ライカンスロープ(狼男)との邂逅

森に立ち入ってから、数時間は経ったろうか、それともまだ数分しかいないのだろうか。とかく森という空間は人を酔わせる。特に日光の加減が樹上の林冠りんかんに遮られるので、空を見上げても時間の感覚が麻痺まひしてくる。

「ピャッポルルルガー!!」

「だから、騒ぐな馬鹿モン」

 もうギャリックは数頭分猪やら鹿の形をしたモンスターをその手にかけている。フランツも一応は護身の剣術くらいは身につけているようで、洒落た象嵌の施されたレイピアなど腰から下げていたが、特に活躍することもなく。ギャリック一人で森のモンスターどもは片が付いている。ルロイに至ってはとりあえず護身用の短剣を持ってきただけで、剣術も護身術も昔はともかく今はからきしなのだった。フランツはギャリックの頼もしい活躍と耳障りな奇声を内心天秤てんびんにかけつつ、忌々しい表情は崩さないでいたが、ルロイとしては初めてギャリックに感謝したい気分だった。


 横倒しになった古い木の幹へ何かが、勢いよく踏みしだく音がする。節くれ立った木の幹はみしみしと軋む。ルロイ達は固唾かたずを飲んでその黒い影を見上げる。

「あれは、狼」

「フン、一頭だけとは脅かしおってからに」

 灰色の毛並みの良い狼が首を傾けその視線をルロイたちへと下ろす。獲物である人間をただ睨みつけて威嚇いかくしただけだったのかもしれないが、狼の所作はまるで上品に会釈えしゃくしたかのようにルロイには思えた。まるで、そう感じさせるに相応しい知性が狼に備わっているかのようであった。

「いや、これは……」

 見る見るうちに狼は四つ足から二つ足で直立し、骨格も獣から人間のそれへと変貌していった。全身が毛に覆われていることと頭部が未だ狼のままであることを除けば、ほぼ人間の姿かたちをしているのだった。

「ライカンスロープ(狼男)!」

 畏敬いけいの念さえにじませルロイが呟く。

「ヒャッハー!ついに会えたな!おめぇら手ぇ出すんじゃねぇぞ!!」

 ギャリックはと言うと、遂に自分を抑えるタガが外れ始めたか、フランツにまでタメ口で上ずった声ではしゃいでいる。

「人間どもよ、ここを去れ。我はこの森の……」

 最後まで言い切る前に、ギャリックの両手剣が狼男の頭頂に襲い来る。

「この森の、で何よぉ?」

 ギャリックの両手剣は狼男の爪でそれも片腕であしらわれる様に防がれている。それでも、ギャリックはひるんだ様子は微塵もなく皮肉じみた笑みさえ浮かべ、両腕にさらに力を込める。

 狼男は、剣圧に耐えかねたように後ろに飛びのきギャリックを冷たく睨む。

「愚かな」

「こいやー!」

 両手剣を構え、狼男を迎え撃つ姿勢のギャリックには既に周囲の声など及んでいないのだった。ギャリックが狼男へ両手剣を構える。

 狼男が四つん這いになって毛を逆立てる。

「消えた!」

 狼男の、その跳躍ちょうやくの瞬間をとらえることはできなかった。

「ぐぉ――――」

「遅いわ!」

 空気を切り裂くような乾いた音の後、ギャリックの短い悲鳴が響く。

見るとギャリックの皮鎧が狼男の爪によってズタズタにされ、その後からは鮮血が生々しくしたたり落ちている。

「大丈夫ですかギャリックさん。って」

「ああ、心配ねぇ。何ようやく調子が戻りかけてきたところだ」

 そう言うや、ギャリックは己の傷口から赤黒い血の塊を指で穿り返し、その塊を顔に塗りたくり痙攣けいれん的な笑みを浮かべている。

「この戦馬鹿めがっ!」

 ギャリックの蛮勇にフランツは眉をひそめる。

 ルロイにせよ、フランツにせよこれほどまでの相手と戦う力量は恐らくない。こうした純粋な戦いとなると、ギャリックが勝つのを祈るしかなかった。

「この」

 負傷にひるむことなく、むしろ高揚した戦士の魂がギャリックを突き動かしていた。狼男へ斬撃を変幻自在に叩き込み、それを狼男の長爪がはじいてゆく。その攻防がしばらく続いてゆく。

