魔術と法術

 眠ってしまったシェリアを三つあるうちの一つである自分の寝室のベッドに寝かし、長い前髪を七三で分ける。


(こんだけ髪が長いと、顔にかかった時呼吸しにくそうだな……)


 飛鳥は実家で弟と下の妹を寝かしつけたことを懐かしく思いついシェリアの頭を撫で、思わず笑みがこぼれる。


 お腹を冷やさないようにとタオルケットをかけてやり、少し離れた位置で扇風機を弱に設定しゆっくりと首を振らせる。


 シェリアが寝てる間に食器洗いとシャワーを済ませてしまうと、これからのことについて考えた。


 まず、いつまでも自分の服を着させるわけにもいかないので、衣類を揃えること。そしてシェリアの全裸癖を治すこともしなければならない。


 先程ベッドで寝かしつけた時、落ち着いてくるとシェリアは寝っ転がったまま服を脱ぎだした。その場はなんとか抑えたが、もはや本能的に脱ぎだしている様子だったのでこればっかりは最優先事項である。


 お金に関してもさほど問題はなかった。笹畠ささはた家の家計を管理しているのは一番上の妹。名を『しずく』と言い、五人兄妹の中で最も真面目な性格である。


 雫が言うには笹畠家には兄妹五人全員が私立の医学部以外であればどこでも通えるだけの額があるらしいので私立でも医学部でもない飛鳥が使うことのできる金額は割と残されている。


 問題はシェリアが元の世界に戻りたいと言った場合だ。シェリア本人の口から直接「別の世界から来た」と、明言されたわけではないがナウデラード大樹林なる名称も、ましてや竜なんて生物もこの地球には存在しない。そして謎の怪力に言語の所得など不可解な力も相まって、シェリアの異世界人説は最も有能な説である。まぁ、『説』なんて大きな話にするつもりは毛頭ないのだが。


 故にシェリアに元の場所に戻りたいと言われると本当に困る。なぜなら謎の空間と繋がった扉は元の状態に戻ってしまい、何度くぐってもうんともすんとも言わなかった。


 それに飛鳥は竜がいると言う森なんて関わりたくもなかった。魔法のような力に関しては少しは興味あるが、自分がそれをいきなり使いこなせるとも思わないし「それを使って一緒に竜を倒しましょう」なんて言われた日には、全力で土下座をする覚悟がある。


 飛鳥はソファに座って上を向いた。正直なところ、この先どうなるか全く予測がつかず不安になった。


 シェリアに伝えた言葉も思った感情も嘘偽りなどこれっぽっちもないが、その場の空気に少し流された節もあった。先ほどの自分のとった行動や言動を思い出すと恥ずかしさに身を呑まれ、壁や床に頭を打ち付ける勇気のない飛鳥は、代わりにソファに顔を埋め座布団で頭を覆った。


 そんなこれからのことに頭を悩ませていた時に、寝室からガタンと音がした。シェリアが起きたのだろうと寝室に向かうとベッドの上でタオルケットを握りしめて座っている彼女の姿を発見する。


(よしよし、ちゃんと服を着ているな)


 うんうん、と頷く飛鳥の姿を発見してシェリアはホッとした表情を見せた。口には出してはいなかったが、目が覚めた時に一人だったのを不安に思っていたのであろう。シェリアにとって寝室は初めてな空間だし当然といえば当然である。


