暗闇では人は無力
ついに飛鳥とシェリアが異世界に旅立つ日がやってきた。この日のために揃えた荷物を入れたリュックを背負い、神杖を手に飛鳥は今、扉と繋がった異世界の真っ暗な空間の中にいる。
そして、飛鳥は新装備を身に纏うシェリアに問いかける。
「なぁシェリア。これ、本当に大丈夫なんだよな?」
「ん」
飛鳥の心配はごもっともである。何故なら飛鳥の部屋の部屋と繋がった空間は、もともと洞窟であり何年か前に崩落し、入口が完全に塞がってしまった場所だからだ。
シェリアは崩落時、洞窟の中にいたが普段暮らしていた場所に『空間転移法術』、と言う設置型法術のおかげで脱出できたそうだ。
『空間転移法術』とは文字どうり空間を飛び越え転移する法術である。術式の本陣を拠地に設置し、飛びたい場所にあらかじめ副陣を置くことで可能にする。
シェリアがもし本陣を設置していなければ、洞窟の中ですでに息絶えていたかもしれない、とシェリアは言った。
飛鳥は一度崩落したことのある洞窟の中にいるという事実だけで、この上ない恐怖に囚われている。しかも、そこは辺りが何も見えない真っ暗な空間である。飛鳥の恐怖は最大に達しシェリアの手をしっかりと握っていた。
「お前、よくなんの躊躇もなく歩けるな」
「暗視かけてるから」
「俺にもかけて!」
「大丈夫、もう着いた」
飛鳥の願いを真正面からへし折ったシェリアは、空間転移法術の副陣の前にしゃがみ込み右手で術式陣に触れる。
その際、飛鳥は急にしゃがんだシェリアに引っ張られ、地面に膝を強打した。
「ぬぁぁぁ!!」
さらに、追い討ちをかけるように術式陣から発した光が、真っ暗な空間を照らし飛鳥の目を貫いた。
思わず手で光を遮り目を細める。
「行こう」
なんの躊躇もなく光に向かうシェリアに手を引かれ、心の準備をする暇もなく飛鳥は術式陣に倒れるように術式陣に触れる。
—————
シェリアに手を引かれ倒れた時には、飛鳥の目に映る風景は変わっていた。
目に入るのは木。想像よりも背丈のある木が辺り一面に均一に伸びており、少し進むだけでその変化のない景色が、己の方向感覚を麻痺させるだろう。この光景が異世界に訪れて初めて見る景色だと思うと、何とも筆舌に尽くし難い。
「ん〜〜、なんか生き返る」
特に覇気のない声でシェリアが伸びをする。しかし、飛鳥の感想はシェリアとは逆で、なんだか体の中がもやもやしたような感覚にとらわれる。
何かが入り込んでくるようなそんな感覚である。飛鳥はその疑問をシェリアに投げかける。
「多分それは
「聖術気って魔術や法術を使う源、なんだっけ?」
「ん。人間は会話をする種族の中で唯一体内で聖術気を作ることができないの。だからその分、空気中に漂う聖術気を取り入れやすくなっている……、多分」
「多分かよ……」
飛鳥は曖昧なシェリアの回答に、呆れつつも納得はした。おそらく地球上にはその聖術気が存在せず、もちろん人間がそれを取り入れることは物理的に不可能であった。
しかし飛鳥は今、聖術気の豊富な異世界に立っている。
今まで空っぽだった聖術気を、体が急速に取り入れられている。今まで体の中に無かったものが入ってくることで、不快感に囚われてもなんら不思議ではない。
(つまり、シェリアは逆に不足した聖術気を取り入れて、気持ちが上がっていたのか……)
飛鳥はうんうん、と自分一人で納得する。
「すぐ慣れるよ」
振り向きながら笑うシェリアを見て、何となく気持ちが楽になる飛鳥は胸を反し、めいいっぱい息を吸い込む。
「確かに空気はうまいな」
辺りは森ばかり。排気ガスの満映する日本と比べればその差は歴然である。
「じゃあ、行く?」
「あぁ」
