第13話 「魔王様、不届き者を成敗する」

「……ん。ここは……」



 目を覚ました私のぼんやりとした視界に最初に飛び込んできたのは、木造の古びた天井だった。

 次第に視界がはっきりしてくると、ここが手狭な小屋だということがわかった。

 小さな窓から差し込む光がまだそれなりに明るいことから、意識を失ってから、それほど時間は経っていないのかもしれない。


 痛んでいる棚には用途のわからない雑貨が散乱し、よく見れば室内は荒れたままであり、どうやらここはどこかの廃屋らしかった。


 そこで私は気づく。


 いまの私は万歳する形で両手を固く縛られており、その紐は床に突き立っている短剣に結ばれていた。

 そして両足がで、両手と同じように床に突き立てられている短剣と紐で結ばれており、私は完全に身動きができなった。

 しかも私が寝かされている床には魔法陣が描かれており、どうやら魔法を封じる類のものらしかった。


 さらに最悪なことに……私の衣服は破かれており、肌もあらわな状態だった。

 全身的に気だるげなのは毒の影響かもしれないが、体感的に、何もされてはいないようだが……



(私が意識を失った後、どうなったのか……)



 状況がわからない。

 そしてアテナとウルの安否も。

 無事ならば、私を助けに来てくれると思うのだが……

 


