魔女と賢者

「ご馳走様でした」

「で、でした」


 朝食を終えた飛鳥を見習い手を合わせ言葉を真似る。

 飛鳥はテキパキと食器をまとめシンクまで持っていくと、そのまま洗いだした。

 その手際は普段から行なっていないと出来ないような洗練された動きで次々と水切りカゴやラックへと並べられていく。


 飛鳥は洗いながらシェリアの方を見ると、彼女は窓から外の景色を眺めていた。その目からはどこか強い意志を感じ、彼女の中で何か決心がついたように感じられる。


「アスカ……」

「ん、どした?」


 シェリアからの呼びかけに飛鳥は答える。


「私達の世界にはある言い伝えがあるの」

「言い伝え……?」


 言い伝えとは、昨日聞いた森に関するものとはまた別のものなのだろうか。

 依然と外を眺めていたシェリアは、飛鳥に向き合うとコクンとうなずき続ける。


「昔はね、魔術や法術、それに魔法なんて言葉はなかったの。それぐらい昔に空を覆うような大きな穴が空いたんだって」

「……大穴?」


 飛鳥はつい聞き返してしまった。空に穴が空く。そんな天地がひっくり返っても起こりそうもない事件が、本当に起こったのであろうか。


「うん。世界は闇に包まれて人々は混乱してしまう。でもそれを塞いだ人がいるの。その人は、自分のことを『魔法使い』と名乗った。それが『魔法』と呼ばれるようになった所以らしい……」


 飛鳥は黙ってシェリアの話を聞いた。


「世界の混乱は収まり天を覆う闇は晴れ、人々はその『原初の魔法使い』を讃えたの。でもそれをよく思わなかった人たちがいた……」


 〜〜〜〜


 それは原初の魔法使いがいた国の国王。国王は世界を救った魔法使いが、いつか自分の地位を脅かす存在になると認識し、彼を国外追放の刑に処した。


 魔法使いは国を去る直前に、信頼の置ける二人の弟子に自分の持っていた『神杖しんじょう』とも呼べる杖と知識の全てを二つに分け、それぞれに与えた。


 一つは魔術。魔法使いの持つ相手に傷を負わせることだけを目的とした技術。

 与えられた者は真っ白な髪に赤い瞳を持つ『魔女』となる。


 一つは法術。魔法使いの持つ人を癒し、人に安息を与えるための技術。

 与えられた者は真っ黒な髪に青い瞳を持つ『賢者』となる。


 魔法使いは魔女、そして賢者となった弟子たちに手渡した神杖に、生涯消すことのできない、ある意味呪いのような術式をかける。


 それは一度、その神杖を手にすると魔女は魔術、賢者は法術しか使えなくなるというもの。


 しかしその呪いは魔術や法術の力を底上げし、各分野において他の追随を許さぬ術師の境地に達する。


 その後、魔法使いはある森に引きこもり生涯を終える。


 〜〜〜〜



 話し合えたシェリアは飛鳥の青い瞳をじっと見つめた。それは飛鳥の反応を伺っているようだった。


 しかし、飛鳥はただの言い伝えと言われたその内容からは、あまりに膨大な量の情報を一度に得て、そこから脳をフル回転させ頭がパンクしそうになった。


 その思考内容とはもっぱら自分の生まれについてである。飛鳥は言葉を詰まらせながらシェリアに問う。


「……なぁ、聞いていいか。話に、出てきた賢者って……その人だけ

 か? それとも、他にも、いたりするのか……?」

「……魔女も賢者もそれぞれ所持している神杖を、受け継ぐことで代替わりをする」


 それを聞いて飛鳥は呼吸が荒くなった。自分の日本人離れした青い瞳と黒い髪は、賢者のそれと一致し、生まれも生みの親の存在もわからない。偶然か、それとも必然なのかは分からないが、飛鳥は異世界へ行き来する手段も得た。賢者の神杖なんて大層なものは持ってはいないが、もし自分が賢者だと仮定したら自分の境遇と驚くほど重なった。


