オールド・シネマ

アップしています。

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季節は秋に変わろうとしていた。

気温は17度と過ごしやすい天気のはずだがこの曇天の京都は少し肌寒い。


仕事を辞めた。

職場の人間関係は良好だった。自分で言うのもなんだが何かと目を掛けてもらい気に入られていたとも思う。

ただ怖かったのだ。

会社に通い飯を食って寝る。このサイクルを何十年も繰り返す大人になると思うと。

そしてそれに慣れていく自分にも。



辞表を上司に出したと知った同僚や先輩は、


「こんな良い給料他にはないんだぜ?安定捨ててこれからどうすんだよ。」


引き留めるような、心配するような言葉をかけた。だが今更僕の心に響くわけもなかった。


手元に退職金と貯金が残っているが無職で一人旅などしている僕には少し心もとない金額だった。


宿の観光客向けのレンタルサイクルを借りて、今日もぶらりと計画も立てずに観光地巡りへと出る。


だが京都についてからというもの、この3日で観光らしい観光といえば修学旅行の学生でごった返した清水寺に行ったくらいだ。


美しい古い木造住宅の街並みの方が記憶の片隅にでも残るだろう。僕は自転車を裏路地へ走らせた。


京都駅周辺は古都には似つかわしくない、鉄筋コンクリートの建造物がが立ち並ぶ。


その最たる例が蝋燭を模した白いタワーだ。


何度見ても不恰好ではあるのだがそれでも京都の低い街並みのおかげか、土地勘もない僕にとっては良い目印になっていた。



ペダルを漕ぐ。

昨日と同じくブレーキの度にキィーと甲高い音がしているがもう慣れた。

なにせ3日も同じものに乗れば、音に驚く人の目も気にしなくなる。

この自転車には愛着がある。たった3日間の相棒ではあるが、丸太のような1本のフレームから伸びた細い枝が、各部品を実らせているようで僕はこのデザインが気に入っていた。


市街地から少し離れた住宅街はいたって普通だった。歴史ある街並みには程遠い真新しい住宅街。


ペダルを漕ぐ気力が途端に失せた。


帰ろうと思った。駅の方へハンドルを切ってふと看板に気が付いた。


壁面に対して突き出すそれは


「モナリ座」


と書かれていた。


行くあてなくぶらぶらするくらいならと思い映画館の前に自転車を停めた。


そこは錆びたというよりは寂れた映画館だった。

入り口の文字はかすれて見えない。ネオンの電球は割れていないものを探すのが難しい。

窓から中を覗くが暗くて何も見えない。


そんな人の気配を感じさせない場所だったが掠れた受付の窓の奥には老婆が船を漕いでいた。

上映ラインナップの看板すら見ずに受付に向かう。どうせ暇つぶしなのだ、何でもよかった。

「いくらですか」

そう聞くと、船を漕いでいた老婆は無言で

「大人 1000円」

の文字を指差して、再び櫂を漕ぎ始めた。




中年の黒人男性がアルプスのようにそびえ立つデスクの書類の山を睨んでいる。彼に笑顔はない。ただ作業をこなしていく。




場面は変わり、彼は古いアパートにいた。

愛おしげな目で世界地図が描かれた旅行手帳と新品にしては型が古いバックパックを見つめていた。彼の少年時代に父親からもらった物らしい。


白紙のページをめくる。一枚の紙切れが挟まれていた。

「Have fun Dad 」

彼はバックパックと旅行手帳を持って部屋を出た。




様々な人と出会う彼には笑顔があった。仕事している時には決してなかった心からの笑顔が。

スクリーンの男と目が合う。音声はなくその映画ではじめての字幕が流れている。


「 」

僕は席をたった。



「お前さんが見たあの映画はね、あの一言だけに作られてんのさ。」

僕が劇場を出るなり受付の奥でタバコをふかした老婆が言った。

「良かったろ。お前さんみたいなのが来た時には必ずあのフィルムを回してんのさ。」

老婆は呆気に取られる僕を見てニヤリと笑う。

「わかったらとっとと行きな。旅の途中なんだろ?」

野良猫を追い払うような素振りだが老婆の顔は偉く満足げだ。

まるで幽霊屋敷のように入口のドアが悲鳴をあげる。夕陽を浴びて僕はまたペダルを漕いだ。

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