「──目が覚めたようだな」



 声と共にふいに気配が生まれ、気づくと私を見下ろす人影が。

 兵士バース──だった者が、身を屈めて私の顎を手で掴んできた。

 鎧はすでに脱いでいるようで、いまは身軽な軽装姿だった。



「予想よりも目覚めが早い。さすがだな──は」



 動くことが出来ない私は、男を睨み付けることしかできない。



「何者だ、お前」

「答える義理はないな」

「……ふん。何者か知らないが、よほど私が怖いらしいな。つまらん小細工兵士に偽装をした上に、こんな念入りに拘束するとは」

「ああ、怖いな。元とはいえ最強魔王相手に、正面から挑むほど己を過信してはいない。臆病でなければ、裏の世界では生き残れないからな」

「……なるほど。裏の人間──暗殺者、といったところか。毒を使ったのは、確実に私を殺すためか」

「いや、それは違う。お前を拘束するために使っただけだ。すでに解毒済みだ、安心するがいい」

「なに……」



 私は、いよいよ当惑してしまう。

 何が目的なのか、わからなかった。

 ──いや。

 私のいまの状態半裸から察するに、こいつはこれから──



「お前にすぐに死なれては困るのでな。死姦の趣味はない」

「……下種が」

「これも依頼主からの意向なのだ。仕方がない」

「ふざけるなよ……っ」



 両手を動かそうとするもビクともせず、ただただ腕に紐が食い込むだけで、痛いだけだった。

 両足も同様であり、むしろ下手に動いたことで申し訳程度に残っていた衣服がはだけてしまい、乳房が白日の下に晒される結果に。

 だが私は気にせず、暗殺者に殺意を込めた視線を突き刺す。



「”仕方がない”で、私は嬲られるのか……っ」



 だが、暗殺者の反応はこちらの予想を裏切るものだった。



「ああ、すまない。言葉が足りなかったな。依頼主の意向だから、というだけが理由じゃない」

「……なに?」

「お前の美貌は、もはや武器だな。プロを自負していたこの俺が、魅了されてしまったのだから」



「…………」



 当然ながら。

 ここで賛辞を受けたところで、ちっとも嬉しくはなかった。


 私にとって嬉しくない告白をした暗殺者が、無造作に私の乳房に触れる。

 ピクンっと私は反応してしまうが、矜持でもって顔色は変えない。

 恥辱よりも、怒りの感情のほうが強かったからだ。



「ゆえに。お前を抱くのは依頼主の意向だけではなく、俺の意思でもある」

「……関係ないな。どうせ、私が嬲られることに代わりはない」

「安心しろ。苦しみや痛みは与えない。むしろ、お前をさせてから、逝かせてやろう」

「くぅ……っ」



 胸を揉みしだかれ始めたことで、思わず声が漏れてしまう。

 慌てて唇をかみしめ声を押し殺す私を、暗殺者が静かな眼差しで見つめてくる。



「美しいな……。殺すのがもったいと思ってしまう」

「……だ、だったら、依頼主には虚偽を報告すればいいだろうが……っ」

「くく。思わず本気でそうしたくなってくる。まったくもって、恐ろしい女だ」



 そんなことをしたら暗殺者としての信頼は失墜することだろう。

 もう裏の世界では生きていけないどころか、同業者から粛正されかねない。



「欲で全てを台無しにするほど、俺は愚かではない。一時の”夢”を見るのみで、己を自制することにしよう」



 右手で私の胸を揉みながら、左手がゆっくりと胸から腹、腰へと滑っていく。


 私の肢体は、過大評価でもなんでもなく、無駄な贅肉が一切ない実にしなやかなものだった。

 出るところはちゃんと出ているし、引っ込んでいなければならないところはちゃんと引っ込んでいる。

 当然だろう。

 贅肉だらけてプルンプルンだったなら、最強魔王なんて務まらないのだから。

 しかし……だからこそ、艶のある肢体が男の情欲を掻き立ててしまうのは、皮肉な話ではあった。



「っ……」



 なんとも繊細な手さばきに、意識しなくても身体が勝手に反応してしまい、ゾクゾクしてしまう。

 そしてついに、ふとももを撫で回した後、その左手が私の下着に触れる。



「さあ。共に、一時だが最高の夢を見ようじゃないか」

「……私に拒否権は?」

「くく。答えるまでもないだろう?」

「……そうか」



 身動きが出来ない状態。

 解毒したといっていたが、まだ完治していないのか重い身体。

 しかも魔法すら使えない。


 いまの私は……無力だった。


 まったくもって成す術がなかった。

 これはもう、自力ではどうにもならないだろう。

 まさかこんな廃屋で……

 人生、何が起きるか本当にわからない。



(年貢の納め時、か……)



 いまの私に出来ることと言えば……声を押し殺すことくらいだろうか。



(こんな最期を迎えることになるとはな……)



 無事かどうかもわからないが、アテナとウルが間に合う気配がなく。

 諦めた私は、静かに目を閉じる。

 男が私の下着を破った感触が伝わってくる──




「──ってりゃあああああああああああああああああああ!」




 ドアをぶち破る音と、待ちに待った狼少女の声が飛び込んでくるのだった。




 ※ ※ ※




「うぐ……っ、なぜここが……!?」

「獣人族の鼻を侮ったね!」

「ちいっ!」

「うきゃ……っ」



 暗殺者とウルの声は、そのまま外へと出ていった。

 気配や物音から、暗殺者がウルへと飛び掛かり、そのまま外へと出ていった、といったところだろうか。


 目を開けると、僅かに鮮血が壁に付着していた。


 先程まではなかったので、状況から察するに、暗殺者がウルの奇襲に対して反応が遅れたのだろう。

 私に意識を向け過ぎていたせいか、ウルがこの場に現れる可能性はないと高を括っていたのか、あるいは両方か。

 


