ドア越しの攻防

「おいおい、ほんとどうなってんだこれ……」


 飛鳥は意味のわからない状況に恐怖を覚えたが首を軽く振り、決意を固めると扉から首だけを出し辺りを見渡した。

 左右上下隈なく見渡し真っ暗だということを除けば、特に代わり映えのない様子だった。


 しかし扉の裏側を見た瞬間、瞬く間に血の気が引き飛鳥はすぐさま首を引っ込め、扉を勢いよく閉めた。


「…………はぁっはぁっ」


 いた。「何が」と問われれば「何か」としか答えることができない。暗闇をずっと凝視していたことで、少し闇に慣れた目が捉えた「二足歩行の毛に覆われた生物」が脳裏をかすめる。


「なんだ……あれ。なんなんだよあれ!」


 あまりの恐怖に飛鳥はただ叫ぶことしかできなかった。


 扉からは、やはり冷たく暗い空気が漂っていることから、今なお扉の向こう側は謎の空間、そしてさっきの毛玉がいると考えていい。


 腕を組む飛鳥はこの状況を整理する。しかし、整理すると言っても「いつも通り帰ってきたら部屋に変な生き物がいた」で片付いてしまう。全くと言っていいほど情報が足りないわけだ。


 今、この部屋で何が起こっているのか確認しようと扉を少し開けた瞬間、目と目が合うなどもってのほかだ。


「わざわざ実家に帰るって嘘ついてまで一人で帰ってきたのにふざっけんなよ!」


 壁を叩き、つい口から本音が漏れる。基本的に外では人当たりも良く振舞っている飛鳥だが、その実態は出来ることなら、常日頃から一人でゆっくりと過ごすことが好きなただの猫かぶり陰キャである。


 なかなか扉に向かい合うことができずにいたが、ここであることに気づく。それは、あの生物が向こうからやって来る気配が全くないのだ。


(……俺のことに、気がつかなかったのか?)


 そう思考するが、その考えをすぐに頭から消し去った。飛鳥は目を確認したわけではないが、あの生物の体や頭の角度から目が合ったのは確実だ。

 つまりあちらからはこちらに干渉できない。もしこの扉がどこか別の空間につながっているのだとしたら、向こう側からは扉が見えず、こちらが赴いた時に初めて繋がるのかもしれない。


 なんて、そんなご都合展開に期待するのはどうかと思ったが、飛鳥はこの動かない状況を打開するために再び覚悟を決める。


「買った食材も早く冷蔵庫に入れたいしな。……アイスはもうダメかもしれないけど。」


 家に帰ってきてからもう三十分ほどが経過していた。食材を買ってからだともう一時間が経とうとしている。いくら扉から漂う冷気があるといってもそれも限界があり、このままだと一週間分の食品が駄目になってしまうだろう。


 飛鳥はそんな軽いことを考え、気持ちに無理やり余裕を持たせる。


 意を決し、静かに扉を開こうとすると、


 ガチャッ


 緊張のせいか体が硬くなってしまい、扉から音が漏れる。


 思わず息を飲むんだ。そして何も起こらないことを確認するとドアノブを引き、僅かにできた隙間から再び覗き込む。


 眼球だけを左右に動かしあたりを確認するが見た感じ何もいない。

 目つきに安堵の色が見え強張った頬が緩み、小さく顎を引く。


「うぁぉぉぁぁぁあぅあぉぉぁあぁっ!」


 小さく顎を引くと当然目線が下がる。その下がった目線の先に毛玉の生物がいた。


 しゃがんだ姿勢から見上げるようこちらをじっと見つめ、廊下の光に僅かに照らされ薄い金色の毛が露わになる。その毛が重力によって左右に分かれ、その隙間からはっきりと金色の目が確認できたのだ。


 完全に目が合ったのだ。


 飛鳥は叫ぶと同時に勢いよく扉を閉じようとするがその瞬間、毛玉から伸びてきた手によってがっしりと扉を捕まれ阻まれてしまう。両腕だけでは毛玉から伸びる片腕の腕力に劣り、ジリジリと扉が開いていく。