「人間風情が、図に乗るな!」

 一進一退の膠着した戦況にしびれを切らしたのか、狼男は爪ではなく顎を突き出しギャリックの体ごと凶悪な牙の列で引き裂こうとする。

「ヒャハッ、させないぜぇ!」

 紙一重でギャリックは剣身を、狼男の牙の間に滑り込ませる。大ぶりな攻撃はギャリックにとっても千載一遇せんざいいちぐうのチャンスであった。このまま顎から上を切り落として決着をつけるつもりらしかった。

 狼男は、一瞬ひるんだように顔をこわばらせていたが、すぐに不気味な余裕をにじませた笑みで口元を歪ませていた。

 何かが割れる音と共にギャリックの剣身が割れ、破片が宙を舞う。

得物えものが!」

 ギャリックが悲鳴を上げ、同時に狼男の牙がギャリックの上半身を覆う皮鎧に食い込みひしゃげてゆく。食いしばった歯の合間からギャリックのくぐもったうめき声が漏れる。

「うむっ!」

 狼男の方も、よろめき脇腹の当たりを抑えている。どうやらギャリックの一撃を深く食らったようだった。

 あの瞬間、ギャリックは肩帯に吊るされた短剣の一つで狼男の肋骨の隙間を貫いていた。

「へっ、いい気になるなよ」

 半分ひしゃげた皮鎧から血まみれの上半身を露出させながらも、なおギャリックは獰猛どうもうな笑みで自身を奮い立たせていた。狼男もまた予期せぬギャリックの反撃に脇腹をおさえつつも、憎々し気な双眸そうぼうからはまだまだ余裕をにじませる静かさがあった。

「猪武者め、こんな短剣で我と戦うというのか……」

「デカい方の得物えものが手元にないから終わったとでも思ったか?」

 狼男は、脇腹に刺さった短剣を体から引き抜きギャリックを睨み返す。

 ギャリックは肩帯に装備した次のナイフを一本取り出し、それぞれ両手に掴み構える。

「まだまだぁ……」

「無茶だ、逃げてください」

 ルロイの声など、ギャリックはお構いなしだったが、どういう訳か、狼男は一瞬苦虫でも噛み潰すよう乱杭歯をギリと鳴らし、後ろへ飛びのく。圧倒的に優勢だというのに。

「どうしたい、まさかこのに及んで俺にビビってんじゃねぇよなぁ?」

「おい、奴を逃がすな」

 狼男は続けざまに後ろへ飛びのいてゆく、フランツは狼男を指さしギャリックに追撃を命じるも既にギャリックは満身創痍まんしんそういなのだった。

「無茶ですよ。まずはギャリックさんの手当てを」

「ええい、役立たずめが。ならば、私自ら成敗してくれる!」

 ルロイの悲壮な訴えも虚しく、フランツは腰のレイピアの柄に手をかける。いてもたってもいられず、フランツは肩をいからせ勇み足で狼男の後を追う。

「しつこい人間どもめ、これでも食らえ」

 振り向きざまに、苛立った狼男が石のつぶてを投げつける。

「のわっ――――」

 奮闘虚しくフランツは額につぶての一撃を食らい、そのまま地面に突っ伏してしまう。

「行政官殿!」

 ルロイが、倒れ伏せたフランツに目を奪われ駆け寄る。満身創痍まんしんそういのギャリックも体を引きずりながらルロイに続く。仰向けに倒れているフランツの顔面は、蒼白となり額から少しばかり血を流している。

「まさか、くたっばっちまったのかぁ。オイ?」

「いえ、気絶してるだけですね。止めたのに、言わんこっちゃない」

 フランツは命に別状はなさそうであった。一方、狼男の姿はもはや、木々の緑の中へ溶け込み気配さえ完全に消えうせていた。理由は定かではなかったが、狼男は撤退し一先ずはルロイ達は安堵あんどの息を吐いたのであった。

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