェリアが、ですか?」

「あぁ」


 まさかここでシェリアの名前が出てくるとは思わず、つい何事かと頭の中をフル回転させる。


「私の雇った盗賊をお前一人で片付けた、とな……」

「あぁなるほど……」


 ディノランテの言葉を聞き、シェリアが何を思っているのかを理解する。


 確かに飛鳥はシェリアに人を殺めさせることが無いように一瞬のうちに盗賊を殺した。そのことでシェリアに一人で抱え込んでいると思われてしまっても決しておかしなことではない。


 人を殺したのは初めての経験であったが不思議なことに飛鳥はそれをあまり気にしてはいなかった。


 そんな飛鳥を見てディノランテは「はぁ」と一度息を吐いた。


「昔ほどではないにしろ、悪人はこの世に多く存在している。人を殺さずに日々を過ごすのは大変だぞ?」

「別にそこまで頑なじゃないですよ。それが必要なら仕方ないと思いますし。でも、今回は俺だけでけりがつくと思ったんだすよ」


 飛鳥はシェリア達がいるであろう方向に目を向ける。


「でも、できることなら人殺しなんてことしてほしくないと思ってますよ。あいつ、めっちゃ純粋なんで……」


 何の気なしにいつもと変わらぬ様子で話す飛鳥にディノランテは少し違和感を感じた。左眼を通し、飛鳥のその言葉に何か別の意味合いが込められていることに……。だが、今それを追及するのは無粋だと思いその疑問を飲み込んだ。


「それにしても、いい女じゃないか。もちろん、黒髪のヘレナもな。ん? まさかどちらもお前の女か? 中々やるではないか!」


 わはは、と茶化すようにディノランテが笑う。


「ち、違いますよ! どっちも!」

「ん? 二人とも違うのか?」

「え、そりゃそうでしょ」

「あんなに仲良く寄り添って昼寝をしていたのにか?」


 話しながら湖を上がろうとしていた飛鳥はディノランテに虚をつかれ、岸を踏み外し身体を捻らせながら水面に顔を強打する。だが、今、飛鳥の内にあるものは痛みよりも恥ずかしさだった。


「見てたんですか……」

「見てたというか、目に入るだろ。あそこまで堂々としていたら。むしろ見せつけているのかと思ったぞ」


 水に浸かっているはずなのに顔が熱くなり飛鳥は手で顔を覆う。確かにシェリアと一緒に仮眠をとっていたことに間違いはないのだが、あれはシェリアが寝ている飛鳥の腕を枕代わりにしていただけで、そこに飛鳥の意思は存在しなかった。飛鳥はあの状況を全てシェリアに押し付けることもできるのだが、流石にそれは男としてどうなのかと思い結局、仲良く添い寝していたことを認めるのであった。


「だが、あそこまで距離が近くてそういう関係ではないとはなぁ」

「別にいいでしょ。ほっといてくださいよ」

「そうだ、決めたぞ!」


 少しの間、頭を悩ませていたディノランテは手をポンと叩き声を大にする。


 飛鳥は嫌な予感しかせず、顔をしかめる。そこにはもはや、場を取り繕う仮面を付けた飛鳥の姿はない。


「私がお前たちの仲を取り持ってやろう!」

「いやいや、いいですって!」


 クラスに一人はいるであろうお節介焼きな人物。だが、ディノランテがそうなってしまうのも無理はないだろう。飛鳥たちに自身の年齢を伝えてはいなかったがディノランテの年は飛鳥の一つ上だ。今までそういう話をする近しい人はおろか、友人と呼べるような人物さえいなかったのだ。ディノランテがお節介焼きになってしまうのも、そう考えればごく自然なことだった。


 だが、飛鳥はシェリアと一緒になることはできない。それはいつも考えていることだ。


「遠慮するな。我が友の恋路、是非とも私が叶えてやろう!」

「え、いつ友達になったんですか……」

「そんなもの、今に決まってるだろう!」


 この男、少しやばい。


 それが今、飛鳥がディノランテに思ったことである。馴れ馴れしく肩を組み近づく彼の顔を手で突き放す。


「本当に大丈夫ですよ。それに、俺とシェリアは……、住む世界が違いますから……」


 シェリアが聖術気マグリアがない地球で暮らすことも、地球の物がないこの世界で飛鳥が過ごすこともできない。


 それはディノランテの左眼と一緒なのだ。今更手放すことが不可能なもの。なくてはならないもの。


 だから飛鳥はシェリアと一緒になることできない。


 落ち着き、自分にも言い聞かせるように話す飛鳥を見て、ディノランテはようやく冷静になる。そして、後頭部を人差し指でぽりぽりと掻きながら飛鳥に言う。


「そうか……。それならしょうがないな。まぁ、何かあったら話せ。私はお前の友人だからな」


 口角を上げニッと笑うディノランテに飛鳥もつい気が緩む。


 今まで生きてきて、傍から人は何人かいた。だが、そんな人物に限って飛鳥はその者たちを一番嫌っていた。最も心を開くことができなかった。近かったからこそ、飛鳥は心を閉ざした。


 だが、日本とは全く違う世界で、初めて友と呼べるような人と出会った。安直なのかもしれない。ただ、自分の不安をぶつけ、また相手の心の内を聞いた。それもまた飛鳥にとって初めての経験だったのだ。

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