謎の建造物

 翌朝、飛鳥は朝食を食べていた時に眠気から完全に目覚めたディノランテに瞳の色が黒から青に変わっていることを指摘される。昨夜、寝る直前にカラーコンタクトを外し、そのままになっていたことを忘れていた飛鳥。


 案の定、ディノランテやミーシャには黒い髪、青い瞳から賢者なのかと問われたが「違う」と一言だけ答えると「そうか」とすんなりと引き下がった。どうやらディノランテの部下にも黒髪青眼の人物がいたらしく、その特徴だけで賢者だと断定するのは軽率だと理解していたからだ。


 そして、早々に朝食を済ませると手際よく後片付けをし天空国家ニヴィーリアに向け馬車を走らせる。


 途中、雨に降られ馬車がぬかるみに足を取られはしたものの、それ以外はごく平和に旅を続けることができていた。


 道中、飛鳥はシェリアとヘレナに、ディノランテはミーシャに互いのことを話したことを伝え、五人は心から打ち解ける。


 そして、ディノランテたちと出会ってから五日目の朝、太陽があと三時間ほどで頂点に達しようとしていた時のこと。


「アスカ、あれ!」


 荷台で舟を漕いでいた飛鳥の肩をシェリアがペシペシと叩き眼が覚める。


 そして、その声に馬を操っていたミーシャ以外の二人も反応する。


「ん……、んぁ。……何だ、どうした?」


 目尻に水滴を浮かべながら目を擦る。馬車の側面に取り付けられた窓から顔を出すシェリアの後ろに立ち、同じように前方を窺った。すると、未だ眠気に逆らえなかった瞼が大きく開く。


 王家だけが使う道を抜けてからはずっと代わり映えのない雑木林の中を進んでいたためその変わらぬ景色に飽き飽きしていたところだった。だが、それも終わる。


「ようやくですね」


 飛鳥とシェリアのいる窓とは反対側の窓からヘレナが顔を出し言った。


「あれが天空国家ニヴィーリアに続く大平原。『パンラ平原』です」


 パンラ平原。それはシリュカール、ガルマインとニヴィーリアの間に位置する大平原の名だ。


 いや、間に位置するとは少し違うかもしれない。なぜなら天空国家ニヴィーリアはまるで海の上に浮かぶ島国のようにパンラ平原の中心に存在しているからだ。


 つまり、パンラ平原は天空国家ニヴィーリアの周りをぐるりと一周した全てを示すことになる。


 雑木林を抜け一面に広がる緑の絨毯を前にシェリアは自分の衝動を抑えられず、馬車から飛び降りた。そして、道の脇で背中から倒れ込む。


 柔らかく、かつ弾力のある草はまるで天然のベッドのようで目を閉じればすぐにでも夢の世界に旅立つことになるだろう。


「おいシェリア。そんなゆっくりしてる時間はないぞ」


 飛鳥は脱力しきったシェリアに言うが、飛鳥本人もその絨毯の上で横になり優しく降り注ぐ太陽の下、のんびりと昼寝をしたい衝動に駆られていた。


 シェリアは飛鳥の叱責に文句を垂れるが、本来の目的である『賢者の神杖しんじょう』のことを思い出し身体を起こすと、今度は馬車の荷台の上に登りで横になる。


 シェリアのだれけ切った態度に飛鳥は流石に溜息を吐きながら眉間に指を添え、その様子をディノランテが頬杖をつきケラケラと笑う。


 こんな平和がいつまでも続けばいい。誰もがそう願う。だが、それは夢幻ゆめまぼろしに過ぎない。なぜなら、その平穏こそ嵐の前の静けさそのものなのだから。




 —————




 天空国家ニヴィーリアは山々が永遠と続く山脈に囲まれた国だ。だだっ広い平原を越えるのも大変であることには違いないのだが、ニヴィーリアの入国が最も大変なのは国内に通じる道を見つけることだ。無数にある山道の中から毎日、ランダムに決まる三つの道。その山脈越えこそ、ニヴィーリアへの最大の難所と言える。


 飛鳥達がパンラ平原に入り二日ほど馬車を走らせた頃、その山脈の山頂がようやく姿を現した。予定では一日と少しでその山頂が見えてくるはずだったのだが、滅多に使われない道のためか進むにつれ草花が生い茂り、どうしても馬の足が遅くなる。


「では、そろそろお昼にしましょうか」


 馬を操るヘレナが天を見上げ太陽の位置を確認し馬車を止める。


 ずっと動かず荷台に乗っているだけの飛鳥は馬車から降り凝り固まった身体をほぐす。あちこちの関節が鳴るところを見ると、ずっと同じ体勢でじっとしていたことが窺える。


 飛鳥の隣に降りたシェリアもまた両拳を天に掲げ背筋を伸ばす。それにより強調された胸に一瞬、釘付けになるがすぐに目を逸らし、シェリアの無防備さにため息が出る。


 呆れた様子の飛鳥は頭を掻きながら辺りを見渡した。パンラ平原は広大ではあるが、何も草花しかないというわけではない。所々に岩や木々が立ち並んでいる。それがこの何もない平原の目印となり、進むべき方角を見失わないですんでいる。


