チュートリアル

第一話 急逝×救世

“マジカル☆コミミン マジックショー”


 五年間の活動を経てようやく開けたコミのマジシャンとしての道。初公演を成功させた僕らは今まで以上にマジックの練習や装置の準備に力を注いでいた。

 ステージに出るのはコミだけだが公演に使う器具は十以上あるのである。整備や消耗品の補充と言った雑用はコミに代わってほとんど僕が請け負っていたのだ。


 開けた前途に未来は明るいと信じていた僕ら。が起きたのはコミと大学へ向かう道中の事だった。


「危ないっ、サイチ!」

 

 横からの衝撃。隣を行くコミから突き飛ばされたのだと気付いた時には、僕はなすすべもなく地面に尻餅をついていた。


「コ、コミ?」


 目の前で、一瞬遅れて降り注ぐガラス片は、ビルの窓が割れた物だった。地面を襲う鋭利な雨はコミの全身を打ち、その身体は真っ赤に染まっていく。


「なっ、コミ!」


「……サイチ、突き飛ばしちゃって、ごめん、ね」


 突如僕らを襲った地面の揺れ。視界が、脳が揺さぶられる。

 立つこともままならないほどの強力な揺れが続くと、周囲を包む喧騒はどんどん広がっていった。耳障りに鳴り響くクラクションに、甲高い悲鳴。ああ、うるさい! 僕はそれらの雑音を無視して何かを話そうと口を開くコミの言葉に全神経を傾ける。よろける体を無理やり動かしコミへと何とか近づいていく。込められた力が失われていくコミの言葉。話すたびに彼女の中から生命が漏れ出していくのが分かる。


「コミ! 何が。どうして」


「ハハハ。さ、サイチが無事で、よかったよ」


「コミ! 何を言ってるんだよ。なんで僕なんかを庇って」


「……」


 もう言葉も出せないのか、青白くなっていく顔。僕は這いずるようにコミに近づくと、手を伸ばす。地面についた掌に感じるガラス片の鈍い痛みを無視して彼女の頭を優しく持ち上げる。

 僕に気付いたコミは少しだけ口角を挙げると、そのまま目を閉じてしまった。


「コミ。おい。大丈夫だよな。寝ているだけだよな。返事をしてくれよ。コミ。コミ!」






「コミ!」


 目の前に伸ばしたはずの手は、けれども空を切る。

 混乱する思考に、自身の頬を伝う汗に気付いた僕は早鐘を打つ自身の心音を感じる。


 夢を見ていたのだ。数日前に現実に起きた悪夢。地震により割れた窓の破片から僕を守るためにコミは自身の身を犠牲に僕を助けたのだ。ガラス片に身を切られその場で絶命したコミ。もう何度目だろうか、空っぽのはずの胃が悲鳴を上げ、自然と嗚咽が漏れる。

 コミを支えると、皆を笑顔にするという夢を叶えると僕はコミと約束したんだ。それなのに僕を生かすためにコミを犠牲にしてしまった。僕なんかを助けるためにコミは死んでしまったのだ。

 

 なんで僕はこうも情けないんだ。あの時、どうして僕はコミを守るための行動がとれなかったんだ。目を開けていても閉じていても脳裏でリフレインするのはコミの最期だ。あの時、僕ならコミを救うことができたはずなんだ。けれども結果は僕が生き残り、コミが死んでしまった。

 僕は助けられてしまった。コミを支えると誓ったのに、何もできなかった。なんで、どうして。僕は、最低だ。






『愛しき私の子、サイチよ、聞こえていますか』


 暗闇に差す一筋の光のように。頭の中に優しく暖かな声が響く。

 力なく僕が顔を上げると、ここはどこだろうか。辺り一面広がる闇の中、目の前には僕の頭ほどの大きさである光の球が浮いていた。


『サイチよ、私はあなたたちの住む愛すべき世界の生みの親。女神クルシュムと申す者です。今、世界は異世界からの侵攻を受け存続の危機に瀕しています。世界を守るため残された道は一つだけ。愛しき私の子よ。どうかあなたの力を貸してください。私はあなたに力を与えることができます。その力で、異世界からの侵攻を止め世界を救ってほしいのです』


 伝わってくる言葉はおそらく目の前の光球が発しているのだろう。何も見えない空間に浮かぶのは自身の身体とこの光る球状の物体のみである。言葉を聞くたびにまるで太陽の光を浴びるように自身の体が暖められていくのが分かる。心地よいその光に、けれども僕の心は冷えたままだった。


「はあ。世界を救う? コミ一人救えなかった僕にそんなことができるはずもないだろう。コミのいなくなった世界に、僕は何の価値を見出せばいいんだ。コミは僕のすべてだった。コミは僕の光だったんだ」


 誰に言うともなく吐き出した心情。張り裂けた心から漏れだした負の感情は僕の思考を覆い尽くす。


『愛しき私の子、サイチよ。あなたの痛み、受け取りました。あなたにとっての光、コミの命を取り戻すことは可能ですよ。私は女神です。この世界を救ってくれたのなら、あなたの望みをなんでも一つだけ。かなえてあげることもできるでしょう』


「なっ、それは、コミを生き返らせることができるということか」


 女神の言葉に僕は反射的に答えてしまう。まるで悪魔の提案のような甘言に僕の心はいつの間にか波打ちだっていた。


『それだけではありません。今回の異世界からの侵攻。その影響の全てを取り去ることだってできます。ただし、それには愛しき私の子たちの協力が不可欠なのです』


 他人事のように聞いていた女神からの言葉に色が宿る。コミがよみがえる? コミとの生活が戻ってくる? 元通りの世界での今まで通りの生活。まさしく僕が望むものを提示する女神の言葉に僕の心に灯がともる。


『ええ。約束しますよ。サイチを含む一万の愛しき私の子が力を合わせて異世界人の侵攻を防いだ暁には失われたすべてを元通りとすることを保証します』


 女神の言葉。それは今の僕にとってこれ以上なく魅力的な物であった。コミが帰ってくる。ならば僕がすべきことは一つだ。


「今度こそ、僕がコミを守るんだ」


『ええ。きっとサイチのその覚悟は報われるでしょう』


 ハハハ。達成すれば望み通りの物が得られるなんて、まるで夢物語じゃないか。

 自嘲するように笑う僕は、けれども頭を振る。それでも僕はコミの事を諦めるわけにはいかないんだ。


 こうして僕は女神の手により、異世界を舞台に巻き起こる血に染まった物語へと身を投じることとなるのだった。

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