笑顔の意味

 飛鳥の住む七◯三号室の玄関から入ってすぐの二つの部屋の一つは物置、もう一つはまだ使っていない空き家となっている。

 飛鳥は物置部屋の押入れの中から、予備の布団一式を取り出した。

 飛鳥は少し埃っぽくなった布団を、ベランダで少し叩いてからそのままリビングに敷いた。


「シェリアはその部屋のベッド使っていいからね」

「……アスカは、どこで寝るの?」


 初めて名前で呼ばれたことに少し感動しつつも飛鳥は答える。


「ここで寝るよ。流石に女の子と一緒には寝られないから」

「……」


 飛鳥ははっきり言って女性が近くで寝ていても緊張して寝られないということはない。

 実家では元々今年七歳になる弟と下の妹以外は自室があり、みんなそこで寝ていたのだが、祖父母が亡くなってからというもの、兄妹五人で大広間に布団を並べ寝るようにしていた。

 そのおかげで飛鳥は女性と同じ布団でなければ寝ることにどうということはない。

 おまけにシェリアからは大人の女性というよりも、その見た目を上回る幼い雰囲気の方が目立つため、どちらかと言うと妹のように感じてしまう。

 シェリアは離れて寝ると聞いた時、始め気丈に振る舞っていたがすぐにしおらしくなっていった。


「……一人は、いや」


 俯きながらシェリアは飛鳥の服の端をキュッと摘んだ。

 起きたらまた一人に戻ってしまうかもしれない。今この救われたような時間がただの夢かもしれない。

 シェリアは起きた時のことを思うと不安で不安で仕方がなかった。

 飛鳥はそんなシェリアの心の内を察したのか少し困ったような顔をするもすぐに服を摘んでいたシェリアの手を取る。


「わかった、じゃあ俺も寝室で一緒に寝よう。でも俺は布団を使う。それ以上は譲れないよ?」

「ん!」


 シェリアは安心したのか笑顔で微笑み、先に寝室へ入っていった。

 そんな姿を見る飛鳥にも思わず笑みがこぼれる。

 飛鳥は布団の上で、シェリアはベッドの中央ではなく飛鳥が視界に入るような隅っこで横になった。


「ふかふかで気持ちいい。でもずっと敷いた草の上で寝てたから、なんだか落ち着かない……」


 そんなシェリアの言葉に飛鳥は胸が痛くなる。改めて、シェリアが身を置いていた環境の過酷さを思い知らされた。


「飛鳥は優しい。ご飯もくれて話しもしてくれる。……ありがと、私を救ってくれて」


 そんな感謝の気持ちを伝えられ、飛鳥は高まり、また同じような気持ちになった。


「お礼を言うのはこっちだよ。シェリアと話してると俺も、俺自身もなんだか救わ……。あれ?」


 シェリアの静かでゆっくりな寝息が聞こえる。少し仮眠をしたといっても聞いた話では、今までろくにちゃんとした環境で眠っていなかったようなので、ベッドが落ち着かないといっても、それが寝られないということにはならないだろう。


「危うく恥ずかしいセリフを言ってしまうところだったぜ……」


 冷静になった飛鳥は、先程と同じように場の雰囲気に流されてしまっていた。だがシェリアの寝顔を見ているとそんなことはどうでもよくなってくる。


「寝るか」


 そう言い飛鳥も瞼を閉じるのであった。




―――――



 翌朝、現在午前七時半。飛鳥は自分の寝室に敷かれた布団の上で目を覚ます。だが寝起きのはずの頭は、すっかりと目を覚ましてしまっていた。

 そう、昨日ベッドで寝たはずのシェリアが、わざわざ飛鳥の布団に潜り込んでいたのだ。しかも……。


(なんで全裸なんだよ!)


 飛鳥は溜息をつきながらゆっくりと体を起こす。夏休みに入ったからといって自堕落な生活を送るつもりはない。上の妹の雫ほどではないが飛鳥も十分真面目なのである。

 シェリアを起こさないようにそっと立ち上がり顔を洗い、朝食の用意をするために台所へ向かう。朝食は白米、味噌汁、卵焼きにししゃも、そしてトマトを六つにカットし三つずつ皿に盛る。

 テーブルに並べながら寝室の方を見ると、シェリアが顔を半分だけ出しこちらをじっと見ていた。そして、顔半分と共に白い肌が目に入り、再び溜息をついてしまった。


「ちゃんと服きてから来いよ。あと顔洗ってこい」


 シェリアは自分が服を着ていないことにそんなに驚いたのか、目を丸くすると服を着たのち、寝室から廊下に繋がる扉を通り洗面所に向かう。

 すぐにシェリアは戻ってくるが、顔や腕がところどころ濡れていた。飛鳥は顔を洗ってから首にかけていたタオルで、シェリアの顔に付いた水滴を拭く。

 まだ少し寝ぼけているのか飛鳥にされるがままであったが、柔軟剤のおかげでふわふわに仕上がったタオルを前に抗うすべはない。


「ほれ、ちゃんと顔ぐらい拭いてこい」

「……んー」


 飛鳥はやわらかい頬を顔を拭いた流れで摘み左右に引っ張る。赤ん坊の様なその頬の柔らかさに、つい夢中になる。飛鳥は白くきめ細かいシェリアの肌に、短期間で虜になってしまった。だがそれは、シェリアから腹の虫の音が聞こえることで我を取り戻す。


「ち、朝食にしようか」

「……ん」


 両頬を軽くさすりながらシェリアは少し口元が緩む。

 シェリアは話しかけてくれる人がいること、共に笑いあってくれる人がいること、自分に触れてくれる人がいることが、その心を弾ませる。

 この両頬の僅かな痛みが人として生きている事の証のように感じられる。

 シェリアはテーブルの前に座る飛鳥に続き、その向かいに腰を下ろした。


(今まで、生きてきてよかった……)


 生まれて、生きてきて初めてそう思ったかも知れない。


(これからも続くといいな……)


 飛鳥に対する果てしない感謝の念が笑顔として現れた。


 飛鳥は朝日に照らされ金色に輝く髪、眩い白い肌よりもその笑顔がずっと、ずっと綺麗に見えた。

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