竜の言葉

 翌朝、早々に朝食を済ませてた飛鳥とシェリアは竜の待つ渓谷へ向かった。今までは荷物を背負っていたがこの後訪れる戦闘のことを考え、神杖以外の荷物を全て『空間箱エスプ』で二センチ角に圧縮した。


 シェリアは草原に入ってからすぐに竜の気配を感じていたらしいが、飛鳥はその渓谷への入り口、山と山に挟まれた谷の麓にたどり着き、やっとその気配を感じ取った。

 冷たく、そして張り詰めた空気が漂ってくる。

 飛鳥はつい固唾を呑むが握ってきたシェリアの手の暖かさで平静さを取り戻す。


「この先、もうそんなに遠くない」

「あぁ……行こう、か」


 言葉が詰まってしまったが心はどこか安心しきっており、飛鳥は逆に竜に早く会いたいとすら思っていた。

 すぐ側に人一人が通れるような道ができており飛鳥とシェリアは渓谷の景色を見ながら進んでいく。青々と生い茂る木々によりトンネルが作られ、側には清流も流れていた。


「すごいな、ここまでの景色見たのは初めてかも」

「ん、私もこの景色好き。でも希望の丘の方が、もっと好き」

「希望の丘?」


 飛鳥はここに来て初めて聞く名称に首をかしげる。


「ん。勝手にそう、呼んでるだけ。いつ行っても、いろんな草花が観れる。今度一緒に行こ」


 シェリアは首だけで振り向き微笑みかけてくる。

 その笑顔に顔が少し火照り思わず顔を背けてしまうが「そうだな」と、静かに返しお互い黙り込んでしまう。

 だが、その静けさが逆に心地よく草木が風に靡く音や、水が流れる音が高なろうとする心をさらに癒していく。


「着いたよ」


 木のトンネルを抜け、少し進むと飛鳥の眼前に高さ二メートルほどの洞窟が目に入った。この洞窟を抜けた場所に竜が待っているとのことだ。

 飛鳥は目で合図を送り、物音を立てぬように慎重に歩を進める。

 洞窟の入り口から出口の光が見える。本当にすぐそこまで来た。ここまでくると流石に平静を保つ方が難しい。

 しかし別にやけくそになっているわけではない。自分には守ってくれる人がいる。それだけで足が竦むことはない。


 だんだん出口の光が明るくなり、ついに外の光が目の前を覆う。

 その瞬間、飛鳥は目を見開いた。竜だ。真っ白な鱗に覆われキラキラと輝く巨体を前に飛鳥は一瞬瞬きを忘れてしまう。そして、


「すげぇ……」


 そう呟いた。無意識に出た言葉だった。その神々しく夢幻的な姿に心を奪われても仕方がない。

 しかしシェリアだけは違った。彼女は知っているのだ。その竜の本質を。その意識を自分に向けられた時の絶望感を。

 飛鳥の声に反応したのか竜の目がゆっくりと開き、丸まった体を起こす。赤い目玉が飛鳥を捉え、その場の空気が一変する。

 その竜が放つプレッシャーに飛鳥は片膝をついてしまい、真っ白いはずの竜の周りに真っ黒いオーラのようなものが見えたような気がした。

 しかし飛鳥もシェリアも決してその竜から目を背けない。自然界においてそれは敗北を意味する。

 この戦闘が二人の始まりであり、絶対に負けるわけにはいかない。飛鳥は鳥肌が立ち武者震いをしながらも強く拳を握る。


「さぁシェリア、ここからだ!ここから始まるんだ!」

「ん、負けない。今度こそ、逃げない!」


 飛鳥は背中に背負っていた魔女の神杖を、シェリアは腰に差していた賢者の神杖をそれぞれ手に取る。

 しかし、その興奮はある一言によって完全に冷めきってしまう。


「待っていましたよ。ナントラーの子らよ」


 竜からの予想外の言葉。一瞬二人はポカンと行動を止めてしまったがシェリアが何とか口を開いた。


「なんのことを、言ってるかわからない。私の親はナントラーなんてな前じゃなかった……と思う」


 シェリアが反応したのに一歩遅れて飛鳥も竜に問う。


「それに待ってたってどういうことですか。あなたは何を知っているのですか」

「申し訳ありませんが私はその問いに答えることはできません」


 ですが、


「あなたたちの願いを叶えることはできます」


 その言葉に二人は目を丸くする。飛鳥はこの言葉が『なんでも願いを叶える』ではないことをすぐに察した。


「この森から出してあげましょう」


(どういうことだ……)


