第12話 「魔王様、不意打ちを受ける」

『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』




 重々しい咆哮と共に、丸太のようなこん棒が振り落とされてきた。

 さすがに、こんな重厚な一撃を受け止めるような愚を犯す私ではなく、横手に飛び退いて回避する。

 私がたったいままでいた場所に果断の一撃が叩き落され、盛大な土砂を巻き上げており、大きな穴がぽっかりと。

 これを見るだけでも、どれだけの威力なのかがわかるというものだった。


 とはいえ──



「当たらなければ意味はない!」



 ロードへとひと息に踏み込み、蒼雷まとう斬撃を叩き込む。

 ぶしゅうっと腹から鮮血が吹き上がるものの、ロードは何ら痛痒を示さない。

 どうやら、分厚い皮下脂肪が鎧の代わりをしているらしい。




『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』




 ロードが空いている片手で私を握りつぶそうとしてくるも、私はロードの足を切り裂きざまにすでに飛び離れていたので、その片手は虚空を握りしめるのみ。

 すかさず私は、氷魔法を発動。

 一瞬でロードの足元が氷に閉ざされる──しかし、次の瞬間にはあっさりと氷が粉砕されてしまう。



「ち……っ、下級程度じゃ足止めも出来ないか……っ」



 ならばと、今度は火炎球をロードの顔面めがけて解き放つ。

 しかし五月蠅そうに振り払われた片手で、あっさりと吹き散らされてしまう。

 だが飛び散る爆炎によって、一瞬だがロードの視界が塞がる。


 この間隙を逃す私ではない。

 

 巨躯へと怯むことなく肉迫した私は、突進の勢いのままで蒼の切っ先をロードのつま先へと突き刺していた。

 肉を切り裂き、そのまま土に突き立った感触が、柄から伝わってくる。

 本当ならばつま先の骨を両断したかったところだが、骨が予想以上に固かったようで、ぶつかった衝撃で剣の軌道が変わってしまっていたのだ。

 だが、これといって問題はなかった。



「これならばどうだ!」



 切っ先に纏う蒼雷を解き放つ。

 ロードのつま先の内部にて、遠慮なしに雷が暴れ狂う。

 そこで初めてロードが痛痒を示したが──




『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


「な──」



 まさか、剣に貫通されているつま先をそのまま強引に蹴り上げてくるとは思っておらず。

 反応が遅れた私は、大きく蹴り飛ばされてしまう。

 その衝撃で剣も引き抜かれており、さらにロードが怒りの咆哮を轟かせ。

 私は背中から強かに、民家の壁に激突していた。



「がは……っ」



 背中からの激痛に、思わず吐血。

 とはいえ、ロードからの今の攻撃に対するダメージは、軽微だった。

 なぜならば、いまのは攻撃というよりも、痛がって足を振り上げた、といった程度のことだったからだ。



「それでも、こんなに吹き飛ばされるのか……」



 つま先が触れた腹部に痛みが走るも、深刻なダメージは受けていないことを確認する。

 内出血くらいはしているだろうが、いまその程度のダメージなど、気にする場合ではないのだ。




『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


「ブギャ……!?」



 八つ当たりというやつなのか、ロードが手近にいたレッサーをこん棒で頭から叩き潰していた。



「おいおい……あんな凶行を許していいのか、魔獣使いよ」



 ちらりと見れば、件の魔獣使いは離れた民家の壁に寄りかかって座り込んでおり、戦闘に興味がないとばかりに、ひたすらに貪欲に食事を続けている。



「元凶が優雅なものだな」



 吐き捨てるが、当初の作戦通り、あの魔獣使いは今すぐは殺さない。

 殺したかったが……

 あの男のコントロール下にあるからこそ、この場の魔獣たちは村人を襲わないからだ。

 みすみす状況が悪くなるようなことを、するわけにもいかないのである。



「てっりゃああああああああ!」



 ウルの威勢の良い声に目を向ければ、ちょうど影に拘束されている魔獣を鉤爪で屠ったところだった。

 その彼女の側面からこん棒が振り回されてくるも、バッと地面すれすれまで伏せて回避・猫のような俊敏さでもってすくい上げる様な一撃を繰り出しており、真下からその魔獣を切り裂いていた。


(猫のようなって……狼族なんだけどな、ウルは)


 奮闘するウルの一方では、兵士バースも負けてはいなかった。

 アテナのサポートを元に、見事な槍捌きで次々と魔獣をなぎ倒していたのだ。

 そして時折見せる体術には、目を見張るものがあった。



(あの動き……元は冒険者とかか?)



