準備期間
「ん、うぁ……ふあぁぁ」
いつのまにか眠ってしまったのか飛鳥は目を覚ます。すでに貧血による気怠さは収まっており、自由に起き上がることができた。
外を見ると遠くの空が紅色に染まり、いよいよ日が沈もうとしていた。シェリアは、と辺りを見渡してみると少し離れた床の上でうつ伏せになって眠っている。
(こんな固いところでよく寝られるな)
なんの影響もなく眠るシェリアに飛鳥はそう思った。
飛鳥はソファに座り手帳とそして預金通帳を開く。
「とりあえず、シェリアの生活必需品を揃えないとな」
しかしどうしたものか、飛鳥のペンはなかなか動こうとはしない。その原因は何よりも、服をなんとかしなければならないからだ。
男ならば適当にジャージでも与えていれば何とかなるかもしれないが、女性に男性物のジャージなど与えて外出しろとは流石にいえない。
だからといって飛鳥が服を全て選ぶというのは避けたい。
そもそも女性服の知識なんて持ち合わせていないし、完全に自分の好みが出てしまう。
シェリアはそこのところ気にしないかもしれないが、せめて服ぐらいは彼女自身が気に入ったものを選んでもらいたい。
「皿やコップは余分にあるからそれを使ってもらって、布団も今のままでいいか……」
なんてことを考えたりしていると、シェリアがゴソゴソと動き出す。うつ伏せだったシェリアは仰向けになり、無防備な姿は健在だ。
その際、右手で左脇を掻こうとすると、それに合わせシェリアの胸がぷるぷると揺れた。
「あと下着だな」
『下着』と紙に綴り溜息をつく。
(俺だって男なんだぞ……)
飛鳥は鋼の理性の持ち主だが、こうまで無防備な姿を見せられると流石に厳しいものがある。
そうこうしてうちにシェリアが突然目を覚まし、
「何か書くものない⁉︎」
と訴えかけてきた。
「なんでもいいか?」
「ん!」
飛鳥はすぐに普段ノートとして使っているコピー用紙とシャープペンを手渡した。
「ありがと!」
急いでいてもキチンとお礼を言うシェリアの性格の良さが伺える。
飛鳥は一心不乱に紙に文字を並べるシェリアを後ろから覗き込むとシャープペンの使い方に手こずっている様子だった。
「あぁ、これはここ押せば芯が出てくるから」
「すごい、画期的……! じゃなくて!」
シャープペンの凄さに一瞬紙から目線を逸らすが、すぐに手を動かし始める。
数分ほど書き殴ったところでようやく手が止まる。シェリアは書き並べられた文字を眺めると、おもむろにそれを口にする。それが魔法の、シェリアの場合法術の詠唱のようなものだと、飛鳥はすぐに判断できた。
片手を前に突き出すシェリアの後ろ姿を眺めることしかできず、飛鳥は立ち尽くした。
(この子いきなり何やってんの⁉︎)
シェリアの詠唱が終わり、飛鳥はこれから起こることに内心ひやひやしたが、今まで見てきたような発光など起こることもなく、ただただ静寂が続いた。
少ししてシェリアが口を開く。
「失敗」
「じゃねーよ!」
食い気味でシェリアの頬を引っ張りながらツッコミを入れる。
「急に何やってんだ!びびらせんな!」
「んー、んー!」
シェリアは引っ張る飛鳥の手をポンポンと叩きギブアップをする。
「なんか夢で寝てる間に術式が浮かんできたの。だから忘れないうちにと思って……」
「はぁ、それで失敗したにせよ一体どんな法術だったんだ?」
「わかんない」
それを聞き飛鳥は反射的に右手を振り上げる。
「あうっ!」
振り下ろされたチョップはもちろん本気でやったわけではないが、飛鳥はこの何も考えていない少女に、一発喰らわせなければ気が済まなかった。
「何が起こるかわかんないものをいきなり使ってはいけません! もし使いたいならキチンと許可を取って、被害が出ない法術なら使用を許可します!」
頭をさするシェリアは「でも」と付け足すが、飛鳥が頬を引っ張る構えると言葉をの飲み込んだ。
「ごめんなさい」
「うん、よし」
飛鳥はシェリアの頭を撫で叩いたことを謝罪する。
「シェリアはさ、賢者の杖を手に入れたし、本格的に森の外でへ出る準備をするのか?」
シェリアをソファに誘導して並んで座りながら飛鳥が問う。
「……ん。ずっとその為に生きてきたし」
「そうか……」
シェリアの気持ちは変わらない。変わったのは飛鳥の気持ちだけ。異世界には関わらないと、竜退治なんてもってのほか。魔女の神杖なんてチートアイテムを手に入れたところでそれは変わらなかった。
「シェリア、それ俺もついて行っていいか?」
だが、その変わらない心を変えたのはただ一つ。自分のルーツを探るため。もしかしたら親に会うことだってあるかもしれない。飛鳥は知りたかった。
自分のこと、そして親のことを。それは頑なに異世界を拒んできた飛鳥の心境を変えるのには充分だった。
「……いいの?」
「あぁ」
「アスカは森に入ることを嫌がってるのかと思ってた」
飛鳥は思わずギクリとする。