「おやおや、これはこれは」



 いつの間にか私の傍らには、変わらず無表情のアテナが佇んでいた。



「お愉しみのところを邪魔してしまいましたか」

「……冗談はいいから、早くこの紐を解いてくれ」

「仕方ないですね。貸し三つめです」

「……勘弁してくれ」



 守銭奴のようなアテナによって解放された私は、紐が食い込んだことで痕がついた両手をさする。

 いまになって、じんじんと鈍い痛みを伝えてきたからだ。


 ビリビリっと音がしたかと思うと、アテナがメイド服のスカートの裾を手際よく切り裂いていた。

 そして私に手渡されたのは、スカートの裾から切られた二枚の長い布。



「すまない」

「お気になさらず。貸し四つ目ですので」

「……暴利すぎる」



 胸元と腰元にそれぞれ巻き付けた私は、改めてアテナを見やった。

 スカートの裾を切ったことで、いまの彼女は艶のある太ももが露わとなっている状態だった。



「ずいぶんと色っぽくなったな」

「クレア様には負けます」

「……確かに、な」



 苦笑い。

 外からは激しい戦闘音が。

 表情を引き締めた私は室内を見回すも、武器になりそうなものはなく。



「私の剣は持ってきてくれたか?」

「……申し訳ありません。回収を忘れました」

「ほう? 珍しいな、お前にしたら」



 いつも要領のいい彼女にしては、珍しいミスだった。

 私の言葉を受けて、アテナは本当に珍しく、その双眸を僅かに揺らす。



「私としたことが、慌ててしまいましたので」

「……そうか」



 叱責の代わりに、私は意地悪な笑みを。



「じゃあ、これで貸し借りは全部チャラってことで」

「……クレア様。暴君すぎますね」

「そうむくれるな、冗談だ。事が片付いたら、何か奢ってやろう」

「大盤振る舞いを期待しております」

「ちゃっかりしてるな」



 微笑してから、表情を引き締める。



「お前はまだ影術を使えるか?」

「いいえ。さすがに魔力を消費しすぎました」

「そうか……」



 かくいう私も、いまは満足に動ける状態ではない。



「なら、短期決戦だな」



 両手をバシっと叩いてから、私は無手のままで外へと繰り出す──




 ※ ※ ※




「あぐぅ……っ」



 腹に膝蹴りが直撃したウルが、ちょうど吹き飛んだところだった。

 暗殺者は追撃しなかった。廃屋から私が出てきたのを認識したからだ。



「おとなしくしていれば、痛みではなく天国を味わえたものを」

「ほう? お前にそれだけのテクニックがあると? すごい自信だな」

「私としては拝見してみたいですね。不感症のクレア様がどのように乱れるのか、興味があります」

「またお前は、デタラメを当たり前のような口調で」



 ボロボロのウルがすぐに動けない様子なのを見てとってから、暗殺者が私を改めて見据える。



「無手でこの俺と戦う気か?」

「武器を貸してくれるのか?」

「……愚問だな。面倒だが仕方ない。叩きのめしてから、先ほどの続きをするとしよう!」



 私めがけて、地を滑るように疾駆してくる暗殺者。

 魔法を封じる魔法陣から出たことで魔法が使えるようになっていたので、私は魔法を発動させる。

 地面が氷漬けとなるものの、暗殺者の動きには何ら停滞がなく。

 牽制で放った火炎球は、短剣の一振りで難なく吹き散らされてしまう。



「これならば!」

「笑止!」



 私に迫る暗殺者との中間の空間に氷の壁を形成するも、所詮は下級魔法のために幅は薄く、ただの体当たりで簡単に打ち砕かれていた。

 しかしそのことで、一瞬なれども暗殺者の動きに停滞が生じており。

 私は暗殺者へと踏み込みざまに、握りしめた拳で殴りかかる。



「──フッ」



 思わずといった感じで、暗殺者が小さく笑う。

 ただの拳など、なんの脅威でもないと思ったのだろう。

 そのために、余裕の動きで左手で私の繰り出した拳を受け止めようとする。

 ガシっと、私の拳があっさりと暗殺者の左手に受け止められてしまう。

 しかし次の瞬間──

 


 蒼の雷が迸った。



 私の”右手”から生じた蒼雷が、暗殺者の左手を感電させたのだ。

 その衝撃で暗殺者は目を見開くと同時に、弾かれたように態勢を崩しており。



「これでッ!」



 蒼雷をまとった蹴りが、暗殺者の腹に直撃していた。



「ぐはア……っ」



 血の糸を引いて蹴り飛ばされた暗殺者は、受け身もとれないままで地面に激突。

 しかしすぐさま立ち上がるものの、いまのダメージは看過できないものだったようで、腹部を押さえたままで動きを見せず、驚きを隠せない様子だった。



「そ、その雷は、魔剣の能力じゃないのか……」



 バチバチと爆ぜる蒼雷をまとう私は、にやりっと笑う。

 これこそが、私が最強魔王と呼ばれていた所以だった。

 魔剣の性能に頼らない力だからこそ、私は最強たりえていたのだ。


 ……まあいまは、全体的に能力が低下しているので、この力だけでは最強たりえないが。



「さて。そろそろ終わらそうか」



 私は冷徹に宣言する。

 しかし、これは只のブラフであった。

 正直なところ、もう立っているのがやっとだったのだ。

 まとう蒼雷も、一瞬でも気を抜けばすぐに溶けてしまうだろう。


 これは懸けだった。


 もう私には満足に戦えるだけの力は残されてはいない。

 暗殺者がヤケクソになって飛び掛かってきたら……確実に私は負けるだろう。

 今度こそ、こいつの慰み者と化すだろう……

 散々弄ばれた揚げ句、殺される。

 女として、最悪の結末である。



(どう出る……)



