きっと帰る

「おいしそう……」


 シェリアはローテーブルに並べられた料理の数々に目を輝かせていた。


 マグロ、タイ、イカなどの刺身に豆腐の白味噌汁。小松菜のおひたしの油揚げ巻き、トマトとチーズを交互に挟んだカプレーゼ。


 そして、最もシェリアが興味を示したのはアジの炊き込みご飯だ。炊きたてというのも相まって出汁が染み込んだご飯がキラキラと輝いている。


 茶碗に盛り刻みネギを振りかければ完成だ。


 ちなみに、なぜこのメニューにイタリアンであるカプレーゼが紛れ込んでいるのかと言うと単純に雫が好きだからである。


「シズク、すごくおいしそう」

「はは、ありがとね」

「シェリア、行儀悪いから座れ」


 テーブルに手を突きぴょんぴょん跳ねるシェリアを叱りつける飛鳥。だが、飛鳥本人も久々の雫の料理ということで先ほどまで静かだった腹の虫が急に合唱を始めてしまう。


「時間があったらもっと凝ったものも疲れたんだけどね。これくらいならお兄ちゃんも作ってくれたんじゃないんですか?」


 雫が話を振ると飛鳥はギクリと肩を上げる。


「んーん。アスカは基本かれー? ばっかり……」


 その瞬間、雫がテーブルを叩いた。突然の音にシェリアとヘレナは身体がこわばった。


「お兄ちゃん! レトルトもほどほどにしなさいって言ったよね!? しかも居候のシェリアさんに!」

「いや、でも……、シェリアもまだこっちに来てすぐで慣れてない感じだったし……」


 飛鳥は詰め寄る雫から距離を取ろうとし、正座のまま後ろへ倒れ込む。太ももがよく伸びる。


「じゃあこれからはちゃんと作るんだね!? よかったね、シェリアさん。これからはお兄ちゃんが毎日料理作ってくれるって」

「ほ、ほんと!?」


 期待の眼差しが飛鳥に突き刺さる。飛鳥はこの瞳にめっぽう弱かった。シェリアの悲しむ顔を見たくないと思ってしまう。


 飛鳥は縦に首を振り肯定の意を示すしかなかったのだ。


「うんうん。それじゃあ食べようか。せっかく炊きたてなんだし、冷めたらもったいないからね」


 雫が手を叩きながらそう言うと、シェリアの興味はすぐに料理に移った。


 飛鳥が「いただきます」と音頭をとると他の三人も続き一斉に料理を口に運ぶ。


 ヘレナは初めての生魚ということで少し抵抗があったようだが、シェリアが何の抵抗もなく手を付けているのを見て恐る恐る箸を伸ばす。

 だが、口に含むと一変し頬の筋肉が緩み溶けたような顔つきになる。


 そんな様子を雫が笑いヘレナが照れる。どこにでもある団欒がそこにはあった。


 そして、つつがなく夕食は終わり片付けは飛鳥とシェリアが引き受けることにした。


 日本の生活にもすでに慣れているシェリアは水道はもちろん、食器乾燥機の扱いも熟知していた。


 飛鳥が洗いシェリアが流し乾燥機の中に並べていく。長年連れ添ったようなコンビネーションが取れるのはやはり、魔女と賢者であるがゆえなのだろう。


 洗い物が終わると飛鳥は風呂は向かった。


 日本の時間は飛鳥とシェリアが最初に訪れたナウラより約五時間ほど遅かった。


 異世界にいたこの十数日の間、異世界組はすでに寝ている時間である。飛鳥はもちろんのことシェリアやヘレナも眠気がピークに達しようとしていた。


 飛鳥が風呂へ入っている間に雫が二人を同じベッドへ寝かしつけた。