 まぁ、今はニヴィーリアを囲む山脈が見えているが方位磁石などの道具がないこの世界では、こういった目印がとても重宝する。


「アスカさん、薪を集めながら少し辺りを探索してもらってもいいですか?」


 ヘレナがキューブ化された調理器具にかけられた『空間箱エスプ』を解きながら言った。


「薪って……、まだいくつか残ってますよね?」

「残ってますがあと三日ほどで切れてしまうかもしれません。出来るだけ現地で調達できるならそうしたいのです」


 確かに、と飛鳥は納得し再び辺りを見渡し、薪が調達できそうな場所に目星を付ける。森や雑木林のように大量に見つけることは出来ないかもしれないが、焚火一回分でも見つければ儲けものだ。


「私も行く。待っててもすることないし、アスカは力ないから持てる量にも限度がある」

「そこまで貧弱じゃねーよ!」


 飛鳥の叫びに全く意を介さず出発した飛鳥の隣を歩くシェリア。自分の筋力のなさは自覚しているが異世界に来てからは必然的に力作業が増えた分、飛鳥の筋肉にもいい影響が出たことには間違いない。だが、シェリアにとっては飛鳥の筋肉など骨に肉が一枚巻きついている程度のものだった。


「てか、シェリアの腕だってそんなに筋肉隆々ってわけじゃないのに何だこの差は……」


 飛鳥の呟きに何故か気を良くしたシェリアは歩きながらマッスルポーズをする。だが引き締まりながらも女性特有の丸みを帯びるその身体のどこに男勝りな力が隠されているのか不思議に思う。


「まぁ、普通に『筋力強化アウドーラ』だと思うがな」


 横並びで歩いていた飛鳥とシェリアがその少ししゃがれた声で動きを停止させ、ゆっくりと振り返る二人の動作が重なった。


 そこにいたのはアッシュブロンドを靡かせる美少女、もとい美男子のディノランテであった。


 その姿が目に入る瞬間、


「何でいんの?」


 と、口には出さないが二人の頭を瞬時によぎる。


 だが、感情の読めるディノランテに、そのようなあからさまな疑問は隠すことなどできない。


「まぁ、俺も暇だからな。人手は多い方がいいだろう?」


 何も言っていないにも関わらず、そう返したディノランテに飛鳥はまた感情を読まれたのかと顔を歪ませる。


 しかし、それはもう慣れっこだ。ディノランテと旅を始め既に七日は過ぎている。感情を読まれることは一度や二度ではない。


「はぁ、まあいいか。……あっ! てかシェリア! お前普段から法術使ってんのかよ!」

「……いつもは使ってない」


 詰め寄る飛鳥にシェリアは顔を逸らす。その態度が彼女が法術を使っていたことを増長させる。


「まぁ、例え『筋力強化アウドーラ』を使っていなくとも、アスカは力でシェリアに勝てるとも思えんがな」

「ん、ディノはよくわかってる」


 言いながらシェリアとディノランテがハイタッチを交わす。そんな様子を飛鳥は面白くなさそうに眺めていた。


「けど、一つ疑問。私が普段使う法術はどれも気づかれないように込める聖術気マグリアをコントロールしてる。ディノは何で気づいたの?」


 聖術気マグリアの微細はコントロールに自信のあるシェリアはそれを易々と見抜かれたことに少し機嫌を損ねる。


 その顔に少し自慢げになりながらディノランテは自身の左眼を指差した。


「俺のこの瞳は聖術気マグリアを見ると言っただろう」


 その意味を飛鳥とシェリアは瞬時に理解した。ただ感情を読み取るだけだと思っていたその眼は、実は全ての聖術気マグリアを識別することができるのだと。


 シェリアの緻密に込められた法術も、地面に隠された地雷式設置魔術も、そして、人間に紛れる魔族の正体も、聖術気マグリアに関わるものはディノランテには一目で看破することが可能なのだ。


 飛鳥は感情を読むだけでもとんでもない能力だと思っていたが、ここまでくると神の領域だ。


「何ていうか、お前って凄いやつだったんだな……」

「当然だ」


 鼻高々に胸を張るディノランテ。改めて自分の有能さを知らしめることができ、随分とご満悦なようだ。


 だが、その愉快な表情はすぐに鋭いものへと変わる。まっすぐと遠くを眺め左眼の聖気玉マグバラで『視力強化ゼフト』をかける。


 そして、


「おい、お前たちはあの建造物が見えるか?」


 と、指差しながら飛鳥とシェリアに問いかける。


 飛鳥はディノランテと同じ方角を向く。だが、目を凝らすものの飛鳥の瞳には何も映らない。


 それに気づいたシェリアは飛鳥の目に手を添え『視力強化ゼフト』をかける。それにより、ようやくディノランテの言うものを視認する。


 そこまで大きくはない。せいぜいそこらに散らばっている岩と同じくらいだろうか。確かに自然にできたものとは考えにくい、人の手が加えられたとしか思えない物がそこにはあった。

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