「よく眠れたか?」

「……ん」


 寝起きだからなのか、それとも一度寝てリセットされたかなのかは分からないが、どこかぎこちなさを感じる。できることなら後者だけは勘弁してほしいものだが。


 すると小さな音でくぅ〜とシェリアの腹部から音が聞こえ、恥ずかしそうにお腹に手を当て下を向いてしまった。


「はは、何か軽く作ろうか。ソファに座って待ってて」

「……ん」


 飛鳥はシェリアを誘導しソファに座らせる。


「あ、そうだ。大雑把で良いんだけどこれからシェリアが何をしたいのか一応考えといてくれないか?」

「何を……したいか」


「あぁ、もう帰れないかもしれないだろ?なら目的もなくただ時間が過ぎるのってなんか勿体無くね?」

「えっ? 帰れないの?」

「えっ、だって扉もう元に戻っちゃったし」


 飛鳥は親指で扉を指しながら言うとシェリアは立ち上がり、早足で扉の前に行く。

 開かれた扉の空間をじっと見つめ……。


光円環ユグア・アール


 シェリアがそう呟きながら両手を胸の前で合わせ、すぐに離すとその手の間に白い光の輪が現れ、徐々にその輪は大きくなり直径約六〇センチほどで固定される。

 次に、握られた両拳をゆっくり開くと二つの小さな光輪が出来、それを先ほどの大きな輪の左上と右下に少し重ねるように配置する。


光文字ユグア・グーラ


 続けてそう唱えるとシェリアの右手人差し指が、光の輪と同じように白く光る。そして、先ほどの三つの円環の内外に素早く文字を記入し始めた。


 その様子に呆気にとられ何が起こっているのかわからぬまま飛鳥はシェリアをじっと眺めていた。


 そして一通り書き終えたのかシェリアの指から光が消えると、宙に浮く大きな円環の中央に手を置く。次第に手が置かれた中央から文字が輝き出し、そしてそれは全体に広がる。


「……開け」


 シェリアは祈るように言うと、先ほどまで廊下だった空間が歪み始める。


「えっ、何これ。ちょい待てちょい待て!」


 やがて、歪んだ空間が安定し始め、そこには見覚えのある真っ暗な空間が現れた。流れ込んできた異世界の空気が夜の生暖かい空気を一気に冷やしていく。


「……よかった。ちゃんと繋がる」


 シェリアは振り向きにっこりと笑う。


「はは……よかったね」


 飛鳥は腰を抜かし尻餅をつき乾いた笑いを浮かべるのであった。




 —————




 飛鳥は今、夜食で作った炒飯を食べるシェリアをぼんやりと眺めていた。


 小さな口いっぱいに詰め美味しそうに食べる彼女が、先ほど鬼気迫る勢いで宙に文字を綴っていた者と同一人物とは到底思えない。


「はぁ……」


 思わず溜息が出る。その溜息に反応しシェリアの体が強張るのを感じた。


「あぁごめん。ちょっと考え事をしてただけだから……」


 考え事、それはシェリアの心情である。飛鳥はシェリアがここまで森に帰りたがるとは思っていなかった。訳も分からず放り込まれ長い間、孤独に押し潰されそうになりながらも必死に生き抜いてきた。

 そんな場所にあそこまで躍起になって帰れるかを確認したシェリアは、一体何を思っているのだろうか……。

 だから飛鳥は失礼を承知で聞くことにした。


「なぁシェリア。シェリアはその……元いた森に帰りたいって思ってるのか?」


 飛鳥に問いかけられ口に含まれた炒飯を、きちんと飲み込んだ。


「森には、私がずっとしてきた研究が残されている。それが無駄になるのは……やだ」

「……研究?」


 シェリアの常に半開き状態の目がさらに細くなる。


「私は法術しか使えない。そんな私があの森で生き抜くために……。そして、いつかあの森を出て外の世界を見るために……、私はずっと研究してた」

「法術ってあの魔法みたいなやつ?」

「私、魔術は使えないよ?」

「え……?」


 飛鳥は似たような単語が飛びあい頭がこんがらがってきた。


「ちょっと整理しよう。シェリアは法術って言う魔法が使えるってこと?」

「……あー」


 シェリアがぶっきらぼうな声を出す。どうやらシェリアは飛鳥の頭を悩ませる元を理解したようだ。

 シェリアは魔法——正式には魔法術と言われる——とは魔術と法術の総称だと言う。「魔法が使える」とは魔術と法術をどちらも使うことができるということ。

 ではその魔術と法術はどう違うのか。

 その違いは簡潔に言えば魔術が攻撃、法術が防御。もちろん攻撃と防御以外にも魔法は存在するが必ずこの二つのどちらかに分類されるらしい。

 シェリアとの扉の押し合いで使われたのは『筋力強化アウドーラ』と、言われる法術師の必須法術である。自分にも、そして他人にもかけることが可能である。

 そして会話が可能になったのは『言語共有リズリーク』だ。言語共有の法術をかけられたものは耳に入ってきた言葉を理解しそれを話すことができるようになる。


「じゃああの扉をシェリアの世界と繋げたのも法術ってことか」

「……」


 シェリアは押し黙った。飛鳥は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと自問する。


「シェリア……?」


 たまらず飛鳥は声をかける。さっきまで普通に会話していたはずなのにシェリアは、一言も話さなくなってしまった。少しして、シェリアは再び口を開いた。


「あれは正直、何かわからない。法術であることは、間違い無いと思うけど……私はもともと、召喚法術の術式陣の研究をしていたの」

「召喚?でもあれってどう見ても……」


 そう、あの扉にかけられたのはどう見ても召喚といった類のものではない。魔法なんてからっきしの飛鳥から見てもそれは明らかだった。

 そして、そんな自分でも分かっていないような法術を、飛鳥の部屋で躊躇なく放ったシェリアに若干危険視するも、悪気はないのはその様子から窺える。

 しかし、召喚法術なるものを研究していたはずなのに異世界同士を繋ぐ扉を作ってしまうあたり……。


(シェリアってもしかしてちょっとポンコツ入ってるのか?)


 そんなことを思っていると、顔に出ていたのかシェリアがそれを感じ取りほっぺを膨らませ、眉を少し吊り上げる。怒っているのだろうがその顔は実に癒されるものがあった。

 飛鳥はそれをはぐらかすように言う。


「まぁとりあえず話はこれぐらいにして、今日はもう寝よう」


 テーブルを挟み、ソファの向かい側に設置してる台にテレビとそのすぐ横に置かれているデジタル時計を見る。

 時刻は二十二時半を少し回っていた。普段はこの時間から寝るようなことはないのだが、飛鳥は今日あった試験の勉強をするために遅くまで起きていたし、今日訪れた奇々怪界な現象で一日の行動限界を超えてしまっていた。


(それに、これ以上話し出したら止まらなくなりそうだしな……)


「……ん」


 釣り上がっていた眉もまたすっと垂れ下がりシェリアも区切りがいいと思ったのかそれに同意する。

 そう口にするだけで、若干眠気を感じたような気がした。それはシェリアも同じなのか、小さい口をめいいっぱい広げあくびをするのだった。

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