 詳しい素性は聞いていないので、いまは想像するしかできない。


 下級魔獣とウルたちの戦況は、アテナの援護がある分、ウルたちが優勢といってもいいだろう。

 兵士バースの戦力が予想以上であり、お世辞抜きに、彼が助力してくれたおかげともいえるだろう。

 故郷の解放と仲間の敵討ちが、彼の力を今だけは必要以上に底上げしているのかもしれない。

 火事場の馬鹿力、というやつだ。



(明日、とんでもない筋肉痛になるだろうな……)



 などと思っていると。

 民家の壁によりかかっていた私のすぐ横に、オークの頭部が猛烈な勢いで投げつけられてきた。

 まるでトマトのように、その頭部はぐしゃっと叩き潰れる。




『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


「……やれやれ。休憩はここまでか」



 身体が重かった。

 いまの私は、たったこれだけの運きでもすぐ疲れてしまうのだ。

 まったくもって嫌になってくるが……現状、嘆いてばかりもいられないだろう。



「もう少しくらい休ませてくれよな、まったく……」



 予測以上に私は”弱く”なっていたということを、痛感させられる。

 だが、ここで退くわけにはいかないのだ。

 もういまの私には、民を守る義務などはないのだが……



「さて……第2ラウンドといこうか、ロードよ」



 深呼吸してから、私は怒りの形相となっているオーク・ロードへと疾駆する──




 ※ ※ ※




『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』




 力任せに振り回されてくるロードのこん棒。

 私は戦術を、ヒットアンドアウェイに変更。

 こん棒をかいくぐってはロードの身体を切り裂き、決して深追いはせず、すぐに距離をとる。


 先程も述べたが、どんなに威力がある攻撃だろうとも、当たらなければ意味がないのだ。

 しかし一撃でも直撃を喰らえば致命傷となるので、重たくなる身体に鞭打って、あまり効果のない火炎球や氷で牽制しながら、私は必死で動き回る。


 息が切れてくる……が、断じて歳のせいではない。


 ロードが忌々しげな咆哮を轟かせた。

 自分の攻撃は当たらないのに、敵──私の攻撃が次々とヒットしていくことが、面白くないのだ。

 とはいっても、ロードの肉の防御力は高く、私の斬撃では致命傷を与えることは出来ていないが。


 ある意味では一方的な展開と言えたが、しかし私の攻撃はロードに効果的なダメージを与えることは出来ていないので、苦戦している、と表現したほうが的確なのかもしれなかった。


 繰り出されたこん棒が生じさせた風圧が回避した私の前髪をかき乱していき、思わず冷や汗が噴き出して来る。

 直撃していたら、私の頭なんて一瞬でミンチとなっていることだろう。


 その後も、私とロードは戦い続ける。


 切り刻まれていく赤道色の身体。

 対する私も無傷とはいかないが、致命傷だけは確実に避けており。

 それに伴い、どんどん身体が重くなっていき、息が上がってくる。

 弱体化の影響に舌打ちひとつ。

 長引くと、疲労困憊となった私が不利となることだろう。



(しかし、おかしいな)



 ロードとのギリギリのラインでの攻防の最中、私は違和感を感じていた。

 このオーク・ロードからは、まるで知性を感じなかったからだ。


 最初からロードとして生まれる魔獣はおらず 上級魔獣が進化して、初めてロードクラスとなるのだ。

 そしてロードに進化したのならば、それなりの知性があるはずなのだ。

 しかしいま目の前にいるロードには、その知性がまるで感じられなかった。


 どちらかというと……



(まるで知性のないレッサーじゃないか……どういうことだ……?)