 開く隙間と同時に徐々に眼に映る毛玉の姿の割合が増し恐怖に蝕まれる。


 すぐさま扉に体を押し当て全体重をかけ、腰を落とし力の限り扉を押す。


「何っなんだよ!聞いっ……てねぇよ、こんなの!」


 扉を掴んでいる毛玉の腕を足でも何でも使って引き剥がそうかと考えたが、その一瞬が命取りになる予感がして行動できずにいた。


 そして、毛玉は扉を掴んでいた腕とは逆の腕をドア枠にかけ、更に込められた力が伝わった。


「……ア……ラ」


 小さく、小さく毛玉から呟かれた言葉。何と言ったかは全くわからないが、その時、飛鳥は確信した。謎の声の正体。今までもはっきりとその声を聞いたわけではない。が、直感的に今、目の前にいる謎の生物と、今までこの部屋にまとわりついた心霊現象である声の主が同じであると確信した。


 その声を聞いた直後、毛玉の手元が白く光ったかと思えば、飛鳥はすぐに体が浮くような感覚に襲われる。扉越しに拮抗した状況が一瞬で崩れ去った。


 扉に体を密着させていた飛鳥は弧を描く扉に従い、正面にではなく壁に叩きつけられるように飛ばされた。


 後頭部を壁にぶつけあまりの衝撃に一瞬意識が飛びかけたが、すぐに座り込んだまま扉に目を向けた。


 ずっとしゃがんだままでいた毛玉がのそっと立ち上がり、飛鳥の視線と重なった。

 ここで飛鳥は初めて謎の生物の全容をはっきりと目にした。


 全身を覆っていた薄い金色の毛玉の正体は、伸びに伸びまくった髪の毛であり、その長さはおそらく膝上あたりまである。そして、その奥から髪の毛とはまた違う金色の瞳が、じっとこちらを凝視する。やや猫背なその姿勢により立ち上がってもなお、正面に垂れ下がった髪の毛のせいで、顔を確認することはできなかった。身長はぱっと見、百六十センチよりは高いぐらいだが全身を覆う髪の毛の影響なのか、それとも飛鳥が見上げるようにその金色の毛玉を窺っているからなのかは分からないが、本来の身長よりずっと大きく見えた。


「……¥&@……/:/%__£€*」


 二人の間に起こる沈黙は恐怖に打ちのめされた飛鳥ではなく意外にも相手によって破られた。


 扉の押し合いをしていた時よりは多少大きな声ではあったが、やはり小さいことには変わらず、以前聞いた謎の声と同様に自分の聞き覚えのある言語ではなかったため、何を言っているのか理解することができなかった。


 だが、敵意を感じたわけではなかった。


「あ、あの……」


 飛鳥も何とか意思疎通を図ろうとするが言葉を発した瞬間、相手が強張るのを感じた。

 飛鳥が話しかけてくるとは思っていなかったのか、少し目線を逸らし考えるそぶりを見せたかと思えば、すぐにこちらを向き直し、一歩を踏み出した。


 飛鳥と相手の距離はそこまで離れていない。せいぜい二、三歩といったところだ。


「えっ、何!?」


 近づいてこないので安心しきっていた飛鳥は踏み込まれた一歩を目に捉えるとつい声が裏返ってしまった。


 立ち上がろうとするが腰が上がらない。足をばたつかせるように、しかし目は相手から逸らすことなく必至に逃げようと足掻く。


 一歩二歩と近づきながら、金色の髪の毛の間から片手を上げ人差し指をこちらに向けてくる。そこを動くなと言わんばかりに。


「リズ……ク……」


 再度、小さく呟かれたのを聞くとその時、飛鳥の目に不可解な光が飛び込む。自分に向けられた人差し指、その先に赤紫色の光が集まっていた。


 さながら戦闘民族の王子にとどめを刺した死の光線のような光に飛鳥の恐怖は絶望へと変化した。しかし……、


 バタッ


 それは杞憂に終わり金色の毛玉は突っ伏すように前のめりに倒れこんだ。それと同時に指先に集まった光は霧散するように空中に溶けてなくなってしまった。


 そしてその緊張を解くようなぐぅぅ〜〜と、いう音とともに廊下には再び静寂が訪れる。


 それと同時に、開かれていた扉の向こう側に見える景色が歪み、もとの見慣れたリビングが現れる。

 急に眼を貫く日の光に目を細めるがその心境は安心と、この状況に対する疲労が一気に押し寄せるのであった。

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