第54話 ハートを射抜くブロシェット

 しばらくして堂嶋さんが、小ぶりな発泡スチロールを抱えて帰ってきた。アトリエのカウンターの上にそれを置き、あたしと向かい合わせで囲んだその発泡スチロールの蓋を外す。中から保冷材として入れられていたドライアイスの白い煙が堂嶋さんを包む。緩衝剤のシートにくるまれた中の物体を両手で丁寧に取り出した堂嶋さんは、シートをはがしていく。中から、赤黒い臓器の一部が出てきた。

「堂嶋さん。それは、」

「これはね。彼女の、心臓だよ」

 真希さんの心臓、と説明されたそれは、おおよそあたしの想像する心臓の形とは少しだけ違うと感じた。手のひらにのりきるくらいのサイズのそれは紡錘型をしている。その生々しい内臓の塊から管が飛び出て、その先には直径三センチほどの鈍い銀色に光る金属の塊がついている。それが、ペースメーカーのラジエーターだということくらいはすぐに予想がついた。真希さんは体が丈夫ではないということは聞いていたので、心臓にペースメーカーが埋め込まれていたとしてもなんら驚くことではない。むしろその事よりも、それが付いたままのこの状態で食材として堂々とよこしてくる管理局のずさんな仕事の方が信頼がおけない。

「これは彼女の右心房と右心室の一部だよ」と堂嶋さんは言う。「ほかの部分には病巣もあって、食べても大丈夫なのはこれだけだったらしい。まあ、これだけあれば充分さ。なにも腹いっぱいに食べるようなものでもないからな」

 無理にはにかんでニヒルに笑って見せるその姿はどこか自虐的にも見える。

 しかし、なるほどそう言われてみれば納得も出来そうだった。右心房と右心室と言われたその部分と、もうひとつ同じような塊、左心室と左心房があったならたしかにそれは《ハート形》に見えるのかもしれない。

 堂嶋さんの手の上に乗るそれは、いわばそのハート形の片割れだ。右心房は全身を巡る温かい血液をその場に集め、肺へと送って生きるための呼吸に替える。心臓の筋肉は脳からの命令を受け付けることなく、自動脳で動き続けるが、真希さんの心臓は自ら動くことを放棄し、ペースメーカーの力に頼らなければならなくなっていた。

「どんな料理を考えているのか、うかがってもいいですか?」

「あまり、妻の心臓をあれこれいじって調理するのではなく、なるべくシンプルに仕上げたいと思っているんだ……」そう言って堂嶋さんは心臓を手のひらに乗せたまま、棚の引き出しから金属の細長い棒を取り出して反対の手に握る。「――だから、彼女の心臓はブロシェットにしようと思うんだ」

「ブロシェット――。と、いうことは、串焼きのハツ、みたいなものですか?」

「そうだな。確かに見た目の形としては確かに串焼きに似ているのかもしれないが、ブロシェットと串焼きとでは、調理の法則としてはまるで違う。串に刺して外側から加熱していく串焼きに対し、ブロシェットは金属の串を使う。金属の串は加熱することにより熱くなり、肉を貫通したその中心部から加熱する調理器具ともなるんだ。だからブロシェットは比較的大きな肉の塊でも焦げてしまう前に中まで加熱することができる。少し焦がして香ばしくカリカリとした食感を楽しむ串焼きに対して、ブロシェットはふっくらとした仕上がりになるのが特徴だ」

 いつもほど饒舌ではないが、たしかに料理について熱く語ってくれる堂嶋さんは健在だ。その事実に、少しだけホッとする。

 

 まずは心臓の肉の下処理をする。心臓は内臓肉ではあるが、血管や血合いの多い心室部分に比べ、心房の部分は比較的に筋肉質な部位だ。臓物独特の血なまぐささはあるものの、スジ肉やレバーとはあきらかに違う、噛めば噛むほどに味わいの出てくるしっかりとした歯ごたえは他の部位では替えがたいものがある。脂肪分はごく少なめで、たんぱく質に、鉄分、ビタミンが豊富で美容に最適だ。

 心臓肉はナイフで切り込みを入れて内側を開く。ところどころにある血管は丁寧にナイフで切り開き、ところどころにある血合いを流水の下であらって流す。

 食べやすい大きさにカットする。串焼きであれば3センチぐらいがいいだろうが、今回はブロシェットなので4センチくらいの大きめのカットにする。心臓肉は焼くととても縮みやすいので、仕上がり予定の大きさよりもやや大きめにカットした方がいいだろう。しかし、縮めばその分食べた時の食感もかたくなるので、なるべく固くならないように、一切れ一切れに数本ずつ切れ込みを入れておく。

たっぷりの塩でごしごしと洗うように揉んでは流水で流すことを三回くらい繰り返したのち、約30分ほど冷水につけておく。臓物の匂いが苦手な人は一晩くらいつけておくとあまり匂いが残らない。牛乳につけておくというのも効果ありだが、今回堂嶋さんは、なるべく真希さんの持ち味を活かしたいと言うので、漬け込みの時間は短めにしておいた。

水を切った心臓肉は、キッチンペーパーで丁寧に水分を取り除き、塩胡椒と乾燥ハーブをミックスしたもので味付けをする。それを、金属の串にさす。心臓肉に金串を突き刺すという行為は、天使が恋の矢でハートを射抜く姿を連想させる。朴訥な堂嶋さんが、いかにあの真希さんのハートを射止めたのかは想像に難い。こう見えて、意外と恫喝な態度をとったりなどと言うようなことをしたりするのかもしれないなと思い、美術館で見たあの絵画を思い出す。逃げまどう人間の心臓を弓矢で打ち抜く天使の姿。いや、堂嶋さんにかぎってまさかそんなことはないだろうを想像を振り払う。

心臓肉と、野菜は交互に刺す。焼いた時の肉汁を野菜が吸ってくれるからだ。突き刺す野菜は好みのもので構わない。今回はパプリカ、シイタケ、マッシュルーム、カボチャを使う。どれも真希さんの好きだった野菜らしい。

補足だが、焼き鳥などの小さい串焼きの場合、基本的に串の先から順番に食べるので、そのことを計算に入れて食べたい順番の逆に刺すのが良い。特に一番先端の肉を最初に食べることになるので、味付けは先端に行くほどしっかりとしておく方が良い。後で食べる肉の方が薄味にしておくことで全体を通して食べた時に飽きが来ない。

しかし、今回のように大きなブロシェットではあまり考える必要はないだろう。金属の串は、あくまで調理するための道具であり、実際に食べる際、ほとんどの場合、一度串から外して食べることになるからだ。しかし、雰囲気を楽しみたいならそのままかじりつくと言うのもいいだろう。

 堂嶋さんが一通りの下準備をしているあいだに、あたしはサンドウィッチとサラダをつくり、具の入っていないコンソメスープを魔法瓶の水筒に入れた。堂嶋さんは準備したブロシェットをラップにくるみ、クーラーボックスにしまう。

「じゃあ、そろそろ出発しようか」

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