アルコール王とその宰相亭

 朝から雪の降りしきるとある北国の街に、「アルコール王とその宰相亭」というふざけ半分で付けたような場末の酒場がある。

 どういうブラックユーモアか、この店の軒先のきさきには、「貧困、悲惨、犯罪、死」という不吉でしかない言葉を刻印した看板が掲げられている。ご丁寧に、王冠を被り片手にビールジョッキを掲げる飲んだくれのアルコール王のすぐ横に骸骨が寄り添っている姿までレリーフとして刻印されている。

 飲酒へのどぎつい風刺であることは嫌と言うほど伝わってくる。アルコール王の宰相とは、つまりは「死神」だということだ。

 そんな、場末の酒場でも今日も今日とてダンジョンの攻略やらモンスター退治を生業とする冒険者たちが集う。

 酒場とは、冒険者にとって仕事を斡旋するギルドとしての役目も負うものと相場が決まっている。そして救いがたい荒くれ者や社会の爪弾きが集う、ここ「アルコール王とその宰相亭」も、今日ばかりは神の慈愛が注がれるはずである。


 今日はめでたいクリスマス。


 ――――例え、ここが場末の酒場だろうととにかく今日はめでたい。神も、今日ばかりは孤児にも、罪人にも、朝っぱらから飲んだくれているアル中にも深い慈悲を示すのだろう――――


 先ほど、この酒場を横切って行った吟遊詩人もリュートを弾きながら軽やかにそう吟じている。

「だそうだ。外の詩人が言う通り今日はクリスマスなんだ。めでてーんだ。酒の一杯でもおごってくれたっていいだろう!」

 剛毛だらけの腕がまるで聖戦でも訴えるかのように、店内のカウンターを叩く。

 未練がましさ半分恨みがましさ半分の表情で、バイロンは酒場の店主兼この街の冒険者ギルドの支部長である初老の男を睨んだ。

 当の、店主は呆れ顔で軽くため息を付く。お前のような奴など、吐いて捨てるほどには見てきたぞと言わんばかりであった。

「バーンズさん。毎回言ってることですがね、『酒は自分の金で飲め』ですよ」

 冒険者の中にも破天荒はてんこうに日々の酒代のみに執着し、酒で人生そのものが破綻してしまった輩もいる。

「それに、私は警告しましたよ。クエストの報酬全部を呑んで浪費するのは止めなさいと」

 そう、バイロン・バーンズもまたクエストの報酬全てを酒代にしてしまうアル中なのだった。それも、厳かなクリスマスであっても矯正する見込みがないほどに。

「そもそも、あなたここでどれだけツケを踏み倒していると思っているんです?」

「そっ、それは……」

「そのツケも一切払わず、更に酒を要求する。いくらクリスマスでも、そんな御仁ごじんに気安く酒を振る舞うつもりにはなれませんね」

 声は穏やかだが容赦のない店主に、バイロンは酒焼けした不健康な浅黒い顔を青くしていた。

「ううっ、さ……酒が飲めない」

「ええ、そうです」

「クソッ」

 忌々しく、当てつけのようにバイロンは酒場の床に唾を吐いて見せる。それを見た店主はやれやれとバイロンを憐れむように肩をすくめてみせる。

「まったく、今日くらい敬虔けいけんな気持ちになったらどうです?バーンズさん。クリスマスなんだし……」

「だからこそ、酒に酔いたいんだ俺は!ちきしょー、みんな幸せそうな顔しやがって!」

 地団太じだんだを踏んで見せるバイロンに店主含め、酒場にたむろしていた冒険者たちも憐みの視線を向ける。もっとも、そんなバイロンに酒の一杯でも恵んであげようなどと殊勝しゅしょうな気持ちの者は皆無で、惨めな中年男をせせら笑っている。

「へへっ、哀れなやつだぜ。金さえありゃ今日は紫水晶の加護があるから、好きなだけ飲める」

 隣のカウンター席にいる冒険者がそう言って、酒が並々と注がれた盃を豪快にあおる。

 店のカウンターには、澄み切った上品な紫水晶の柱が置かれている。

 なんでも、酒の神にあやかって酒による悪酔いを防ぐ効果があるとかないとか、バイロンは聞いたことがある。クリスマスともなれば、酒によって騒ぎだす冒険者もいる。そんな冒険者たちがせめて聖なる夜にだけは酒による粗相そそうをしないようにとの店主の心遣いで、特別にクリスマスを祝う意味合いも含めて置かれたものだった。

 紫水晶は悪酔いを防ぐ他にも様々な効果があるとどこかで聞いた覚えがあるが、いまのバイロンにとっては、そんな悪酔いでも良いから、とにかく酒が飲みたくて仕方がないのだった。

