#3:運命の日

 迎えた秋。モードカレッジの一大イベント当日、ファッション・ショーが行われる大ホールで、私は人混みにその体を潜ませていた。モニターには、ランウェイを歩くモデル学科の人間のプロモーション・ビデオが流れている。凝った映像だ。

 数々の美女が映っては消え、また移っては映りを繰り返すその煌びやかな映像の中に、彼女の顔が映し出された瞬間、言葉として聞き取れないほどに重なっていた無数の声が歓声へと収束した。ショーが始まるといったタイミングに観客の興奮を盛り上げる演出。そしてそれを最大限に活かして見せた、彼女のカリスマ性あるからこその一瞬。私は改めて、彼女の凄さを実感した。

 照明が落ちた。静寂の後に押し寄せる、まばゆい光。大歓声と共に、華々しいショーが幕を開ける。

 お腹の底を震わせるような音楽と共に、ランウェイがスポットライトに照らされた。最初に現れたモデルは、学科の中でもそれなりの人気を誇る生徒だった。紅いベルライン・ドレスをたなびかせる姿は絵本のお姫様のようで、ヒートアップした会場の空気を一気に引き上げる。

 それからも、たくさんのモデルがランウェイの上を練り歩いた。その一人一人が華やかだ。しかし私は、今までにない緊張に胸を支配されていた。

 何故なら、コンペに参加したデザインは、どの作品がどれだけの順位なのかを明かされていないから。最優秀とされたデザインを除いて、それを着るモデルの容姿とマッチしたものがショーで用いられているのだ。決まっているのは一つだけ。最優秀作品は、ファイナル・モデルが身にまとう。

 ファイナル・モデルは姫野瑞月だ。審査委員会満場一致。過去に類を見ない最速決定だったらしい。彼女ならば、どんな服だろうと着こなしてみせるだろう。

 彼女を輝かせる。そのためだけに、私はあのドレスをデザインした。彼女に着てもらうという、ただそれだけのために。他の人では、駄目だ。一人、また一人とモデルがランウェイ上に姿を見せる度に、私はその身体を見つめた。あれは私のデザインじゃない。それが分かると、ようやく深い息を吐き出せた。そんな激動を何度も繰り返す。何度も、何度も、何度も。果てしない時間が流れたような気がする。

 しかし、その色が目に飛び込んできたのは、あまりにも唐突だった。

「わあ。あのカクテル・ドレス、綺麗な色」

 隣に立っていた名も知らぬ女性の声を、私は遠くで聞いていた。そのドレスの色はナップ・フラッペ。積み重なる冷酷なアイス・クラッシュの下で、透き通って輝く月色のカクテル。出会った夜、月を飲む彼女の哀しいまでの美しさを、その色彩に落とし込んだ、私だけの、彼女のためだけの、ドレス・デザイン……。

 足から力が抜ける感覚。私はこのまま崩れ倒れることを、誰かに許して欲しかった。埋めつくす歓声が遠ざかる。

 ほとんど悲鳴に近い喝采に、私は大ホールへと引き戻された。惰性で投げかけた視線の先、彼女が、ランウェイに立っていた。まるで太陽のような、赤いプリンセスライン・ドレスを着て。

 彼女は、美しかっただろうか。輝いていただろうか。ホール中に響き渡る称賛の叫びは、一体誰に向けられているのだろうか。

 月なんて、どこにもいない。

 思わず漏れた嗚咽。ふいにこちらを振り向いた彼女と、確かに目が合った。どんなに距離があったって、見逃せない。その潤んだ瞳。

 そこが限界だった。私は周りの人間を無理やり押しのけ、叫びながら、何にも振り返らず走った。駆ける、駆ける。欠けた心の痛みから逃げるように。

「陽奈っ」

 彼女が叫んだ私の名が、幻聴だったのかどうかは分からない。ただ背後から迫る会場の歓声に先までの興奮はなく、ただそこには、戸惑いと混乱だけが渦巻いていたようだった。

 気付いた時には、私は駅の大通りで立ち止まっていた。見上げた夜空に星はなく、ただ鈍色の雲に塗り潰されていて、あまりにも残酷な景色だった。

 涙を拭うこともせず、私はフラフラと大通りを離れ、迷路のような裏路地を進む。やがて視界の先に映り込んだ明滅するネオンサイン。示された五文字。安寧の場所。この世界中を探したとしても、私が逃げ込めるのはここ以外にない気がした。そうして私は、焦げ茶色の扉に縋りついたのだ。

 これが全てだった。

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