「まぁ、ぶっちゃけ言うと最初は嫌だったさ。戦う力なんてないし。……でも行くのに充分な理由ができた。まだ試してないけどチートアイテムも手に入れた。これはもう行かない理由を見つける方が難しいかな」
「それって魔女の記憶が関係ある?」
飛鳥は眼を大きく見開き、その後呆れたように微笑をシェリアに向けた。
(ほんとよく気づくな)
シェリアの洞察力はずば抜けている。先ほども飛鳥は態度に出していたつもりはないが森に入ることを嫌がっていることを見抜いていたし、気持ちの変化を魔女の記憶によるものだと言い当てた。
シェリアのそれは生きていく上で身についたものだ。どこから何が現れるか分からなぬ状況に常に身を置き、大型の動物と遭遇した際、相手の動作を一つ一つ完璧に見抜かなければ、いつ死んでもおかしくはない。
シェリアは森の話をした時に飛鳥が見せた一瞬の顔の歪みや、神杖を顕現させてからの雰囲気といった諸々が変わって見えた。
それはシェリアが森の中で、一人で生き抜くために身につけた能力の一つである。
「あぁ、まぁ何を観たかはおいおい話をすると言うことで」
これからは森を抜けるための準備期間に入る。やらなければならないことがたくさんある。飛鳥はソファから立ち上がると拳を掲げる。
「よし! やるぞ!」
飛鳥はらしくもなく大声を上げる。それに呼応してシェリアも立ち上がる。
「……お腹すいた」
「……お前、だいぶ厚かましくなったな」
―――――
異世界探索の準備に取り掛かると時間はあっという間に流れた。
まず
飛鳥は常備しているすきバサミとスライド、コームを用いてシェリアの髪をカットした。飛鳥のこの技術は中学に上がる前に少しでもお金の浪費を抑えるために自分の髪をカットしたことから始まった。
やがて、その手は自分の頭髪だけではなく妹たちにまで及び、飛鳥が高校に上がる頃にはプロには、劣るがそれなりの技術が身に付いてしまったのだ。
シェリアの髪は後ろ髪は腰付近で整えたが、前髪を顔を全て出す程切ると伝えると頑なに拒否された。
なんでも出会った初日、カレーを食べている時に髪を結んでもらったが、前髪がないことが逆に狐を馬に乗せたような気分だったらしい。まぁその時は食欲が優ったらしいが。
なので飛鳥は前髪を胸付近までカット。左目を常に出すよう右に流し右目が髪の隙間から覗くようにした。
整髪料は使わず一応セットしたのだが頭の軽さに感動したのかすぐにぶんぶんと振り回された。
次は服である。
初めはトップス、パンツと一着ずつだけ無難なものを見繕い、残りを共に出かけ、シェリア自身に選ばせようかと思ったのだが、飛鳥自身がその二度手間に時間の無駄を感じ、飛鳥のTシャツ、短パンで外出した。
そのあまりにも美しい姿と服装が全くマッチしておらず、オマケに田舎者が都会に出た際によく見られるテンションの高さも相まって、周りからは注目の的であった。
しかし、いざ買おうと思ってもなかなか決まらなかった。
飛鳥はその足の長さを生かそうと九分丈のスキニーパンツを選択し、試着を勧めたところ『キツイからや』と言われてしまった。
結局選ばれたのはタンクトップに丈が短くヘソが見えるようなオフショルダートップス。下は伸縮自在なスポーツレギンスにショートパンツ。
見るからに『これからジムに行きます』という格好である。シェリアは「これがゆったりしていて好き」と、ご満悦だ。
靴は軽さを重視したランニングシューズを購入した。今まで裸足だったシェリアは靴に違和感を覚えたが、森を歩き回る時のことを考えるとその有用性に深く納得した。これもまた「軽い。素晴らしい」との高評価である。
次に向かったのはランジェリーショップ。スキニーパンツをキツイと言い切ったシェリアは、肌着ですら拒否する可能性があるがこればっかしは譲れない。
しかし、いざ店に着いてみれば、当然といえば当然だが周りは女性客に女性スタッフばかり。男である飛鳥にとってそこは未開の地でしかなかった。
意を決しシェリアと共に入店したのだが、飛鳥は向けられる視線に顔を下げることしかできず、スタッフに「彼女にあったものを上下三セットほどお願いします。会計になったら呼んでください」とだけ告げ、退店したのだった。
その後もテントや寝袋が必要だと飛鳥はいうが『獣に襲われればテントなんて意味ないし寝袋なんか身動きが取れない。結界法術の方が安心できる』と完全論破された。
別の場所ではシェリアが水筒は必要だというが『魔法で水を出せるのでは?』と疑問をぶつけると『意味がない』とバッサリと斬られる。
最低限のナイフやフライパン、鍋、木製の食器や塩コショウなどの調味料、そしてそれらを入れる大きめの登山用のリュックを購入し、そんなこんなで物資の調達は完了したのだった。
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