「くぅぬぅ……美味そうに大酒あおりやがって」

 拳を震わせ、恨みがましい視線で辺りを睨み回す度に、他の冒険者はそれを肴に哄笑するのだった。

 バイロンは金がなく、もう一週間は酒にありついていなかった。

 ひと月前ほどこの街に来た最初の頃は、それなりに剣の腕が立つバイロンは一人で街周辺のモンスターを次々に討ち取り、本当に短い期間ながら街の人々にちょっとした英雄として尊敬されていたものだった。

 店主がバイロンの活躍に免じ文無しになった後も、仕方なしにバイロンにツケで酒を振る舞ってからがひどかった。

 すぐにバイロンは、酒びたりの破綻した最底辺の人間としての姿を露呈ろていしてツケの事も忘れ酒をせびり続ける始末で、今では誰にとっても憐れむべき与太者よたものである。

「こんな、こんな日にヤケ酒が飲めないなんて!」

「とにかく、ツケを踏み倒し続けるあなたに振る舞う酒はありませんので」

「ぐぬぬ……」

 店主は、カウンターのグラスを磨きながら冷徹に言ってのける。

 酒を飲むしか能にないアル中にとってぐうの音も出ないとはまさにこのことだった。

 こんな時は、決まってバイロンのあらゆる感覚が研ぎ澄まされるのだった。もちろん、酒を飲む為に。

 その切なる願いが酒の神に届いたのか、バイロンの研ぎ澄まされた聴覚は酒場の中で交されたある会話を捕えた。

「おい聞いたか、街はずれの伯爵様の酒蔵でまたやられたらしい」

「ああ、何でも昔そこを管理していた伯爵様の酒蔵で凶悪でおぞましい化け物が出るらしいな」

 声のする方向には、酒場の壁際の一角で三人の冒険者がテーブルを挟みなんということもない噂話に華を咲かせていた。

 バイロンにとっては羨ましいことに、三人とも朝から陶器になみなみと注がれたホットワインを飲んでいるのだった。うち二人は、興味本位で酒のさかなにできる話題ならば何でもいいとばかりに楽しげに談笑している。もう一人は胡散臭いとばかりに、静かにホットワインをちびちびすす胡乱うろんな眼つきでいる。

「すでに、あの酒蔵は先代の伯爵様がお亡くなりになってから、そのまま放置されているはずだろ、金銀財宝があるでもなしに、なんでそんなところに行くってんだ?」

「それがそうでもねぇんだよ、噂じゃ先代の伯爵様が隠し持っていた財宝があるとかで伯爵の隠し財宝目当てでクエストに参加する冒険者がいるらしい」

「それで、酒蔵に潜り込んで行方知れずか……」

「案外、そのお宝って酒蔵の酒だったりしてな」

「ハハッ、そうかもな」

 バイロンにとって、「酒」、「お宝」という言葉が頭の中で鋭利な刃の如くクロスする。

 一方はアル中として、一方は冒険者として、その二つの言葉は人生のほぼすべてを意味するに等しいものだったのだ。かつて、この地を治めていた伯爵家の管理していた別荘やら食糧庫、礼拝堂がところどころ残っていることはバイロンも住民の話で少しは知っていた。しかし、まさか酒蔵まであったとは、それも今は誰も管理していないという。

 これを天佑てんゆうと呼ばずして何と言おうか!

