暖かい食事

「これがボディソープでその隣がシャンプー、こっちがコンディショナー。ここの蛇口を捻れば水が出るから。それでこのモニターの下にあるボタンで温度調節して。」

「あっ、あの……」

「ん?なんかわからないことある?」


 飛鳥は少女に風呂場の説明をする。今まで触れないようにしていたがこの少女、ずっと胸にボロ布を巻いているだけで、あとは素っ裸である。


 それを恥じらう様子もなく、気にしたら負けと言わんばかりに飛鳥は心を無にし彼女と接する。


 だが、今は性欲よりも彼女から漂う匂いにより打ち消され、苦痛の顔を出さないように努めていた。


「あ、あの……これ何なんですか?」


 少女はボディソープ、シャンプー、コンディショナーの三つの容器指差す。


「えっ?シャンプーとか使ったことない?」

「……」


 少女は黙ったまま小さくこくんと頷くと怯えるように下を向いてしまった。


 飛鳥は、この少女が今までどんな暮らしをしていたのか気になったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。早くこの臭いの元を断たなければと、躍起になっていた。


 一つ一つのことにひどく怯えてしまっている少女には無理もないだろう。いきなり見知らぬ男の家で風呂に入れなど普通怯えても仕方がない。

 まぁほぼ全裸でも平気な彼女に、そういった怯えが存在するのかは疑問だが、飛鳥は少女の不安を煽らぬように優しく答える。


「ボディーソープは体を洗うために、シャンプーは髪の毛や頭皮を。コンディショナーは何だったかな、髪の潤いをキープするとか何とか。まぁそれぞれにちゃんと役割があるんだよ」


 少女はこくこくと頷く。


「それでこのノズルを押すと出てくるからそれを体なり頭なりに付けるといいよ」


「ん。……わ、分かった」


 少し優しく接したからか先ほどより微かに硬さが取れたように感じた飛鳥は胸をなでおろす。


「じゃあ俺は外に出てるから。着替えとタオルも置いておくよ。あっ、あとすぐここからお湯が出てくるけど、俺が外で操作してるだけだから心配することはないよ」


 飛鳥は浴槽の中を指差すと少女もそれを覗き込む。その姿を後ろから確認すると、未だにビニール紐で結んだままなのに気づく。


 普通気づきそうではあるが色々と感情を抑え込んでいるせいなのか、頭からそのことがすっぱりと抜け落ちていた。


 飛鳥はするって紐を解くとむわっと広がる臭いと、今度こそおさらばだと感激に浸る。


「あ、最初出てくる水はだいぶ冷たいからそこんところは気をつけてね」


 と、最後に付け足し飛鳥は浴室から脱出した。


 鼻の奥に残る臭いが未だ飛鳥を苦しめるが散々苦しめられた臭いとついにおさらばだと思うと感激に浸る。そして、


「キャッ!」


 浴室から聞こえたその声にやはり水を被ったかと、内心にやにやしながら着替えとタオルを用意する。


 飛鳥は自分のために、そして彼女のために食事を用意することにした。遅めの昼食、そして早めの晩御飯だ。




 ―――――




 あの謎の少女が風呂に入ってから、すでに四十分ほどが経とうとしていた。飛鳥は一度トイレに行き手を洗うために洗面所に入ったが、すでにシャワーの音はせず、湯船に浸かっているようだった。


 洗面所を出た後で女の子の風呂に聞き耳をたてる自分の気持ち悪さに溜息をつきながら、飛鳥は料理の仕上げに入る。


 それからさらに二十分ほど経ち、廊下に繋がる扉が開かれる。リビング中央にあるローテーブルに料理を並べる飛鳥はその姿に目を奪われた。いや、奪われない方がおかしかった。


 風呂から上がった彼女は、先程までの汚いイメージを拭い去り、ごわごわとミノムシのような髪の毛は拭き残った水滴が光に反射し、金色の髪と合わさってキラキラと輝いて見えた。


 女性の最も目につく髪の毛が美しさを取り戻すことにより他の部分にも輝きが蘇るようだった。


 すらりと伸びた健康的な手足は無駄な肉など存在せず、そのシルエットに磨きをかけ、僅かに割れ、引き締まった腹筋はそのくびれをより強調させる。


 そしてその肉体の上には火照った小さな顔が乗っかっていた。前髪が鬱陶しいのか髪を搔き上げ、飛鳥はその美しい姿に魅了された。


 そう、その美しい姿がなんの隔たりもなく飛鳥の目に飛び込んできたのだ。


「なんで服着てないんだよ!」


 目を奪われてしまった飛鳥はなんとか言葉を絞り出し、目線を逸らす。


 飛鳥はうな垂れた。少女は素で忘れたような反応をするとすぐに脱衣所に戻っていく。


(どんだけ全裸になれてんだよ……)


 飛鳥は思わず眉間に手を当てため息をつく。


 キッチンに戻り大きめのボウルに作ってあったサラダを小皿に取り分ける。


 その様子を少女が扉から顔だけを出し、こちらをじっと見ていた。飛鳥はメンズのTシャツと短パンを用意しておいたが、部屋着は飛鳥自身少し大きめのものを着用していたので、彼女がTシャツを着ると太ももまでを覆った。しかし短パンはどうであろう。飛鳥が着ると膝を軽く被さる程度であったがその少女を見ると大体自分と同じほどの長さで落ち着き、その足の長さ、そしてスタイルの良さが窺える。


 そしてその見覚えのある自分の服を着ている少女を見て、世の彼氏どもが「彼シャツ」なるものに興奮する理由を理解した。


 一向に部屋に入ってこようとしない少女を手招きし座布団に座らせる。そして、


「行き倒れるほどお腹が空いてんだろ?ならあのカレーだけじゃ足りないだろ。飯作ったからお食べ。まぁ人に振る舞う予定なんか無かったから、質素な食事で悪いけど」


 テーブルに向かい合わせにちょこんと座る少女は、その食事の量、そして空腹感を募らせ、鼻翼をくすぐりはするものの、先程と同様にどこか遠慮している様子だった。


 飛鳥は彼女が料理に手をつけやすくするために、あえて何も言わずに一人で食べ始めた。


 昼から何も食べてなかったので質素な食事でも箸が進む。


(焼肉のタレってやっぱり万能だな。なんの変哲も無い野菜炒めがこんなに美味くなる。お、大根の酢の物に入れたわさびがいい味出してんな)


 そんなことを思いながら、飛鳥はちらりと少女を見る。箸が使えない可能性もあったので共に用意しておいたフォークに手に取り、サバの塩焼きに突き刺した。


 その小さな口でパクリと食べると、目を見開き一気に食べ始める。次いで他の料理にも手を伸ばし、そのペースは止まらない。


「うっ……ひぐっ」


 彼女にとって、手の込んだ食事にありつけるのは、生まれて初めてのことだった。そして、料理だけではなくそれを与えてくれた飛鳥の暖かさに、彼女は食べながら目に涙を浮かべた。

 次第にその水滴が零れ落ち、堪らず嗚咽を漏らす。


 飛鳥はただ黙って涙を流す少女と共に、今はただ腹を満たすために手、そして口を動かし続けた。

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