 内心ハラハラした心境でいながらも、悠然とした態度を装って暗殺者を睥睨すると……



「……さすがは、元がつくが最強魔王といったところか」



 腹部を押さえる暗殺者が、顔をしかめながら言ってくる。



「こんな隠し玉を持っていたとは……」



 すうっと大きく深呼吸。



「……我が名は、ウーア。今回は敗北を認めるが、この雪辱は必ず晴らす。そして必ずお前を──抱いてやろう」



 プロゆえに、引き際は誤らないといったところなのだろう。

 暗殺者は不穏な言葉を残し、空気に溶けるようにその姿が消えていった。


 しばらく周囲を警戒するも、姿を現す気配がまったくないことに、私はその場にへたり込む。



「よけいな捨て台詞があったが……どうにか、ハッタリが効いて助かったか……」

「そう言いながらも、本当は、あの男に抱かれることを望んでおられたのでは?」

「勘弁してくれ」



 私はそのまま仰向けに倒れ込んだ。



(今回はウルに助けられたな……)



 ちらりと狼少女へと目を向けると、彼女はまだ目を回しているようで、耳をピクピクさせながらも動く様子はなかった。




 ※ ※ ※


 ※ ※ ※




「──以上が、持ち帰った情報です」



 マイアス宅に帰還した少年──密偵のダミアンが、クレアに関する報告を述べ終えた。

 その報告を聞いていたのは、見目麗しい女性──クレアの妹であるラーミアだ。

 家の主であり彼女の夫のマイアスは、現在は公務のため魔王城に赴いており、この場にはいなかった。



「そうですの……じゃあお姉さまには、呪いがかかっていたのですね?」

「断言はできませんが……」

「確かにそうですわね。でもそうだとして、その魔女に会えば、呪いが解かれてお姉さまには最強の力が戻る、ということなのですわね?」

「想定が事実であるならば、その可能性は高いかと」



 ダミアンの言葉に、ラーミアはふむ、と顎に手を当てる。



「お姉さまの弱体化の原因が呪いとは、まったく思いもしませんでしたわ。こんなことなら、もっと早くに呪いに関して調べましたのに」

「申し上げにくいのですが”呪いかもしれない”ということなので、確定したことは何も……」

「そうですわね」



 そう答えるものの、「呪いについて調べないと」と呟く彼女からは、以前にクレアの失脚を知った時の狼狽した様子は微塵も感じられなかった。

 そもそもが、ラーミアという人物は思慮深いのだ。

 あの時は、驚天動地の想いから、思わず気が動転していたのである。


 そんな彼女へと、密偵少年はおずおずと進言する。



「分が過ぎた発言をすることを、前もって謝罪します。提案なのですが クレアナード様専用の密偵部隊を創設されてはどうでしょうか?」

「どういうことですの?」

「俺ひとりですと、情報を持ち帰ってまたクレアナード様の元へ、となると時間がかかりすぎてしまうんです。なので、中継拠点と定めた場所で、密偵同士で情報交換するんです」

「なるほど……そこまで考えが及びませんでした。ごめんなさい、私の不手際ですわね」

「あ、いえいえ! 別に俺はそういうつもりじゃ……っ」



 素直に頭を下げてくるラーミアに、ダミアンは慌てた様子でかぶりを振る。

 その様子にクスっと微笑してから、ラーミアは言ってきた。



「帰ってきたら、に提案しましょう。それでダミアン、帰還したばかりなのですし、私としてもいますぐ任務に戻れと言うほど鬼畜じゃありません。今夜は休憩の意味合いで泊まっていきますか?」

「……いえ。すぐに任務に戻らせて頂きます。こうしている間にも、クレアナード様の近況に変化があるかもしれないので」

「そうですか……ダミアン。貴方を頼りにしていますよ。お姉さまの身に何かあったら、助けてあげてください」

「力が戻られるまでは、微力ながらも全力を尽くさせて頂きます」



 では、と頭を下げた密偵少年は、足早にその場を後にする。



「お姉さま……」



 いま魔王城では、姉の居場所を守るためにマイアスが奮闘しており、力及ばずながらもラーミアも助力していた。

 状況はいまのところ五分五分といったところだが……この先どうなるかはわからない。

 そのため、一刻も早く、姉には力を取り戻してほしかった。


 と、別の部屋から赤子の鳴き声が聞こえてきた。

 どうやら、ラーミアの1歳になる息子がお昼寝から目覚めたらしい。



「あらあら……」



 母親の顔になったラーミアは、急いでその部屋へと小走りで向かうのだった。



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