賑やかさと穏やかさ

第42話 忙しさからの解放、悩ましい麺 6/8

 とりあえずベタベタなままでは風邪をひくので家に入り、シャワーで身体を流してから拭き上げる事にした。練習で汗をかいていたのでそれも兼ねてのシャワーである。

 風呂やシャワーというものは入る前こそ面倒に感じることはあるが、入っている時と入った後にそれを面倒だったと思うことは無いのが不思議だ。

 そう言えばこの世界に温泉はあるのだろうか、あるならば行ってみたい。きっと更に穏やかな気分になれるだろう。

 そんな事を考えているとじきに身体も洗い終わり、身体を拭き上げ、新しい服に着替えてミーナと交代した。そうだ出かける準備をしておこう、食材なんかを買いに行かなくては。 

 朝、冷蔵庫を見た時にめぼしい食材は残っていなかったのだ。

「冷蔵庫の中は……やっぱりないか。後でミーナに言ってみよう」

 独り言を言いながら冷蔵庫を確認して、自室で準備を整えていたのだが、買い出しに行くにはこの鞄は大きすぎる。

「財布とスマホ……スマホは要らないか」

 この世界でスマホはタブレット端末と同じくらい役に立たない。財布だけあればそれでいいのだ。ミーナとの連絡は霊気伝達ですれば良いし、電話よりも便利である。

 ある意味スマホから、電話から開放されていい気分とも言えよう。心置きなくのんびりと出来る。今の私に遠距離から直接連絡できるのはミーナとヴァイク位のものだ。


 とりあえず準備が終わり、下に戻ると丁度ミーナが風呂から出てきた。

「ああ、ミーナ、さっき冷蔵庫をみたんだが足の早い食材はもうなかったよ」

「確認してくれたんですね。この後買い物に、と思っていたんです」

「それは同感だ。というかシャワーに行く前に言いそびれたんだよね」

「それなら今から買い物に行きましょう。少し待っていてもらえますか?」

「分かった、本でも読んで待ってるよ」

 どうやら彼女も考えていた事は同じらしい。というよりは彼女の方が把握していたに違いない。私が把握していたからといって損をする訳では無いが。

 本を読んで待つ、というのは言ってみれば文字の勉強の一環である。もちろん小難しい本は読めないし、小説も怪しいので絵本と童話を読んでいる。

 絵本や童話は良い、難しくない上に学べる事も多いのだ。専門書や学術書、古文書、古典文学は確かに素晴らしいがアレらはどうも伝わりにくい。専門知識やテクニカルタームを知っている事前提の本なのだからそれはそうだと言われれば仕方のない事ではあるが。

 もしかすると絵本、童話というものはそれらを分かりやすく伝える為の一種の方法なのではないだろうか。

 そんな下らない事を考えながら私は絵本を読むよりないあたり、この世界では文字に関して子供レベルである。


 言った所で向こうでも大した知識などなかったか。


 絵本を一冊読み終えたあたりでミーナも準備ができたらしく出かける事になった。出かけると言っても今日はあの市場へ行くので買い出しがメインである。

「あ、ルカワさん、お昼ご飯はどうしましょうか?」

「そう言えばそろそろお昼時だなあ。うーん、飲食店事情はまだよく分からないしミーナに任せるとするよ」

「はーい、任されました。では麺料理のお店があるのでそこにしましょう」

「こちらの麺料理か、初めてだから楽しみだよ」

 そう言えばこちらの麺料理はまだ食べた事がない。向こうに居た頃は即席麺やら何やらとよく食べていたが、意外に忘れているものである。


 とりあえず裏口から外に出て、先ずはこちらの麺料理の店に向かう事にした。今日も市場へは歩いて向かう。馬車でもいいが散歩も兼ねた方が発見も多いし、何よりあくせくしたくはない。

 向こうでは時間に追われ、日々はかなりバタついていた。早い移動手段、言うなれば自動車や電車というものは確かに便利で無くてはならない物ではあるが、それは同時に人を急がせる要因であるとも私は思う。

 それらが無いこちらへ来たのなら、いっその事ゆっくりすればいいのである。勿論、遠すぎたり疲れきってしまう様な距離ならば馬車を使うが、そうでないなら移動の基本である徒歩を使いたいものだ。

 それに急いでしまうと僅かであっても無駄に忙しい気持ちになってしまう。それは今のミーナにとって良くない事であり、回避するべき事だ。忙しい気持ちになると心が弱り、結果としてあの夜の事やそれに伴う痛みが余計に出てくる。日常生活が不必要に忙しくなり、そうなってしまったら何の意味もない。