「シェリア、もしかして……その賢者って俺のこと、だったりしない、よな?」


 シェリアは飛鳥の目をじっと見る。そしてゆっくりと口を開き……。


「賢者は……」


 これだけ条件が揃っていたとしても、他人の口からはっきりと言われなければ認めることができなかった。自分が実は異世界人だということを……。

 飛鳥は思わす固唾を呑んだ。


「……私」

「……は?」


 飛鳥は呆気にとられる。


「賢者は……私」

「いや、聞こえてるから」


 ついツッコミを入れる飛鳥だがその心境は混乱の中にある。


「え? いや黒い髪で……」

「ん」

「青い目で……」

「ん」

「出自も不明で……」

「ん」

「ここまで条件が揃ってるけど、賢者は……」

「……私」

「なんっでやねん!」


 思わず関西人持ち前のツッコミが飛び出し、握られた拳で両膝を叩く。


「そもそもシェリア黒髪でも青眼でもねーじゃん!」

「先代賢者は赤っぽい髪と聞いてるけど?」

「言い伝えの意味!意味深な目で語った言い伝えとはなんだったのでしょうか!」

「それは私が法術しか使えないの言うため……かな?」


 シェリアの発言を聞き飛鳥は少し冷静さを取り戻し、片膝に頬杖をつく。言い伝えの中で、魔女や賢者の特徴とも言えるもう一つの理由。

 魔女や賢者に刻まれた呪い。魔女は魔術、賢者は法術しか使えなくなる呪い。

 シェリアは確かに言った。法術しか使うことができないと。


「私は生まれた時に、先代の賢者に賢者の神杖を、埋め込まれたの」


 その瞬間をシェリアの親や兄姉が見ていたらしい。そして物心がついた三歳の時から法術の勉強ばかりさせられた。

 しかし、いつになっても神杖は顕現されず、それは森で暮らし始めてから今になっても変わらない。


「なぁ、言っちゃ悪いかもしれないけどそれ騙されたりしてない?」

「……え?」


 今まで考えもしなかったのかシェリアの声のトーンがすっと下がった。

 一人だったシェリアにとって自分が賢者であり、その証である神杖を埋め込まれた自身の体から解き放ち、名実共に賢者となる。そして守護竜を討伐し森の外に出る。それだけを望みに生きてきた。

 ある意味、シェリアにとって一人だったことは幸福だったのかもしれない。誰もしなかった。誰もシェリアが賢者ではないと言及しなかった。だからこそシェリアは無意識のうちに考えないようにしていた。

 シェリアはゆっくりと立ち上がり飛鳥の元へ行き腰を下ろすと、肩をがっしりと掴んだ。


「私が……やってきたことは全部、無駄だったの? 私は賢者だと信じて! いつか神杖も、答えてくれると、信じて……」


 シェリアの声はだんだん弱弱しくなり、その瞳からはとめどめもなく涙が溢れてくる。シェリアにとって辛い現実かもしれないがそれでもここで下手な慰めをする方が彼女にとってマイナスである気がした。


「もし本当に賢者なら……」


 本当に言ってしまってもいいのだろうか、と飛鳥の中で葛藤が起こる。下手な慰めをせずとも、シェリアを落ち着かせる言葉は他にもあるだろう。だが後々それを、その現実を突きつけられるのならいっそ……。


(今、俺が……)