 その答えを知るであろう魔獣使いを見やるも、彼は一心不乱に食事に埋没しているのみ。

 こっちが必死に戦っているというのに、あいつは食事にしか興味がないらしい。

 思わず、個人的な殺意が湧いてくるというものだった。




『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


「ちっ──」



 距離をとっていた私へと、ロードが手近にいたレッサーを掴み、投げてくる。

 飛び離れて躱すものの、ロードはその動きを予測していたのか、今度はこん棒を投擲してきた。


 着地直後だった私は、回避行動に移れない──その刹那。


 飛来するから伸びた黒の両手が巻き付いており、こん棒を中空にて縫い止めていた。


 ウルとバースを援護する合間に、アテナが私の援護もしてくれたらしかった。



「貸しひとつです、クレア様」

「……助かったが、貸しを作ったのは後が怖いな」



 苦笑い。

 一方で、攻撃が不発だったことに苛立ちを見せたロードが、地面を踏み鳴らしながら突進してくる。

 影を引きちぎってこん棒を取り戻しざまに、私めがけて大きく振り上げてきた。


 だが次の瞬間には、ロードの影から伸びた無数の黒の腕がその全身に絡みつく。


 ロードの膂力をもってすればすぐに振りほどかれてしまうだろうが、この一瞬だけは、動きが止まる。



「貸し二つ目です」

「がめつ過ぎだぞ!」



 どうやら下級魔獣の数も残りわずかになったということで、ようやくアテナが私の援護に本格的に回ってくれたようである。


 私はこの一瞬の隙を逃さない。


 外部からの攻撃が効果が薄いのならば、つま先の時のように、直接内部へとダメージを叩き込めばいいのだ。

 だから私は迷うことなく駆け出しており、ロード目がけて跳躍・同時に真下へと火炎球を爆裂させ、その爆風を利用してロードの顔面まで飛翔。




『ッゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


「威嚇は無意味だと言ったがな!」



 ロードの右目に、深々と蒼の切っ先を突き立てる。

 咆哮ではなく、痛みによる絶叫を迸らせるロード。

 錯乱でもしたのか、こん棒をあらぬ方向へと投げ捨てる。



「くらえ!!」



 切っ先に帯電する蒼雷を解放。

 ロードの頭内部にて、蒼の雷がはじけ散る。

 脳内を焼き尽くされ、その反動で左目が飛び出し、穴という穴から濁った血が噴き出す。


 さしもの頑強を誇るオーク・ロードとはいえ、頭部の中身を破壊されては、ひとたまりもなかったのだ。

 


 絶命したロードが、ゆっくりと倒れていく。

 


