彼女のいた森

 ものの二十分ほどで全ての料理がなくなった。飛鳥は三分の一ほどしか食べておらず、残りの料理は全て少女の胃袋に収まった。


「あ、あ、あの……その、その、ありが……と。お、美味し、かった……」

「はいはい、お粗末様でした」


 飛鳥は食器を片しながら答える。やはり目の前で自分の料理をうまそうに食べてもらえるのは気分がいい。ひとまず洗い桶に水を張り食器を沈める。


 今なおちょこんと座ったままの少女の元に戻る。飛鳥は彼女に色々と聞きたいことがあった。どこからきたのか、扉の押し合いの際、急激に上がった腕力、急に理解することのできた言語。


 だが、飛鳥がまず第一に聞きたいことはただ一つ。


「君の名前教えてもらってもいいかな?あ、俺は飛鳥って言います。笹畠飛鳥ささはたあすか


 飛鳥は自分の名前を教え、彼女に問う。正直、ここまで名前がわからないことで色々と不便を感じていたので、早急に名前を聞き出したかった。


 少女は一瞬困ったような表情を見せた。しかしすぐにそれは消え失せ答えた。


「し、シェリア」

「そ、シェリアね。呼び捨てで大丈夫?」


 シェリアと名乗った少女は飛鳥の問いにこくんと頷く。


「さてと……」


 飛鳥はひとまず名前を聞き出したが他のことも聞くためには、今なお固まっているシェリアの緊張をほぐさなければならない。


 共に食事を済ませることで多少警戒を解いたと言っても、まだまだ怯える様子が抜けきらない。

 シェリアに「ちょっと待ってて」と、伝えると飛鳥は洗面所に行きあるものを取ってくる。


 彼女の髪の毛はその長さのせいか時間が経ったにも関わらず未だ全く乾いた様子がない。


 飛鳥は話を円滑に進めるためにも洗面所から取ってきたドライヤーで乾かすことで距離縮めることにしたのだ。


 南向きの取り付けられた窓に対し垂直な角度で置かれたソファーに座り、その足元に座布団を敷く。ここに座れと言わんばかりにポンポンと叩くとシェリアは一瞬身動みじろぎはしたものの素直に座布団に座った。


 コンセントを刺しスイッチをLOWに入れると弱めの風が吹き彼女の頭から十五センチほど離れたところで揺らしながら毛先に向かってかけていく。


 ドライヤーから出る風と音に驚いたシェリアは体をさらに強張らせたが、だんだんその温風に安らぎを感じだした。


「熱くないか?」

「……ん」


 飛鳥は念のためにとシェリアに聞くと、首を縦に振りながら答えてくれたのでよかったと思い続ける。

 かなりの長さなのでそれなりの時間がかかったが、綺麗に乾かすことができた。


 初めはとんでもない刺激臭に土が加わり見るに耐えない状態だったが、乾かし終わった後は絹のように柔らかく指通りも完璧だ。

 水滴が付き光で反射していた時とは違い、その薄い金髪自体が輝いているようだった。


「どうだ?」


 シェリアは立ち上がり「お〜」と言いながら髪に指を通す。持ち上げ、サラサラと流れる髪が自分の物とは思えない様子で、頭を右に左に動かして揺れる髪を眺める。


「髪が濡れたままだとこの季節でも風邪引くかもしれないからな」

「……ありがと」


 満面の笑みを抜けられ思わず目を背けそうになったが、下心が無いことをアピールするためにこちらも優しく微笑み「どういたしまして」と答える。


 今までは詰まりながら声を出していたが、すんなりとお礼を言われたことで飛鳥はシェリアとの距離が縮まったのを感じた。


「じゃあ、ひと段落ついたところで色々と聞きたいことあるんだけどいいかな?」

「……ん」


 やっと本題に入れる。飛鳥はようやくここまでたどり着いたのだ。




 —————




 テーブルで向かい合うように座る飛鳥とシェリア。


 それぞれの前には冷えた麦茶の入ったガラスのコップが置かれている。


 西の空がほんのりオレンジ色を醸し出していたが、すぐに陽が沈むようなことはない。気温が下がり、網戸から流れ込む風が心地よい。


「それで色々聞きたいんだけどさ、まずシェリアはどこから来たの?」


 飛鳥は直球で聞いた。


「私は……森。多分、ナウデラード大樹林にいた」


 ナウデラードという記憶にはない名称が出てきたが、飛鳥はそれよりも気になったことがあった。


「多分ってどういうこと?」

「言い伝えにあったことと、一致してることが多かったから」

「言い伝え?」

「……ん」


 シェリアは聞いたのが昔のことなどで詳しいことはあまり覚えていないが、と付け足し話しだした。




 —————




 シェリアの話によるとその言い伝えとはただただ絶対に出られない森のことらしい。一度体が完全に入ってしまうと出ようとした瞬間深い霧に視野が遮られ、気付かぬうちにどんどん森の奥へと進んでしまう。