異世界に来た余韻に浸る余裕などなく、飛鳥とシェリアは早々に行動を開始する。時間は有限。世界を回るのなら尚更である。
「で、どっちにいんの?」
「あっち」
方角は定かではないがシェリアは飛鳥の立つ正面から右に手を伸ばす。それは飛鳥とシェリアの第一目標である森を守る竜の場所である。
「あっちに二週間ぐらい歩いたところ」
二週間と聞き項垂れそうになる飛鳥だがぐっと踏ん張り足を進める。ここでぐだぐだ言っていても仕方ないことを飛鳥は理解していたからだ。
「よし行こう。さぁ行こう! 道は長いぞ!」
そこに慣らされた道など存在するはずもなく、気持ちを上げないとやっていられない飛鳥は大声をだし進み出す。
しかし、飛鳥は十メートルほど進み振り返ると、シェリアは一向に動く気配を見せなかった。
(なんだかんだ言って、ずっとここに住んでたんだよな……)
出たい出たいと言っていてもいざ出るチャンスが舞い込むと、どこか感慨深いものが込み上げて来るのであろう。
シェリアのその意を汲み取った飛鳥は元気づけるように言う。
「ずっとここに住んでたんだもんな。でも外に副陣? を設置すればまたいつでも戻ってこれるんだろ?」
「……何言ってるの?」
「……え?」
飛鳥はシェリアと会話が繋がっていないことに気づき首をかしげた。
「ここを離れるのが寂しいとか思ってたんじゃないの?」
「全然」
何の興味もなさそうに応えるシェリアに、飛鳥はずっこけそうになるのを何とか堪える。
「じゃあ何でずっとそこにいんの?」
「……だって転移法術使えるもん」
その言葉に飛鳥は、先に言ってくれ!と心の中で叫んだ。
二週間の間歩き続けるのかと思い、無理やりテンションを上げ、終いには勘違いの末シェリアを励ます発言までしてしまった。飛鳥は恥ずかしさのあまり顔を赤くしてシェリアの元に戻る。
「顔真っ赤」
「うるせぇ!」
シェリアに冷やかされはしたが何も言われないのはそれはそれで辛いものがあったのでここは一応感謝しておこう、心の中で。
シェリアが空間転移法術の本陣を起動し、飛鳥に目で確認を取る。飛鳥もその目線に気づきこくりと頷く。
飛鳥は今度こそ自分の足で術式陣を踏み抜く。体が浮きそうで浮かない、そんな奇怪な感覚にとらわれ、視界は真っ白に染まった。
—————
どれだけの時間が流れたかはシェリア自身にはわからないが、感覚的にはざっと七、八年前といったところか。シェリア自身、把握をしているわけではなっかたが、それはシェリアが十一歳になったばかりの頃。
シェリアは当時のことを思い出す。
ナウデラード大樹林に入った当初に着ていた服はもはや原型を留めておらず、その綺麗な髪や肌は薄汚れ、その風貌から己の悲惨さを醸し出していた。
精神的にもこの時が最も限界に達していた時であり、このまま死んでもいいと本気で思ったことをシェリアは今でも覚えている。
身も心もボロボロなはずのシェリアがそれでも歩き続けた理由は、今になっても思い出すことはない。
そんな時、偶然にもその瞬間が訪れた。広い森の中で数カ所存在する広々とした空間。シェリアが今までに見つけた森が開けた空間は三カ所。そのうちの一つが竜の滞在する渓谷に続く草原である。草原に出ると見晴らしが良く、遠くにその渓谷がうっすらと見えるた。
シェリアが初めて草原を訪れた時、そのあまりにも広大な風景に森からついに脱出出来たとさえ思った。
しかし、遠くにうっすらと見える渓谷からは、形容し難い異質な空気が漂ってくるのを感じた。かなり離れた位置にいるにもかかわらず、その体を恐怖心が支配するが、それを破るようにシェリアの足はそこに向かった。