 飛鳥は竜の答えに、やはりと思いつつも釈然としない。


「……この森を出るためには、あなたを……倒さないといけないんじゃないの?」

「そうですね」


 竜はゆっくりと昔を思い出すように目を瞑り首を上に向ける。


「そう、ナントラーに言われ、ここでどれだけの時が経ったのでしょうか」

「先程『ナントラーの子』って言いましたよね?誰なんですか、それは」


 飛鳥は最も聞きたかったことを聞いた。


「ナントラー。あなたたちが『原初の魔法使い』と呼ぶ者」

「……原初の、魔法使い?」

「確かシェリアの話で出てきたな。確か……魔女と賢者の生みの親、だったよな」


 シェリアはこくりと頷く。


「……なんで原初の魔法使いはあなたにこの森を守るように言ったの?」

「ふむ、私は守護者であって、答えを与える者ではありません。それに答えることはできません」


 竜はその赤い目でシェリアをじっと見る。その竜に睨みつけられると、どうしてもそれ以上問いただすことができない。


(『ナントラーの子』ってのは魔女や賢者を指してるってことでいいのか? その俺たちが森の脱出のために訪れた、それは……)


飛鳥は今考え得ることをできる限り瞬時にまとめた。


「俺たちが魔女や賢者だからこの森を出すってことですか?」


 そして、飛鳥はこれぐらいなら聞いても相手の不快にならず答えてもらえるだろう、という問いを素早くチョイスする。


「えぇ、魔女、そして賢者が単体で挑むものなら負けることはないでしょう。ですがその二人が揃えば私では敵いませんからね。やるだけ無駄です」


 あっさり自分が負けると告げたことに飛鳥もシェリアも拍子抜ける。


「分かりませんよ。俺は過去の魔女がどれだけ強かったか分かりませんが俺が歴代の魔女で最弱という事だけはわかります」


 竜は飛鳥の言葉に目を見開き大きな口を開ける。


「はっはっはっ!」


 竜はおもむろに笑い出す。


「神杖を手にしたものは歴代の知識を受け継ぎ、その力を自覚する。魔女や賢者に限らず時が流れることにより新たな知識をその神杖に植え付け後世に残す。そこに魔術のみ、法術のみという制限が課せられたとしても己が最も強いものだと、先代より上だと自負する。だというのに……」


 竜は飛鳥の顔を食い入るように見る。


「自身を最弱と呼ぶとは。……賢者の見た目をした魔女、ですか。面白いですね」


 その美しい容姿からただならぬ気配が漏れる。竜が体を起こし臨戦態勢に入るのがわかる。飛鳥もシェリアも瞬時に神杖を構える。


「あなたが歴代で最弱なのかはわかりません。私もその全てに会ったことがあるわけではありませんしね」


 竜の視線がシェリアに移されたのを彼女は瞬時に理解し、いつでも法術を使用できるよう身構える。


「あなたはどうですか?賢者の娘よ。……おや? あなたは先日お会いしましたね」


 先日と聞き飛鳥はシェリアの方を見る。信じられなかった。目の前にいる竜は何を言っているのかと。シェリアとはここ数日常に一緒だったから。


「私は確かにあなたと会ったことがある。……でもそれはもう数年前のこと。」

「ふむ、もうそんなに経っていましたか。私にとっては二、三日前のように感じますね。……それでどうですか。あなたにはその最強の自覚がありますか?」


 竜の体感時間の違いにシェリアは内心驚かされたが得意のポーカーフェイスは健在で竜の問いに頭を回す。


「……分からない。賢者の知識に穴がある」

「でしょうね」


 竜はシェリアの回答に被せるように言う。


「あなたの持つその賢者の神杖は本来の姿ではない。元々は魔女の杖と同等の大きさ、そして先端に月を象る装飾が施されています」


 シェリアの持つ賢者の神杖はおよそ三十センチほどで魔女の神杖と同じだと言うのならだいたいその五、六倍はあることになる。


 だとすればシェリアの『穴がある』という言葉にも納得がいく。本来の六分の一の長さ、そして太さも違う賢者の神杖からはそれ相応の記憶しか受け継がなかったのだ。シェリアはここでようやく神杖を手にした時の違和感に気づいた。


「やることが一つ増えたな」

「ん」


 賢者の神杖探し。外の世界を旅し、飛鳥の親を探す。確かに手間は増えるだろうが結局は世界を回ることには変わらない。


(ならとことんまで付き合おうじゃないか!)