 イタズラをした子供を叱るときに「ナウデラード大樹林に連れて行くぞ」という常套句まで存在するという。


 そんなナウデラード大樹林から唯一脱出する方法がある。それは森を守る守護竜の討伐であった。

 シェリアが多分といった理由は、永遠に出ることのできない森の中で、その竜を発見したからだった。


 シェリアが森に入ったのは六歳か七歳の頃らしい。それまでは家族にはいないものとして扱われていたシェリアだったが、一番上の兄だけは優しく接していてくれていた。しかし、ある時急変した兄に突き飛ばされ気を失っている間に、森の中に放り込まれていた。

 以来、シェリアはずっと一人で森を彷徨っていた。


 シェリアの見た目は大体十八、九歳ほどで自分とさほど変わらない。そのことを考えるとシェリアは最低でも森の中で十一年は暮らしていたことになる。


 話している間、シェリアは震えていた。特に兄の話をしているときはその震えが伝わってきそうな勢いだった。

 飛鳥は最初に見たシェリアの異様な警戒心にも納得がいった。シェリアは自分に害をなす男というよりも、人間そのものに恐怖を抱いていたのだ。


(こいつも……か)


 飛鳥の内にはシェリアへの同情とどうしようもない人間の傲慢さに対する憎しみが湧き上がる。


「何となく、わかるよ」

「……え?」


 飛鳥の無意識のうちに出た言葉にシェリアは素っ頓狂な声を上げる。


 飛鳥は「何を言っているんだ」と、言わんばかりに自分の不用意さを嘆く。


 だがここまでシェリアが自分のトラウマとも言えることを話してくれたのにこちらはだんまりを決め込むのもどうかと思い自分のことについて話す。


「……俺には両親がいないんだ。まだ赤ん坊だった俺は、育ての祖父母に拾われてずっと暮らしてきた」


 飛鳥はシェリアの目をじっと見たまま、続ける。


「ずっと一人だったシェリアと違って、祖父母がいた。弟が一人、妹が三人いる。弟と一番下の妹以外は誰も血が繋がっていないんだよ」


 飛鳥はテーブルの上に置かれたお茶を一口飲む。


「そして祖父母も三年前に死んじゃってな。……一人きりだったシェリアの気持ちはさすがにわかんないけどさ、家族に捨てられたって気持ちは、何となくわかるよ」


 シェリアが自身の胸元を強く握る。その強く握られた手は今まで以上に震え、どうしようもない感情が今にも爆発しそうになる。


(分かるんだよな……)


 飛鳥は立ち上がりシェリアの側で腰を下ろす。


(何で捨てられたんだろうって……。自分の何が悪かったんだろうって……)


 自分がシェリアの立場ならもう二度と、他人と関わり合いになりたくないと思ってしまうかもしれない。


 自分が何をしたのかも分からず、何も知らされず、自分を見つめ直すことすらできず、ただただ捨てられた。


 まだ幼かったシェリアにはそれが、ずっと心の中で根付き、蝕み続け、いつしか人間に対する険悪感だけが残っていっま。


 それでも彼女は飛鳥に近づいた。


 嫌いなはずの人間に。あの暗い空間で身を潜めていれば、きっと飛鳥は彼女を見つけることはできなかった。


 それでも彼女は飛鳥に近づいた。それはきっと、きっと……、


「ずっと一人が、寂しかったんだよな」


 飛鳥は彼女の胸元で握り締められた手を、そっと両手で包み問いかける。


 もしも自分が祖父母にも拾われずにいたら……。そう考えずにはいられない。

 

飛鳥はシェリアに手を差し伸べることで、軽い高揚感を覚えた。拾われて救われた飛鳥は、今度は彼女を救いたいと思った。スケールの大きな彼女の話を聞いた今、飛鳥が彼女に出来ることがたとえ少なかったとしても。


 シェリアは先程までとはまた別の震えが起こる。それはただ安心からくるものだった。


シェリアは自分では気にしていないつもりだった。一人でも平気だと心の中で、無意識のうちに言い聞かせていた。だが、その願っても意味のないその感情を、飛鳥はこじ開けたのだ。


 何とか泣くまいと上を向き、または首を振り、体を揺らし、歯をくいしばる。しかしそんなシェリアの意思とは反対にその目には大粒の涙が浮かび、溢れ落ちる。シェリアは飛鳥の胸元に顔を埋め大声で泣き叫んだ。


 シェリアにとってあの扉の繋がりは、そして飛鳥の存在は闇を照らす一点の光だったのかもしれない。


 真っ暗な空間に差し込む扉からの光。シェリアはその光を見て、何も考えず近づいたのだろう。


「今まで、一人でよく頑張ったな」


 飛鳥は優しく、優しく彼女の頭を撫でた。


 日は今まさに沈もうとしている。だんだんと暗くなっていくのが目で確認ができ、その闇を照らすように街中の街灯や家庭の光がまばらに灯り始める。


(シェリアにとっての光は、まだまだ少ないかもしれないけど……)


 いつかこの夜景のようにあたり一面の闇の中にいくつもの希望の光が灯ることを願っている。


 いつのまにか泣き疲れたのかシェリアは飛鳥のあぐらの上で眠ってしまっていた。


それでも飛鳥は優しく彼女の頭を撫で続けた。

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