雫の思い
飛鳥が買い物から帰ってきてみれば、どういうわけか雫とヘレナがぐったりと疲れ切っていた。
その横でシェリアは難しい顔で頭を悩ませる。
飛鳥は自分のいない間に何があったのか知りたいような知りたくないような気もするが、一先ず食材を冷蔵庫に入れた。
「雫、大丈夫か? 飯は俺が作ろうか?」
「いや、大丈夫。なんて言うか……、お兄ちゃんも大変だったね……」
「……? 何言ってんだ?」
雫のよく分からない発言に飛鳥は首を捻るが、とりあえず雫が大丈夫と言うのであれば気にしないでおくことにした。
「さて、じゃあ作りますか」
「あっ、私もお手伝いします」
「ヘレナさんはお客さんなんでしょ? お客さんに手伝ってもらうような教育は笹畠家の人間は受けてないよ。だから座って待っててください」
立ち上がった雫と共にヘレナも立ち上がろうとするが雫はその意見をバッサリと却下した。
だが、根っからの従者体質であるヘレナはそれが癖付いており、今日一日奉仕する立場から離れることで身体が疼いてしまったのだ。
「な、なら、せめて見学だけでも! この国の料理を少しでも覚えたいです!」
身振り手振りその思いを伝えようとするヘレナに雫は折れるしかなかった。雫が承諾したときのヘレナの顔の変わりようが激しく、飛鳥の中でヘレナの印象は大きく変わってしまっていた。それでも必死にクールに見せようとするヘレナの姿はとても愛くるしいものがあった。
「じゃあ今から作るから、う~んと……、一時間ぐらい待ってて」
「りょーかい。シェリアもそれでいいよな?」
「ん。シズクのごはん楽しみ」
そして、雫とヘレナはキッチンの奥へと消えていった。
飛鳥は身体を左右に揺らしながら夕食を待つシェリアに声をかけた。
「シェリア、夕食まで時間あるし先風呂入るか?」
「ん。入る」
飛鳥はそれを聞き湯船を張った。バスタオルと飛鳥のティーシャツと短パン、そして、ショーツを用意しシェリアを呼びに行く。
シェリアは基本的に窮屈な格好は好きではない。特に肌着――ブラは大の苦手である。放置すれば下すら穿かないなんてことはざらである。
日常生活では飛鳥が周りの目を気にし、一向に治らぬ脱ぎ癖と共に「外を出歩く時に下着付けなかったらご飯一品抜き」と言うことでブラを付けさせることに成功した。
一品と聞くと罰が甘いのでは? と、思うかもしれないが、食事抜きと言ったときのシェリアの絶望する表情を見るとそう言うしかなかったのだ。
「シェリア、とりあえず入ってこい。久々の風呂だし堪能しておいで」
「ん。行ってくる」
シェリアがリビングから出ていくと飛鳥はどっと疲れが溢れだしソファにもたれこんだ。
異世界からの帰還後ようやく落ち着くことができ、飛鳥は深く息を吐いた。
今思うと夏休みに入ってからまだ二週間と少ししかたっていないにも関わらず、かなりの大冒険を終えたような感覚だった。
始めはどうなる事かと思っていたが、キセレという協力者も得られ次の賢者の
そんなことを考えているとキッチンから雫の雄叫びが聞こえてきた。
キッチンはカウンター型になっており、リビングからは筒抜けで雫の声は飛鳥の耳にダイレクトで飛び込んできた。
そして、奥から雫がドカドカという効果音が似合いそうな様相で飛鳥の元へやってっ来た。
「暑い! 冷房!」
雫はそう訴えかけた。
実はこの部屋は昼間から冷房を一切付けていなかったのだ。
飛鳥はこの日、帰ると雫が待ち受けているという事態に見舞われ、暑さによる汗なのか、それとも雫に問い詰められることでの冷や汗なのか分からなくなっていたのだ。
「そういえば付けてなかったな。……てか、お前が付けたら良かったのに。俺が帰ってくるの結構待ってたんだろ?」
「それは……、部屋に知らない人が当たり前のように居たら不用意な真似できないでしょ? すごく怖かったんだから……」
むむむ、と頬を膨らませる雫はなんとも可愛らしい。飛鳥はそんな妹のためにも冷房のリモコンに手に取りスイッチを入れるとキッチンへと戻って行った。