 飛鳥は賢者の神杖を眺めるシェリアをじっと見つめる。


(なんか、それが近道なような気もするしな)


 すると竜は突然その大きな翼を一扇ぎするとそこに爆風が立ち込める。その後、後ろ足で立ち上がり翼を大きく広げ太陽の光を一身に浴びその白い鱗がキラキラと輝きだす。


「魔女と賢者は『巡る、繋がる、連動する』。わかりますか、魔女を受け継ぐ少年よ」


 唐突に話を振られた飛鳥はキョトンとするが、そんなことは御構い無しで竜は続ける。


「魔女と賢者は『連動する』。つまり……」

「……魔女の知識も欠けてるってこと、か?」


 竜は静かに頷く。そして。


「それでも!」


 急に竜の声が大きくなる。


「その不完全な魔女の力を抜きにしても、まだ! 己を最弱と宣うのであれば……今ある知識で最高の魔術を私に、放ちなさい」


 始め強かった声は最後には優しく諭すような声となる。それがあまりにも切なくて儚く感じてしまった。それは『原初の魔法使い』の残した力がこの世の中で最も力を持つ者の証であると、飛鳥に自覚させるために。


「いいのか?」

「ええ、構いませんよ。元々、あなたたちは私を倒しに来たのでしょう?」


 シェリアの方を見ると心配するような目でこちらを見つめてくる。

 飛鳥はそんなシェリアを見つめ、一回だけ首を縦に振る。それを見たシェリアは優しく微笑み返してくれた。


「本気で行くぞ」


 飛鳥はそう言うと目を瞑り、魔女の神杖を両手で持ち横に構える。


『消えるその火は凍える炎』


 次に、飛鳥は前に突き出す右手を下に、左手を上に動かし神杖を回転させる。その杖を中心に杖より少し大きい赤い円環が現れる。


『感じぬその火は恵の炎』


 そう唱えると一つ目の円環の前に少し小さめの赤い円環が現れ、飛鳥は回転する杖を右手で横に振り払うように掴む。


『そして』


 左足を力強く踏み抜き、前に突き出した左手で二つの円環を操り竜に照準を合わせる。そして杖を持つ右手を顔の横で突きの構えを取る。

 その様子をシェリアが手を組み祈るように眺める。


『輝くその火は命の炎。火葬一陣エクラノア・ペル・アントラ!』


 左腕と入れ替えるように突き出された神杖の先端は勢いよく円環の中心を貫た。

 その刹那、あたりは赤、黄、白、そして橙の光に一瞬で包まれる。

 円環から勢いよく放たれた極炎は「轟!」という爆音とともに一直線に竜に向かった。




 —————




 いきなり発せられた光によって目の自由を奪われたシェリアの視力が次第に回復した。

 あたりからパラパラと瓦礫が落ちる音が聞こえ、徐々に煙が晴れて行く。

 そこでシェリアは目の当たりにする。立っていた竜の右腕の脇下から大きく半円を描くよう巨大な穴があり、背中の翼、さらに後ろの山にも大きな空洞ができていた。

 右腕は今にも千切れそうになり、その胴体もまたその巨体を支えるには明らかに不充分すぎた。

 しかし竜は決して倒れず堂々とそこに君臨する。


「どうです。少しは自信がつきましたか?」


 その声もまた先程と何も変わらぬ声質でその痛々しい姿からは想像もできぬことであった。

 シェリアは視線を竜から少し下げると、その竜から決して目を逸らさぬ飛鳥の姿があった。

 飛鳥は竜の前に膝を、そして地面に額を擦り付ける。


「ありがとう、ございました……」


 自分の身を呈して魔女の力を自覚させる。その竜の心構えに、そして決して崩さぬその姿に飛鳥は頭を下げることしかできなかった。


「気にすることはありません。私はナントラーの肩翼として当然のことをしたまでです。……さて」


 平然とする竜の立ち振る舞いとは反対に右腕は今にもその体から千切れ、地面に落ちそうになっている。


「時間がありません。両腕がないとあなた達を外に送れませんから……」


 飛鳥は立ち上がりシェリアもその側に駆け寄る。


「うん。いい顔になりましたね」


 竜はにっこりと微笑む。


 シェリアは初めて竜に出会ったときのことを思い出した。恐怖に蝕まれはしたが本気で死にたくない、生きたい、そして外に出たいと本気で思うことができた。


「ありがとう……ございました」