 飛鳥の視線は涙を流す少女のそれと重なった。


「本当に賢者なら、そもそも絶対に出ることの出来ない森に、シェリアを閉じ込めたりなんかしないよ」


 その瞬間肩を掴む力が一気に増す。その痛みに飛鳥は顔を歪みそうになるが、痛みを呑み込みシェリアの顔をまっすぐと見る。

 力が増すと同時にシェリアの目に涙が浮かび、顔は今まで見たことないほど歪んでいた。

 シェリアは掴む力を緩めると、そのままゆっくりと立ち上がる。全てに絶望し何もかも投げ出してしまいそうな、そんな不穏な空気を放つ。

 飛鳥はそんなシェリアの様子が、かつての自分の姿と重なった。飛鳥は立ち上がったシェリアの手を掴む。


「どこに行くんだ?」

「森に……帰る」

「だめだ、今の君を一人にさせるわけにはいかない」


 飛鳥は自分の言ったことを後悔する。自分の愚かで軽率な発言を。


「ほっといてよ!」

「そうはいかない」


 自分のせいでこの少女が、もし命を投げ出す選択をしてしまったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。飛鳥は振り切ろうとするシェリアの手を思いっきり引っ張った。


「えっ?」


 シェリアはその衝撃でバランスを崩し、飛鳥が床に放置していたタオルを踏みつけ思い切り滑った。

 足を取られ、完全に自由を失ったシェリアは成すすべもなく倒れる。


「危なっ!」


 飛鳥は倒れようとするシェリアの手をさらに引き自分の方へ引き寄せ、衝撃が行かぬようシェリアの腰に手をそっと回し受け止める。


「んっ!」


 うまく受け止めることができた。シェリアには怪我はないだろう。しかし無事かと問われると『はい』と答えることができない。


 なぜなら倒れ込んだシェリアの唇と、受け止めた飛鳥の唇が重なってしまったから。

 あまりの出来事に飛鳥は時間が止まったかのように固まってしまう。だが頭に血が上りながらもシェリアを引き離す。


「す、すすすまん!いやわざととかじゃなくてこけそうになったのを……うっ」


 ドクンッ


 何よりもまず謝ることを第一に考え、必至に言葉を絞り出そうとするが、それは途中で阻まれてしまう。

 脈打つ。一瞬血が煮えたぎるような感覚に捉われ、自分の体ではないように感じた。

 その瞬間、自分の正面を光が覆う。その発生源をよく確認すると。それは自分の腹部であった。謎の赤い円環が現れ、その中心から棒状の何かがゆっくりと現れだした。

 あまりの出来事に言葉を失う飛鳥はシェリアに確認を取ろうと目を向けるが、シェリアはシェリアで腹部に青い円環を浮かばせ、同じようにその中心から棒が出てくるのを目撃した。


 完全にその棒が出ると飛鳥の目の前で浮遊する。その杖とも見て取れる棒は、飛鳥に掴めと言わんばかりのオーラを放ってくる。


 怪しさしかないその棒に警戒心を持ちつつも、その棒から目を離すことが出来ない。何故だか分からないが、その棒に引き寄せられる。飛鳥は躊躇いながらもその杖を掴んだ。


「なんだ、これ。何も起きなっぁぁぁ!」


 杖を掴んだ瞬間、今度は脳に直接ぶちこまれるかのように何かの記憶、何かの知識、何かの情報が映像、そして文字としてどんどん流れ込んでくる。


『いつか、、、、俺、、は』

 何かに祈るようにそんな男の声が聞こえる。

『きっと、、かなう、、、私と』

 何かに乞うように、地面に頭を擦り付けているのか目の前を土が覆う。

『だから託、、う、、これから、、、』

 押しつけるように男が何かを突き付けてくる。

『私の、、ねが、、そし、、、、』

 赤髪の女性が去って行く姿が見える。

『どうか、、、この子を、、、よろしくお願いし、、、』

 女性が赤子を預け、頭を下げているのを後ろから眺める。


「杖を離して!」


 そんなシェリアの声が聞こえたような気がした。しかしその映像から目を逸らすことができない。


 女性が一人の赤ん坊を預けている。誰に、いったい誰に……。


「じい、ちゃん……?」


 そして飛鳥は途切れる映像とともに意識を手放した。

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