第36話 家族だんらんの食事

 ようやくそれらしい挨拶をかわしながら、「はい」と紙袋に入った手土産の和菓子を手渡す。都心の高級老舗和菓子店。紙袋に堂々とロゴが入っているにもかかわらず、中を除いて確認しながら、「まあ、高級品!」と声を上げる。大きい箱に入ったどら焼きだが、ここの子供たちみんなで食べればあっという間になくなってしまうだろうけれど。

「だいじょうぶなの? こんなに高価なものを」

 と言うママに対し、あたしは少し得意気な表情で答える。

「まあ、初めての給料と言うやつね。高価は高価ではあるかもしれないけれど気にしないで、あたし、国家公務員なんだから」

 まるで、この園を飛び出す頃にあんなにぎくしゃくしていた事実を、謝ってもいなにのにまるで忘れ去ってしまっているかのような素振りで話すあたし。国家公務員と言う言葉だけでママには通じるだろう。それがかつてあたしが語っていた夢を実現したということを。

「そう、じゃあ、本当になったのね。人肉調理師に」

「まあ、実はまだ見習いなんだけどね」

「それでもすごいわ。料理人の中ではエリートなんでしょう? 人肉調理師なんて」

「まあ、それはそうだけど」

「さすがはわたしの娘ね。鼻が高いわ」

 相変わらず、〝孫〟ではなく、〝娘〟と言い切るのが厚かましくていい。

 それからしばらく話し込んで、これまでの空白の数年間を埋めて行った。

会話の中で、最近では子供が少なくなってきたことを嘆いていた。子供は国の宝よ。と言う言葉は昔から相変わらずママの口癖だ。最近ではあまり献体孤児すらもいなくなってきて、里親を捜してここにたどり着く園児も少なくなってきているようだ。決して子供を捨てる親が減ってきたというわけではない。ただ単に子供を産もうとする親がいなくなっているのだ。この園にはルールがあり、どんな園児も18歳を過ぎて高校を卒業すればこの園を立ち去らなくてはいけない。それは決して追い払うわけでもなければ縁を切るわけでもない。自立できる年になったら自立して、次の孤児を受け入れる場所を開けてやると言うことだ。自立してもこの園はいつまでも孤児たちの故郷であり、いつでも遊びに帰ってきたらいいとママは言っていた。一度はもう帰らないつもりで出て行ったあたしだったが、こうして帰ってきて本当によかったと思った。

 陽が少し西に傾きかけた頃、ママは立ち上がり、「ご飯、食べていくでしょ」と言った。

 あたしはそこまでの予定はなかった。挨拶を済ましてすぐに変えるつもりだったが、つい、里心が出てしまい、「はい」と答える。

 立ち上がるママを抑えて、

「ねえ、ママ。今日はあたしがつくるわ。とってもおいしいものを作ってあげる。あたしプロなんだから」

 ママは鼻で笑った。

「バカ言ってるんじゃないよ。そんな余計な事してくれるんじゃない。香里奈はわたしの手伝いさえすればいいんだよ。いいかい。わたしの喜びを奪わないでおくれ」

 ――そうだった。ママの喜びは、子供たちみんなに自分の手料理をつくって食べさせることだったと思い出す。ちょっとプロになったからと言ってあたしも少しばかり調子に乗ってしまった。ママの、悦びを奪ってはならない。


 昔から、ママの作る料理のお手伝いをするのがあたしの役割だった。一度に約20人分の料理。嫌でも料理がうまくならないわけもない。今から思えば、これがあったからあたしは調理学校を首席で卒業できたのかもしれないし、そもそもがコックになりたいなんて考えには至らなかったかもしれない。

 今日の晩御飯のおかずは肉じゃが。肉じゃがとは言っても、お金がないから牛肉は買えない。替わりに豚バラ肉を使うので味が弱い。そこで砂糖を多めに使うのだが、それがかえってしつこい味付けになる。いもの面取りは横着するので出来上がりには少し煮崩れして、出汁に煮崩れたいものざらざらの食感が残る。色味のためのきぬさやも最終的に一緒に煮込んでしまうので、仕上がりの色はきれいな緑ではなく、くすんで茶色っぽくなっている。

 正直言ってあまり出来のいい肉じゃがだとは言い難い。むしろこれをプロの料理人であるあたしが手伝ってこの仕上がりだという事実は褒められたものではないだろう。しかし、それはママの言うとおりの作り方でやるのだから文句も言えまい。

 しかしながら、十人以上の子供たちとテーブルを囲み、『いただきます』の号令の後の食べるこの肉じゃがの美味いことと言ったらないだろう。それは子供たちの笑顔のせいだろうか。あるいは幼少期から何度も繰り返し食べさせられてすり込まれた味付けに対する郷愁かもしれない。おふくろの味と言えばそれまでのことかもしれない。

 と、そこでふと思い至った。今まで自分には両親はいないとばかり思い込んできたのだが、それはまったく違っていたのだ。あたしにとっての親は、誰が何と言おうとママでしかない。先日のあゆみさんと瓜生さんに対しても偉そうなことを言っておきながら、何でそんな簡単なことに今まで気が付かなかったのだろうか。家族なんてものが血のつながりだけで出来上がるわけではないということを。


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