 地面に倒れ伏したその身体をクッションにして着地した私は、大きな溜め息を吐いた。

 そしてすぐにロードの状態を確認する。

 肉の焼ける嫌な臭いが発生しており、私は思わず顔をしかめてしまう。

 そして、ロードの頭部の穴という穴からは、どす黒い液体が流れ落ちていく。



「……ふう。さすがに、疲れたな」



 ロードの死体から飛び降りた私は、周囲を確認する。

 ちょうど、最後の一匹とウルが戦闘を展開中だった。

 アテナがウルを援護するべく動きを見せたので、その戦闘も間もなく終わることだろう。


 狂乱の魔獣使いは、ロードが錯乱して投擲したこん棒の直撃を受けて、身体の半分が潰れていた。

 このまま放っておいても、勝手に死ぬことだろう。



「同情はしないぞ。お前のやったことは──」



 私の言葉は、唐突に途切れることになる。

 なぜならば、私の脇腹に短刀が突き刺さっていたからだ。



「なっ……ぐう……」



 激痛が私を襲う。


 最後の魔獣を倒したウルが異変に気付き、声を上げた。



「えぇ!? なんでそんなことしてるのさ! バースさん!!」



 ──そう。

 いままさに、私に不意打ちを食らわせたのは、兵士バースだったのだ。



「な、なぜこんなことを……」



 意識が朦朧としてくる。

 全身の力も抜けてくるのは、恐らくは短刀に毒でも塗ってあったのだろう。


 私の弱々しい問いを受けて、兵士バースは、酷薄な表情を浮かべていた。



「難敵を倒した瞬間こそが、最大の隙となる」



 口調が、がらりと変わっていた。

 そして纏う雰囲気も、冷たいものへと変貌していた。

 故郷の解放を願い、仲間の敵討ちに燃えていた兵士の姿は……もう、どこにもなかった。



「お前、は……誰、だ……」



 そこで、私の意識は暗い闇の中に落ちていた──




 ※ ※ ※


 ※ ※ ※




 仲間だと思っていたバースから奇襲を受けたクレアが、力尽きた様にその場に崩れ落ちた。



「クレア!」



 駆け寄ろうとしたウルだったが、バースと名乗っていた男が牽制で短剣を閃かせたので、近づけない。

 しかしその瞬間、アテナが影術を発動していた。

 男の影から伸びた黒の手が、彼を拘束する。


 しかし──



「無駄だ」



 冷笑と共に男が頭上に解き放った光球が弾けるや、影がかき消され、黒の手も霧散してしまう。



「ふむ。こちらの手の内を明かしすぎましたね」

「なんでこんなことするんだよバースさん! 故郷を解放したかったんじゃないの!? 仲間の仇討ちは!?」

「そんなもの、この女を油断させるための嘘に決まっている」

「そんな……っ」

「察するところ、生き延びた本物の兵士を殺し、成り替わっていた、というところですか」



 冷静に、アテナが分析する。



「貴方のその発言から、狙いは最初からクレア様だったようですね」

「バースさん! あんたは何者なんだよ!」

「名乗る筋合いはない。女共、俺の邪魔をしないのであれば、見逃してやろう。依頼以外の殺しは、なるべく控えたいのでな」

「なるほど。”依頼”ですか。暗殺者の類のようですね」

「暗殺者!? なんでそんなのがクレアを狙うのさ!」

「答える義理はない」



 意識を失って倒れ伏しているクレアに手を伸ばそうとする暗殺者だったが、クレアの影から飛び出した黒の手により、中断させられる。



「……死にたいようだな?」

「まだ私への報酬が未払いですので。このままトンズラされては困るのですよ」

「あ、あたしだって! 黙って見てないよ!」

「そうか……ならば──排除するのみ!」



 暗殺者が動く。

 先程までの”兵士”としての動きではなく、”暗殺者”としての動きで、ウルたちへと疾駆する。



「え……っ」



 思わぬ速さに、ウルは反応できない。

 その彼女へと逆手に持った短刀が吸い込まれていくが──

 直後上がるは、金属音。

 ウルの影から伸びていた黒の手が、凶刃を受け止めていたのだ。



「ちっ。このような使い方も出来るのか」

「ウルさん!」

「せいやっーーー!」



 全身のバネを使ったウルの突進。

 暗殺者は余裕の動きであっさりと回避しており、続く動作による回し蹴りがウルに炸裂しており、彼女の小さい身体は大きく弾き飛ばされていた。


 トドメを刺すべく追撃態勢に移行しようとする暗殺者なれど、再び影から伸びた黒の手により拘束されてしまう。

 舌打ちと共に再び光球の爆発によって、影を霧散させる。

 その隙にウルは態勢を直しており、小さな唸りを上げて臨戦態勢に。



「どうあっても邪魔をする気か」

「当たり前だよ!」

「さすがにここでクレア様を見捨てるのは、寝覚めが悪くなります」

「……鬱陶しい」



 吐き捨てた暗殺者が殺気を放ち、ウルたちへと飛び掛かる。

 怯んだウルだがそれでも気力を振り絞り、アテナの援護のもと応戦。


 近接戦闘が展開される。


 暗殺者の武器は、逆手に持った毒塗り短剣と、卓越した体術。

 ウルは右手の鉤爪と、まだ発展途中の猫のようなしなやかさによる動き。

 アテナは影術のみ。


 それぞれが己の得意とする攻撃を駆使して、息も吐かせぬ激闘を繰り広げる。


 一対一では、ウルに勝ち目はなかっただろう。