 その意味も含めて、「ゆっくり」行きたいのである。ミーナの心の平穏は、しっかり者の彼女にとって今一番必要な物なのだ。


 夜になったら嫌でも「亡くなってしまう」彼女の「心」を昼間に「忙しく」してしまうのは愚策の愚だ。そんな事はしたくないし、させたくない。


「? 何か考え事でも?」

「ああ、ゆっくり出来るっていうのはいい事だなぁと思ってさ」

「それはそうですが深く考え込まれていたのは何故?」

 やっぱり見抜かれてしまうものだ。

「向こうにいた時は時間に追われてバタバタしてた事が多くてね。ここではゆっくり出来て嬉しいんだよ。それに……」

「それに、何です?」

「二人でゆっくり出来るからこそ霊術や文字をしっかり教えて貰えるんだなあ、と」

「確かにそれもそうかもしれませんね。すぐには身につかないものですから」

 そう言ってミーナは微笑んでいた。ゆっくりできる時間、それはとても大切なものなのだ。


「あ、着きましたよ」

 ミーナの一声で足が止まった。ふむふむ、店の構えは良い。向こうで言う所のお洒落だが手軽なイタリアンの店、といった所か。とりあえず中に入り腰を落ち着けた。

 店内は綺麗に、しかしカチッとはしすぎない様に並べられたワイン瓶、カウンター席の厨房側でワイングラスホルダーにセットされたワイングラス、明るすぎない様に調整し自然光を活かした照明、などなどいい雰囲気だ。

「いい店だね、ここ」

「ええ、この首都では少し珍しいお店なんです」

「珍しい?」

「麺の種類が豊富で数十の中から選べるんですよ」

「かなり豊富だな……迷いそうだ、というか読めないから分からないか」

「いつもの通り私が選ぶ、という形でいいです?」

「ああ、よろしく頼むよ」

 文字も分からない上、こちらの麺事情も知らない私が分かる訳がないのでミーナに任せることにした。しかし数十とは凄い、パスタの麺の種類も多いがそれを凌ぎそうですらある。

「あ、麺の絵が載ってます。追加したみたいですね」

「と、いうことは私も見て選べる訳か」

「その様ですね。はい、どうぞ」

 見てみるとパスタ系統であった。店の構えから想像していたが案外当たるものである。

 悩ましい、オーソドックスなスパゲッティ系で行くか、フェットチーネ系の平麺で行くか、はたまたペンネ系のショートパスタで行くか、あえてのラザニア系か、ここまで種類が多いと迷ってしまう。

 私が今求めている麺はどの麺なのか、麺の森に完全に迷い込んでしまった。誰かこの林立する麺の木々の道に標を、麺の選択への導きを、森の出口を指し示して欲しい。

「悩んでますね、ルカワさん」

「うーん、多すぎてな……文字が読めても更に迷うだけな気がしてきたよ」

「なら三点セットを頼むのが良さそうですね」

「三点セット?」

「はい、少量ずつ三種類出してくれるんです」

 これは僥倖。一つに絞らなくても三種食べられる。これならば間違いない。

「よし、なら三点セットにするよ」

「では、注文しますね」

 気になった三種を注文してもらい、後は出てくるのを待つだけとなった。なかなかに楽しみである。


 それにしても最近はいい天気だ。あの日からはずっと晴れが続いている。多少は汗ばむが気温も高すぎる訳ではなく、心地よい。これが普通なのだろうか?

「最近ずっといい天気だなぁ」

「ええ、今年は平年以上にいい天気です」

「毎日洗濯日和っていうのもいいね」

「そうですねー洗濯……あっ」

「どうした?」

「洗濯物忘れてました……」

「あー、仕方ないさ。と、いうかミーナの洗濯のやり方って不思議だよね」

「私の洗濯式符は古いタイプですからねー」

『詳しくは後で説明します。ちょっと霊人関係なので』

『おっと、すまない。うっかりするところだった』

「古いタイプかーなるほどなぁ」

 危ない危ない、そんな会話をしている内に料理が届いた。何とも美味そうではないか。


 さて、出てきた麺を端的に言うと、スパゲッティミートソース、フェットチーネカルボナーラ、マカロニサラダである。他の麺に挑戦出来なかった訳ではないがとにかくオーソドックスなものから攻めるのが定石、その後に挑戦はとっておけば良い。


 先ずはスパゲッティミートソースを一口、流石は専門店、麺の弾力が良い上にミートソースはしつこく無く、汁気を抑えめにした構成でありながら、麺とよく絡まっている。

 フェットチーネカルボナーラは、予想通りコシのある麺で、具材はカリッと焼いたベーコンのみだが、ソースが意外で恐らく牛乳を使っていない。つまり卵とチーズだけのスタイルだ。あまり見かけないし少し聞いただけの存在だったがまさか異世界で出会うとは。私的には大満足。

 マカロニサラダは言うまでもなく本当にマカロニサラダで、美味いのだが卵とクリーム系、つまりカルボナーラと性質がダブってしまった。ミスチョイスだったが美味いことに変わりはなかった。今度は気をつけていこう。


 ミーナの注文した料理はあの缶詰を使ったスパゲッティでパッと見では和風の仕上げである。あの缶詰の中身が思い出せそうで思い出せない。

「気になります? これ」

「どこかで見たことあるような感じがするんだよね……」

「! という事は記憶が?」

「いや、そこまででは無いんだけど……」

「うーん、一口食べてみます?」

「そうだねー頂こうかな」

「では、はい、あーん」

「んあー……っと不意打ちだな」

「ふふ、昨日のお返しです」

「敵わないなぁ、んぐっと」

 流石のミーナだ。すぐに返してくる。それには出来る限り応えてあげたい、それがミーナの心の平穏に繋がるのなら幾らでも、だ。

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