プロバティオ

 レッジョ市霊園――――

 市の北東に面するこの霊園は、地元市民のための墓地である。と同時に、ダンジョン攻略に失敗した無数の冒険者たちの成れの果てが集う人生の終着点として、長らく名もなき彼らのさ迷える魂の受け入れ先であり続けていた。

 日当たりが良い日には、墓石の間につつましく咲いた小花や若草が風にそよがれ、のどかに散歩でも楽しめそうな場所と言えた。

それもたそがれ時ともなると、もともとの死にかかわる独特の陰気さが地の底からもたげてくるのか、重苦しい暗さが立ち込めてくる。もともと市の郊外にあり、無念の思いを残して死んでいった冒険者の霊に取り憑かれるという都市伝説も手伝ってか、薄暗くなるころにはほとんど人の寄り付かない場所になる。要は悪どい墓荒らしや盗人が官憲の目を逃れて悪事や裏取引をするにはうってつけの場所と時間帯と言えた。

 そんなたそがれ時の朱の光の中を市の外へと急ぐ一人の影があった。

金目の物を詰め込んだ麻袋を背負い込み、神経質そうに息を上げながら市壁の外へと向かう中年男が一人。それなりに上品そうな旅装マントをはためかせ、ずり落ちそうになるビロードの円形の帽子と上にはね上げた見事な筆ひげを絶えず整えようとせわしなく手でいじくりまわしている。


薔薇石ばらいしを返して!」

「おわわ……」


 恨みがましい声ともに墓石に隠れていたアナが、鑑定士の旅装用マントを引っ張った。

 ただでさえ神経質になっているところに突然に闖入者ちんにゅうしゃに、驚いた拍子に鑑定士は尻餅しりもちをついた。

「お散歩ですか、にしては遅すぎますかね」

 わざとらしくすっとぼけた調子でルロイが鑑定士へ歩み出る。

都市の定めた法が及ぶのは基本その都市の支配権が及ぶ領域のみで、市の外へ出てしまえば、市の作った法など及ばなくなってしまう。当然司法上の処罰もできない。法の処罰を逃れるために市内で犯罪を起こした冒険者などが、官憲にしょっ引かれる前にこうした場所を潜り抜けて市壁の外か港の外へ向かうことはままあることだった。

ルロイ達はどうにか間に合った。ディエゴの教えた近道でずいぶん汚れてしまったケープのほこりを払いながら、ルロイはおもむろに尻餅をついた鑑定士の目線へしゃがみ込む。

「鑑定士のアントニオ・ザッケローニさんですね」

「な、なんだ。貴様など知るか、そこを通してもらう」

 予想外の待ち伏せにもめげず、老獪な鑑定士はふてぶてしく肩をいからせ立ち上がろうとする。アナはどうしたわけか、先ほどから鑑定士の旅装用マントを右腕でつかみ、左手でロッドを持ち何か恨み言めいたことをブツブツ口にしている。

「えい」

「おわっ!何をする」

 見ると無数の青白く光る手の形をしたものが、あたりの墓石から蔓のように伸びきり鑑定士の足へと巻き付き、鑑定士は立ち上がれたもののそこからどんなに足に力を込めても一歩が踏み出せないでいた。アナの死霊術により、鑑定士はすでに自由を奪われてしまったようだった。呪いで弱っているかと思いきや、墓場にいるおかげかアナの死霊術はずいぶん強力に発動しているように見えた。

「アナさん。そのまま死霊たちに押さえつけてもらえますか」

「あ、は……はい」

 アナに指示をして鑑定士に向き直るや、ルロイは呆れたようにため息を吐き出した。

「白状した方が身のためですよ」

「フン、何をするつもりか知らんがそこをどいてもらおうか。この薔薇石ばらいしはわしのものだ」

 ルロイたちの目的に気づいたのか、鑑定士は更に意固地いこじになって薔薇石ばらいしが入っているのであろう麻袋を強く握りしめ歯ぎしりしてみせた。

 やはりこうなってしまうのか、とルロイは肩をすくめてみせ、ベルトに括り付けた革袋から何かを取り出し右手の甲にそれを隠した。

右手人差し指にはめた銀の指輪の文様のように見える突起物を親指の爪ではじいて見せた。カチリと硬質な音がして鋭いかぎ爪が指輪の側面から突出する。爪の鋼は夕日を浴びて赤くきらめくのだった。

「ルロイさん、なっ何を……」

「僕が魔法公証人とも呼ばれる所以ですかね。ここはお任せを――――」

 口元を僅かに上げ、ルロイはアナに微笑んで見せる。左手の親指の腹を右手の指輪のかぎ爪に向け、寸分のためらいなくルロイは振り下ろした。

 アナと鑑定士が短く悲鳴を上げる。

鮮血が迸ると同時、ルロイは右手の甲に隠した小さな壺の口を左手の傷口へ近づける。鮮血が、親指の腹を伝いインク壺の中へ数滴流れ落ちる。

 壺を今度は左手に持ち替え、今度は羽根ペンと紙を革袋から取り出す。そこからのルロイの紙に筆記する手さばきは恐ろしく速かった。短い一文を一通り書き終えると、啞然あぜんとしている鑑定士をよそに書き上げた文言が著された紙を、しっかりと両手で持ち鑑定士に見えるよう眼前に突き出した。


「真実を司りし神ウェルスの名のもとに問う。汝アントニオ・ザッケローニは、汝が手にした薔薇石ばらいしが騙し取られたものであると知り買い受けたとここに認めるか?」


 文言をおごそかに読み上げるルロイの双眸そうぼうは、普段の穏やかさを一切排していた。

 ルロイの行動と言葉に思わず固まっていた鑑定士は、それでも持ち前の老獪ろうかいさで自身を奮い立たせ、顔に嘲りを浮かべる。

「若造めが、何をもったいつけて言いやがる。ワシはそんなことは知らん」

「本当ですね?」

「くどい!知らんもんは知ら――――」

 そこまで言うや、突然鑑定士の体がプツリと糸の切れた人形のように地面へと力なく前のめりに倒れこんだ。

「だから言ったのに」

 苦笑いしながら、ルロイはインク壺と羽根ペンを革袋にしまい込む。

アナはすでに術を解き、死霊たちを墓場へと戻し倒れこんだ鑑定士の体を恐る恐るロッドの先端で突いている。

「はわわ……あの、死んじゃったんですかぁ」

「いえいえ、一時的に魂が抜かれただけです。少し経てば意識が戻りますよ」

「その証拠に」

 ルロイが先ほど著した紙片をアナの眼前に掲げて見せた。紙片は赤く光っていた。夕日のせいでもインクに混じった血のせいでもない。紙片そのものが赤く光っているのである。光はやがて鈍くなりただの赤い紙となっていった。

「これは魔法公証人の問いに嘘で答えた証明なんです」

 レッジョの公証人は真実を司る神ウェルスを守護神として信仰している。特にウェルスの寵愛ちょうあいを受けた者は、自らの血をもって書いた文言をウェルスの名もとに読み上げることで真実と嘘を見抜く力を会得する。つまり相手はルロイの質問に対し嘘を付くことができないことになり、これにより真の公証がなる。

代々レッジョの公証人ギルドは畏敬の念をもってこの力を証明の御印「プロバティオ」と呼び、それにより公証された文言が書かれた証書こそ、真実の神の御名の元で著された「ウェルス証書」として揺るぎない真実の証書として認められる。

「ウェルス証書の前では何人たりとも嘘を付けません。質問に嘘で答えようものなら……」

「こ、こうなっちゃんですねぇ」

 

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