 しかし彼女の隙を補うアテナがいることで、実力差が歴然としている暗殺者と辛うじて互角の戦いを展開できていた。


 大振りの鉤爪を半身だけ引いて躱した暗殺者がカウンターでウルの胸元を短剣で狙うも、ウルの影から飛び出した黒の手が盾となっており、態勢を直したウルが再び特攻。

 舌打ちで後方に飛び退く暗殺者なれど、その影から黒の手が伸びて動きを拘束。

 すぐさま光球で影を無効化して飛び掛かってきたウルを蹴り飛ばしてから、暗殺者が視線をアテナに向ける。



「なるほど。まずは、お前から始末したほうがよさそうだ」

「アテナさん!?」



 ウルの脇をすり抜けた暗殺者が、無手のアテナめがけて飛び掛かる。

 影術で牽制しようとするも光球によって無効化されてしまい、繰り出された凶刃がアテナの身体を斜めに迸っていた。

 その衝撃で態勢を崩した彼女へと、暗殺者は間断のない追撃を叩き込む。

 毒塗り短剣が何度も彼女の身体を切り裂いていた。



「アテナさん!!」



 悲痛なウルの叫び。

 しかし──アテナの無表情は変わらなかった。

 明らかに致命傷を負ったであろう彼女は、何ら痛痒を示さず、肉迫していた暗殺者の両腕を両手で掴んでおり、同時に影術を発動。

 アテナの影から飛び出した黒の手が、動きを封じられていた暗殺者の腹に叩き込まれていた。



「ぐう……っ」



 直撃。それでも暗殺者はアテナに蹴りを入れて、その反動で飛び離れていた。



「どういうことだ……? なぜ毒が効かない……?」

「素直に種明かしをするとでも?」



 ふらつきながらも、アテナは無表情で挑発する。

 答えは単純明快。

 彼女が、明確な肉体を持たない精霊だからである。


 暗殺者が使う毒は”人体”に影響のあるもののようなので、精霊には効果がなかっただけなのだ。

 とはいえ、ダメージは蓄積される。

 アテナは、自身の魔力が大幅に低下してしまったことを認識していた。


 精霊にとって魔力は死活問題であり、魔力低下は精霊にとって好ましい事態ではない。



(まずいですね……私とウルさんでは、この暗殺者を撃退することは、残念ながら難しいようです)


「アテナさん!」



 血相を変えたウルがふらつくアテナの傍に駆け寄り、彼女を庇うように暗殺者と対峙する。

 毒が効かないものの、ダメージを受けているアテナの姿に、暗殺者は短刀を構えなおした。



「理由は知らんが、どうでもいい。ダメージを受けているのならば、許容できないほどのダメージを与え続けるのみ」


 そう告げた瞬間だった。

 彼は、気づいた。



(なんだ……この異質な気配は……っ)



 一瞬ほど前までは感じなかったというのに。

 ふいに感じ取った”気配”。

 危機関知能力が全力で警笛を鳴らして来る。

 この場にいては危険だと。


 アテナとウルは気づいた様子はなかったが、暗殺者は裏の世界で感覚が研ぎ澄まされてきたために、その異様な気配に気づくことができたのだ。



(こいつらは……放置してもいいか)



 戦闘力を評価するに、この女共は脅威たりえない。

 ならば放置しても問題ないだろうと判断。


 暗殺者は、懐から取り出した手のひら大の球を地面に投げつける。

 その途端、視界いっぱいに煙が広がり……煙が薄れると、暗殺者とクレアの姿が掻き消えていた。



「逃げたの……?」

「クレア様の姿もありませんね。どうやら、連れ去ったようです」

「そんな……!? どうしよう!?」

「ウルさん、落ち着いて下さい。この状況では、ウルさんの鼻だけが頼りです」

「え……、あ! そうか! わかったよ!」



 獣人族であるウルは、身体能力が高い。

 ゆえに、嗅覚も人並み外れているのだ。


 鼻をふんふんさせることしばし……



「あっちからクレアの匂いがする!」

「お手柄です。急ぎましょう」

「うん!」



 ウルとアテナは、足早にその場を後にする──




 ※ ※ ※


 ※ ※ ※




「一匹しかとはな」



 身体の半分が潰れ、すでに事切れていた魔獣使いを、黒の宣教師が冷たく見下ろしていた。



「やはり、無能だったか」



 心無しか、死体の額に埋め込まれている小石が放つ禍々しい光が、その濃度を増している。

 無造作にその小石を回収すると、魔獣使いの死体が砂と化し、跡形もなくなっていた。



「ゴアアアアアアアアア……!」


「……なんだ?」



 傷だらけの魔獣が、黒の宣教師に襲い掛かろうと唸る。

 どうやら、生き残りがいたようである。



「時の流れで分際で、この俺に牙をむくか」


「ゴアアアアアアアアアアアアアア!」



 もともと知性がないからなのか、あるいは仲間を全て失ったことで半狂乱となっていたのか。

 黒の宣教師へと飛び掛かる魔獣だが──


 宙に、二条の漆黒の軌跡が刻まれる。


 一瞬で絶命した魔獣の残骸が、地面に転がっていた。

 黒の宣教師は、いつの間にか両手に現れていた漆黒の細身の双剣を振り払い、血糊を払う。



「知性すら失い、ただの獣に堕ちたは、同情を通り越して、もはや哀れだな」



 意味深なことを呟いた次の瞬間、闇がその全身を覆うと、黒の宣教師の姿は掻き消えていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る