この時間、気温が下がり飛鳥は特に気にすることはなかったが、火を使う雫はやはり暑いのかたびたびエアコンの下に赴いていた。
「涼しい」
そう言ったのは雫ではなくシェリアだった。首からタオルをかけ短パンを着用。そして、予想通り上には何も着ておらずティーシャツはシェリアの手の中だった。
首からかけられたタオルにより大事な部分は見えていなかったが、それでも男性にとって目に毒なのは確かだ。
飛鳥は目を逸らしつつも、この状況に慣れつつある自分が末恐ろしかった。
「ちょ、ちょっと! シェリアさん、なんて恰好で出てきてるのよ!」
雫はシェリアのあられもない姿に呆気にとられるも、飛鳥を睨みながら守るように自分の身体で覆った。
飛鳥はそんな雫を横目に見ながら「そんなにも信用されていないのか」と溜息を付いてしまった。
「てか、シェリア出てくるの早かったな。まだ十五分くらいしか経ってないよな?」
「……お腹すいたから」
「えっ、お腹すいたって……。まだ四〇分ほどかかりますよ?」
それを聞きシェリアはあからさまに残念そうな顔をすると、雫に言われ手に持っていたティーシャツを着た。
雫は汗を拭いシェリアに「楽しみに待ってて」と言うとキッチンへと消えて行った。
シェリアは濡れた髪をタオルでガシガシと拭きながらソファに座る飛鳥の足元へ腰を下ろした。
飛鳥は前にも似たような事があったことを思い出し、シェリアが髪を乾かしてくれと目で訴えかけていることに気付く。そして「待ってろ」と一声かけると洗面所にドライヤーを取りに行った。
シェリアが髪を飛鳥に乾かしてもらったのは初めて出会ったその日だけなのだが、あの感覚が今も忘れられずにいた。
飛鳥がシェリアに跨るようにソファにすわると何も言わず、髪を乾かし始めた。
その感覚にうっとりとしたシェリアは目を閉じ、ドライヤーの風や飛鳥の指が触れるたびに安らぎを感じる。
「熱くないか?」
「ん」
そんな他愛もない会話にすら幸せを感じてしまう。
そして、そんな様子を眺める者たちがいた。そう、雫とヘレナだ。二人は壁から顔半分だけを出しピンク色の雰囲気を出す兄とその相方を遠い眼で眺めていた。
「何かすっごいイチャイチャしてますね。お兄様を取られて寂しいですか?」
ヘレナは少し茶化す意味も込めてそう言ったが雫からは何の返答もなかった。だが、その顔はどこか寂しそうでもあり嬉しそうでもあった。
「お兄ちゃんって昔……、ってほどでもないけど、家を出るまでは家族の前以外では全然笑わない人だったんです」
突然の言葉にヘレナは少し驚くも黙って雫の話に耳を傾ける。
「あ、ずっと無表情ってわけじゃないですよ? 笑ってるけど笑ってないんです」
雫は昔を思い出すように上を見る。
「お兄ちゃんと出かけてる時、お兄ちゃんの友達に会ったんです。でも、その瞬間お兄ちゃんの顔が変わったんです。取り繕う様な笑顔に……、何かを押し殺すような……」
雫はあの時の兄の表情を決して忘れないだろう。また、あの表情を見てしまうとは思ってもいなかったのだから。
ヘレナは飛鳥と知り合って長いわけではないが、キセレと店長であるキセレと言い合っている姿から想像すると雫の話がにわかには信じがたかった。店長の笑みに引きながらもどこか楽しそうな。本人がどう思っているかは分からなかったが、少なくともヘレナには飛鳥から無の感情を感じるようなことはなかった。
「だから、あんなに心を開いてるお兄ちゃんを見ると私は安心します。まぁ少しだけ寂しいのは確かですけど……」
「シズクさん……」
そこまで話すと雫はハッと我に帰る。
「こ、この話はここまで! お風呂入りましょ! ご飯炊けるまで時間あるし!」
雫はヘレナの背を押しリビングを後にした。その時、横目で見た兄の幸せそうな顔にもう一つの不安を覚えたが、それは今は関係ないと自分に言い聞かせた。
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