 雫は布団を物置として使っている部屋からもう一組出し、リビングに二組の布団を並べた。


 時間はまだ早いが雫も今日一日の疲れがどっと出たのか急に眠気に襲われた。


 そうこうしているうちに飛鳥が風呂から上がり、頭をドライヤーで乾かす音が聞こえ、その後布団の敷かれたリビングへとやってくる。


「あれ、シェリアとヘレナさんは? もう寝たのか?」

「うん、日本と異世界は時間が違うみたいで……」

「あぁ、そうだな。俺もさっきから眠くてな」


 そう言うと飛鳥と雫はすぐに布団に横になった。電気を消すと途端に辺りが静かになったように感じ、梅田の騒音が聞こえてくる。


「お兄ちゃん、もう寝るの?」


 眠りかけていた飛鳥がその声にハッと眼を覚ます。


「あ、あぁ。俺も向こうの生活に若干慣れてたから時差ボケが…」


 目を擦りながらそう言った飛鳥は雫の雰囲気がどこかいつもと違うように感じられた。


 奈良の実家にいた頃は毎晩布団を並べ寝ていたが、その時とは明らかに違う。


 しばらく沈黙が続いたが雫の口によってそれは破られた。


「そっち行っていい? てか行く」


 問答無用で飛鳥の布団は入ってきた雫はそのまま飛鳥の腕に自分の頭を乗せてしまう。飛鳥の胸元に頬を擦り付ける。


 雫のこんな大胆な行動に驚きつつ、どうしたものかと考える飛鳥。


「うっ、ぐすっ……」


 月明かりだけが差し込む部屋で、気づくと飛鳥の胸元で雫はすすり泣いていた。


 ずっと我慢していた雫だが一度溢れてしまったらそれが最後、とめどめもなく涙が流れた。


 飛鳥はそんな雫の頭を優しく撫でた。


 よくよく思い返してみれば、雫は五人兄弟の中で一番寂しがり屋なのかもしれない。


 祖父母が亡くなり一つの部屋で寝ようと言い出したのも雫。家族がバラバラになるのを最も恐れていたのが雫なのだ。


「ずっ……と、ずっと心配してたんだよ……」


 ポツリと雫が呟いた。飛鳥のシャツを握る雫の手は震えていた。


「連絡が、なくて……、既読すらつかなくて……。お兄ちゃんも、いなく……なったって……」


 今更だが飛鳥は異世界へ出発前に雫に連絡を入れて行かなかったことを後悔した。その時、本当のことが話せなくても、しばらくの間連絡が取れないかも知らないと、そう伝えるだけで雫にこんな思いをさせなくてもよかったのにと。


「ごめんな……」


 飛鳥は何も言い訳が出来ずただ謝ることしかできなかった。


 そして、しばらくしてすすり泣く声が聞こえなくなると雫は再び口を開いた。


「お兄ちゃん……。お兄ちゃんはお父さんやお母さんに会いたいの……?」


 心臓が飛び跳ねた。驚きのあまり眠気が消え去り感情が高ぶった。


 笹畠の家に拾われた五人の子供は双子の姉弟を除き皆、血がつながっていない。当然、血の繋がった親もいない。だが、誰もが……、今年七歳になる翠と蒼でさえ親について話す者は誰もいない。まだ幼い翠と蒼はきっと父や母と言う存在を求めている。にもかかわらず、決して親の話を持ち出すことはない。


 それは誰もが気付いているからだ。親に合うことが出来ないことを……。何を言ったとしてもそれは無駄に終わり、最後に残るのは虚しさだけと……。


 だからこそ、飛鳥が親を求めて異世界に足を踏み入れる決心をしたことを雫に知られたくはなかった。兄弟で一番親を求めている翠や蒼が我慢している中、長男である自分が抜け駆けしていいはずがなかった。