 シェリアは深く頭を下げる。


「頑張るのですよ。あなた達ならできるかもしれません。ナントラーの成せなかった事を……」


「また会いに来てもいいですか?」


 シェリアの問いに竜はポカンとしてしまう。


「ふふっ。お待ちしております」


 そういうと、竜は両手を合わせ空間転移法術の本陣を飛鳥とシェリアの下に起動させる。


 そこからは一瞬である。二人の姿は消えその空間に静寂が戻る。

 そこでやっと竜は満身創痍の表情になるがすぐにまた平然とした顔に戻る。

 すると竜の欠損した肉体が徐々に再生していきすぐに元に戻ってしまった。


「あぁ、ナントラーよ。私はまた死ねませんでしたよ。ですがきっと、あなたの元へ……」


『原初の魔法使い』の言い伝えはおよそ、三万年以上昔の話。つまりその頃からこの竜は生きていることになる。

 その超回復をする肉体のために森の守護を任されはしたが、徐々に抜け出せない森の噂は広がり人が近づくことすらなくなった。

 寿命などほとんど存在しない白竜は誰かに殺されるしか死ぬ方法がない。


(確かに彼の言う通り、彼は最弱かもしれない)


 魔女の力ならばこの命を消すことが出来るかと思ったがそれは失敗に終わる。


「ですが、それは今だけですよ。『巡る』、『繋がる』、『連動する』。忘れてはいけませんよ」


 竜は体を倒し再び眠りに就く。




 —————




「⁉︎……なんだぁ今の。まさか⁉︎」


 干し草で作られた簡易ベッドの上でくつろいでいた灰色の髪をした男が唐突に感じた衝撃に体を起こす。


「まさか、魔女か?ヒャッハー! この時をどれだけ待ち望んだことか、やっとだ! 今までどこに隠れてやがったんだ、このやろーめ!」


 その強靭な肉体を持つ男は柄にもなくテンションが上がる。


「ん? でもこの方角って……、ナウデラードの森かよ!クッソ近づけねーじゃねーかよ!」

「ですがついに動き出した魔女のことです。また別の場所で気配を感じるかもしれませんよ」


 荒れる男を鎮めるように側使いの女性が答える。


「ま、それもそうだな。これまでずっと待って来たんだ。やつがまた動き出すまでのんびりと行くか」


 女性はホッと息を吐く。女性は理解していた。男が暴れ出したら誰に求めることができないと。このタイミングで現れた魔女に歯噛みする女性であった。




 —————




「何事だ!」


 ある国の玉座に一人の女王がその臣下に問いかける。


「詳しいことは分かりませぬが恐らくかなり離れた位置からの魔術だと思われます」

「あの規模の魔術を特定できぬほど遠くから行使するだと⁉︎ まさか魔族がついに現れたのか⁉︎」


 女王は親指の爪を噛む。


「それもまだ調査中ですのでしばらくお時間を」

「ええい、何を悠長な事を言っておるのだ! もし本当に魔族だとしたら早々に準備を始めておらねば手遅れだぞ! 私も出る! 各兵に通達せよ。『もしもの時は命を捨てる覚悟を決めよ』とな!」

「ははっ、今すぐに」


 ナウデラード大樹林からかなり離れた位置にあるこの国の遥か上空に、飛鳥が放ち、森の結界を突き破った火葬一陣が通過する。

 国の女王はその以上事態を緊急と捉え速やかに行動に移す。

 自身の国を、そして自国の民を守るために。




 —————




 薄暗い一室の中、一人の男が椅子の背もたれになりながら魔女の気配を感じとる。


「なるほどこの方角は……ナウデラードか。そりゃ見つからないわけだ」


 男は棚に収納された数多くの石板に触れる。


「あぁ、まだかな。早く僕の願いを叶えておくれよ」




 —————




 異世界の各地で魔女の復活を感じ取った者は決して多いとは言えない。だが、過去に魔女と関わりを持ったことのある人物は、その存在を感知した。

 飛鳥にとってそれは茨の道であり立ち塞がる壁であることには間違いない。

 しかし止まるわけにはいかない。共に旅する少女のためにも、そして自分のためにも。


 少年は少女とともに進み続ける。

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