太陽が照りつける中、少し進むと渓谷から流れ出た川が、大きな曲線を描きながら右に流れていた。
そして、渓谷の麓に着いたシェリアはこれ以上にない悪寒を感じたが、それでも人間の持つ知的好奇心のためなのか、進む足は止まらない。
日が頂点まで登る頃、ついにシェリアがそれと出会う。
真っ白い竜である。
日の光を一身に浴びたその巨体はまるで幻の幻想界に君臨する白竜の如くその存在感を放つ。体や首を丸め静かに眠っているにも関わらず、その巨大さと神々しさに目を奪われ、今までの恐怖心が全て吹き飛ばされる思いだった。そしてシェリアのいる森がナウデラード大樹林であることを理解した。
だがその瞬間、一転してシェリアは再び恐怖に押し潰されそうになる。
先ほどまで眠っていた竜の目が見開き、じっとシェリアの方を睨んできていたのだ。
シェリアは瞬時に反転し一身に走った。自分が消される未来が見えた。絶対的な存在だと知らしめられた。
川を越え、平原を抜け森に戻り、転移法術の副陣を瞬時に設置する。
怪我など一つもなく、死からは程遠いはずなのに今も消えない死の感覚。
死んでもいいなんて思っていたシェリアは、心の底から死を恐怖した。死にたくないと思った。そして、死にたくないと思うとそこから欲が出てきた。このまま森で一生を終えたくない、外の世界を見たいという願望に変わり、あの絶対的な存在に、いつか挑む決心をしたのだ。
—————
飛鳥は頭に魔術の術式を思い浮かべながらシェリアの後ろを歩いていた。だがそれと同時に、飛鳥はシェリアの態度の変化に違和感を覚えていた。転移法術で移動し、そこから竜のある方角へ森を進む。進むにつれシェリアの声のトーンが少しづつ下がり、終いにはほとんどの会話がなくなった。
(どうしたものか……)
飛鳥は何度かシェリアに話しかけてはいたのだが、その返事が「ん」や「そ」など一言一言で返され全く会話が続かない。初めてシェリアと会った時のような反応に飛鳥は本気で困っていた。
ガサッ
その時、背後の少し離れた茂みから何か音が聞こえた。シェリアはそのまま歩き続けるだけで、何もリアクションを示さない辺り本当に気付いていないのだろう。
その瞬間大きな黒い影が飛鳥を覆うように現れる。
「ガアアアアアアッ!!」
三メートルに迫るような巨大なクマが今にも飛鳥に覆いかぶさろうとしていた。
飛鳥はすぐさまシェリアを突き飛ばしクマに向かい合う。そして魔術の術式を頭に思い浮かべる。が、ずっと反復していたはずの術式が思い出せない。
「え、あれ。エク、ぺ、ル……」
急に訪れた実践。突然現れたその巨大グマ。爪の大きさは一つ一つが二十センチはある大きな物、そしてその太い腕が振り下ろされたら一瞬でミンチになる。大きく開かれた口からは巨大な牙が見え、もちろん噛まれでもしたらひとたまりもない。
その圧倒的な存在に恐怖し、飛鳥はそれに飲み込まれた。日本で平和に暮らしていた飛鳥にとって突然訪れた実践に体が反応できず、また頭にあった術式まで吹き飛んでしまったのだ。
クマは左腕を斜めに振り下ろす。飛鳥はその場に腰から崩れ落ち、ただ自分に迫るその爪から目を逸らすことが出来なかった。
しかしその爪は自分を切り裂くことはなかった。済んでのところでシェリアに首根っこを引かれ、飛鳥の位置と入れ替わるように後方に投げ飛ばされる。
飛鳥は危機を回避できたが、それは逆にシェリアにクマが襲いかかることを意味する。
「シ、シェリア!」
「
そう唱え、左手で右肩から右頬にかけてそっと撫でると同時に、クマの爪はシェリアの右首に直撃する。
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