「お、俺……、は……」


 うまく言葉が出なかった。雫がどんな目で自分を見ているか想像が出来る。きっと軽蔑している事だろう。


「私はいいと思うよ……」

「……えっ?」


 だが、雫は飛鳥の思っていたものとは全く別の言葉を放った。不意を突かれた雫のセリフに飛鳥は間抜けな声を出してしまう。


「いつからか分からないけど、私たちの日常から親の話はなくなったよね」

「あ、あぁ……」

「それは、分かってたから……。親に対する理想だけをいくら膨らませても絶対に叶うことはないって。でも……」


 雫は起き上がり四つん這いの姿勢で飛鳥に覆いかぶさった。


「……会えるかもしれないなら、会いに行った方がいいよ! たとえ会えなくても自分がどこで生まれたのか……、知るべきだよ!」


 雫の髪が垂れ下がり月の光に影ができる。雫の目尻に再び溜まる水滴がその光でキラキラと輝くが、今度はそれが流れることはなかった。


 そして、雫は飛鳥と密着する。全体重を乗せる。


「異世界に行くのはきっと誰も反対はしないよ。楓ちゃんも翠も蒼も……。でも約束して」

「約束……?」


 雫は頷いた。


「絶対、帰ってくるって……」


 雫が静かにそう言うと飛鳥は一呼吸置いた後に「分かった」と優しく返した。


 すでに雫は寝息を立てていたがきっと飛鳥の言葉は届いただろう。


 自分の居場所は日本だと再確認した飛鳥は、一度雫の頭を撫でると飛鳥の意識は闇の中へと消えて行った。



 ―――――



 そこから先はあっという間だった。残りの時間はいろいろな所へ行き、笑い、叫び大いに楽しんだ。


 また、再び異世界に赴くための買い出しもした。


 そして、あっという間に四日が過ぎ飛鳥たちは異世界に戻る事となる。


「じゃあ、そろそろ行くか……」


 飛鳥がそう言った。


 外は日が昇り始めたような時間帯。今日の大阪は快晴で多くの人がその日差しに唸りをあげることだろう。


 シェリアがリビングの扉に向かい『光円環ユグア・アール』と『光文字ユグア・グーラ』を用い異世界への道を繋ぐ。廊下が歪み、そこに見覚えのある森が出現した。


「……ん、開いた。いつでも行ける」


 雫は寂しそうな目で三人を見ているが、飛鳥だけは雫の方を見ようとはしない。見ると、迷ってしまうから。少しでも後腐れの無いようにと飛鳥は頑なになっていた。


「シズク、ご飯おいしかった。また来るからまた遊びに行こう」

「五日間、本当にありがとうございました。私は店長の許しがなければなりませんが、機会があればまた……」

「うん。シェリアさんもヘレナさんも。怪我だけはしないようにね。私またご飯作るから……」


 雫の目には若干水滴が溜まり、異世界の友人たちとの別れに名残惜しく感じていた。


 そして、そんな雫を見てシェリアは、


「いって! 何だよ、急に!」


 飛鳥の背中を思いっきり叩いた。


「……いいの?」


 その一言で飛鳥はシェリアの言いたいことが分かってしまった。


「帰る場所があるって……、幸せなことだよ?」


 その言葉に飛鳥は頭をポリポリと掻いた。そして、雫と向き合った。


「行ってくるよ。またみんなで帰ってくるから……」

「うん、行ってらっしゃい。健康には気を付けてね」


 飛鳥と雫は少しの間抱き合うと名残惜しそうに離れた。


 そして、飛鳥は一番に異世界への扉をくぐった。


 シェリアとヘレナも順に雫と抱き合うと扉に足を向けた。そして、繋がった空間が歪む。


 扉の向こうから見えていた雫の姿がだんだん見えなくなっていく。飛鳥が最後に見た雫は涙を流していた。


 何を思っていたかは飛鳥には分からない。だが、自分の身を案じていることだけは分かった。


「よし、行こうか!」

「ん!」

「はい」


 飛鳥の音頭にシェリアとヘレナが答えた。


 次はいつ帰れるかは分からない。だが、必ず帰る。飛鳥は日本と繋がっていたであろう空間をじっと見つめ胸にそう刻み込んだ。

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