「おい、その話本当だろうなぁ!」

 考えるより先に、バイロンは体が動いていた。

 三人の中で一番饒舌じょうぜつそうに先ほどの噂を喋っていた男の襟首えりくびを、気が付けばバイロンは乱暴につかんでいた。

「な、なんだ……アンタ?」

「ほ・ん・と・う・か?と聞いてんだ。コノヤロー!」

「は、伯爵の隠し財宝のことか?」

「そうじゃない。そこに行けば酒がたらふく飲めるんだよな?なっ!」

「し、知らねぇよ。街はずれの酒蔵は今じゃ誰も管理してないんだ。今でも酒が残っているとは思えない」

 そこまで言って、男はバイロンのただならぬ気迫に気圧けおされたのか、慌てて何か言い訳じみた言葉をひねり出そうと必死になっていた。

「あっ……ただ、まぁあの伯爵様も随分な酒好きだって知れていたから、酒蔵に隠された秘蔵の酒があるかもしれん。多分……」

「おお、そうか。そう言ってくれるか!」

 途端上機嫌になったバイロンは、先ほどまでに襟首えりくびつかんでいた男の肩をばしばしと愛想よく叩いて満面の笑顔で店主に向き直っていた。

「よし、決まりだ。店主、俺はその伯爵の酒蔵とやらにクエストを申し込むぞ!」

「正気ですか?」

「おおよ、酒蔵で酒も飲めて残った酒はツケの代金としてこの酒場に譲ってやらぁ」

「まぁ、それはいいですけど、仲間はどうするんです?そこらのモンスター退治ならともかく、ダンジョン攻略には最低四人は必要ですよ」

 冒険者ギルドで、ダンジョン攻略のクエストを受けるには最低でも4人の頭数が必要なのだった。つまり、パーティを組めと言うことである。その制約の代わり、クエストを無事完了した場合、そのダンジョンにある宝物は全てダンジョンを攻略したパーティのものという暗黙の了解が冒険者ギルドにはある。

 勢いクエストの申し込みをしたはいいが、最低限クリアしなければならない条件はある。そこで、バイロンはある策を思いついた。

「うむ……そうだな。じゃあ、スコッチをそのグラスで三杯分くれないか?」

 バイロンは、店主が今まさに磨き終わったグラスを指差した。

「さっき言ったでしょう!酒は自分の金で飲めって」

「俺が飲むんじゃない。これから街はずれの酒蔵とやらへ行くこの俺と、パーティを組む同じくアル中のロクデナシ三人どもへのクリスマスプレゼントってやつだ。自分が飲めずに苦しんでんのにそれを仲間に恵む俺は、なんて慈悲深いサンタなんだ」

 必死なのか、ついに頭のネジが外れたのか、バイロンは柄にもなく芝居じみた仕草までして自らの思惑を喋りとおした。

 いわくつきの酒蔵で酒盛りするため、同類の人間を僅かな酒で釣る。アル中ならではグッドアイデアだと、バイロンは自信ありげに強く頷くのだった。

「何を考えているかと思えば……まったく、あなたはとんだサンタクロースですよ」

 店主は、磨き終えたグラスをカウンターにそっと置いた。バイロンが返答を待っている間、呆れ果てて何も言えないのか、あるいは真剣に何かを思案しているのか、目をきつく閉じて目頭を押さえ呼吸を深めていった。

「いいだろ、なっ?なっ?」

 バイロンの図々しい呼び声に、店主は薄ら目を見開いた。

「バーンズさん。スコッチの銘柄はいかがなさいますか?」

「おおっ、じゃあ乗ってくれるか?」

「いいでしょう。なんといっても今日はクリスマスですしね。最後のお情けで飲んだくれの怪しい約束に乗ってみるのも良いでしょう。しかし、今日と言う日が終わったら今までツケで飲んできた分はきっちり払って貰います。それができなければ……」

「できなければ?」

 自分の提案が通ったことに有頂天のバイロンとは対照的に、店主兼ギルドの支部長の男は、白髪になった口髭を指先でいじくりり冷徹そうに目を細めた。顔つきが険しくなりこれまで客商売をする人間の朗らかさが一瞬で消え失せていた。

 バイロンの目の前には、修羅場を幾重にも潜り抜けてきた古強者ふるつわものの無常な顔があった。

「奴隷商かそこらの人体実験好きな黒魔術師に、バイロン・バーンズとかいうクズ野郎のアルコール漬けの体を売り払ってツケを回収する」

「はっ……ハハッ、上等じゃねぇか。こちとらもう失うものなんてないんだ。酒飲めなくてひもじい想いをするぐらいなら、甘んじて受け入れてやらぁ」

 バイロンは、店主のおよそ冗談ではない脅しに一瞬怯みつつ、拳で筋肉質な胸板を叩き不敵に笑ってみせた。

 酒場の店主は、失望しきったため息を吐いた。

「今のあなたを見たら家族が悲しみますよ。酒の為に命を危険に晒すなんて……」

 今度はバイロンが呆れたようにため息を吐き散らすと、店主に背を向け振り返りざまに犬歯をむき出し、店主にして笑って見せた。

「……へっ、さっき言ったろ、俺には何もねぇ。家族なんて居ねぇ。だから、酒で死ねれば本望さ……そんなことよりもスコッチの銘柄は、ここにある最高級のものを頼む!なんといってもクリスマスプレゼントなんだからなぁ」

 バイロンが急くように図々しさを増すにつれ店主は黙って、グラスと、グラス三杯分の最高級スコッチをバイロンの寄越した皮の水筒に注いだ。

 それから、例の化け物の噂をしていた男にその酒蔵の場所を聞き出すともはや居ても立ってもいられぬとばかり、勢い勇んで酒場の扉に体当たりをかまし、得物の両手剣を引きずり走り去って行った。

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