第24話 和牛とは


移動は電車を使う。首都圏近郊であれば特別に荷物が多いわけではない場合、電車の方が移動が早い。時間は昼過ぎということもあり車内は空いていた。時間の節約もあり、昼食は車内で済ませる。駅の売店で買ったサンドイッチだ。玉子のサラダとハムときゅうりチーズのサンドイッチがセットになったもの。あまりおいしいとは言い難いがそれも仕方がない。今回の食事は生きるためのエネルギー補給として食べる。すべての食事が幸福をもたらすための嗜好品とは限らない。あまりうまいとは言えないサンドイッチをほおばりながら、今からつくるであろう料理に想いを馳せる。それだけで自然と口には唾液がたまり、サンドイッチがいくぶんうまく感じることができる。

なにせ最高級クラスのステーキだ。不味いはずがない。最近では日本にとどまらず、世界中のトップクラスのレストランでも、メイン料理はwagyuの料理が人気だと聞いている。日本人としてはそのことを少しばかり誇らしく思っているあたしは、電車の中で黙ってサンドイッチを食べている堂嶋さんにそれとなく言ってみた。

すると堂嶋さんは少しだけ表情を曇らせ、サンドイッチを食べる手を止めた。

「そうだな。せっかくだから中止になった座学の代わりに牛肉について少しだけ語っておこう」

と、さっきまで無言だった堂嶋さんは今日も饒舌モードに突入する。

「まず、香里奈君がさっき言った、世界のレストランでwagyuが人気だと言ったこと、それについては間違いではない。だがしかし、その〝wagyu〟が、日本で言う〝和牛〟と同じものとは限らないんだ」

「どういうことですか?」

「日本で言う和牛とは、〝国産牛〟の中でも黒毛和牛を代表とした日本古来からの食用牛肉の四種、あるいはその四種どうしの掛け合わせの、純血な和牛のことを指す。それに対し、海外で人気を博している〝wagyu〟とは、日本古来からの和牛に血統を由来する牛。という解釈になる」

「和牛に血統を由来する牛? それだと、日本の和牛と何が違うんですか?」

「つまり、〝その牛の先祖に日本の和牛が存在する〟と言うことだ。かつて研究のため渡米した日本の和牛とその精子をアメリカのアンガスビーフと掛け合わせて生まれたアメリカ産wagyuをはじめ、オーストラリア産のwagyuと言うのもたくさん存在する。海外のレストランの多くで用いられているwagyuと言うのはこういった品種で、われわれ日本人が考えている和牛とは少し違う。もちろん、これらのwagyuがそれなりに美味いことは言うまでもないが、やはり国産の和牛と比べると少しばかり品質は落ちる」

「で、でもなんでそんなことになるんですか? だってwagyuって、日本の牛、と言う意味でしょ?」

「それを知っているのは日本人ぐらいさ。もちろん海外でも日本語を勉強したことがあるならば〝和〟と言う漢字が日本を意味する言葉だということは知っている。しかし、アルファベット表示した〝wagyu〟が、日本の牛だという意味とまでは思わない。現に世界の一般的なイメージでは、wagyuは、オーストラリアの牛肉だと思っている人が大半だ」

「それって、日本的にはまずくないですか?」

「もちろん、好ましい状況とは言えないな。そこで日本政府は海外に輸出する国産和牛に日本の国旗マークを入れ、〝japanease wagyu〟と表示するようになった。このことで、いざ食べ比べてもらえば日本の和牛がいかにおいしいものかをアピールできるようになった。しかし、それと同時に〝wagyu〟が、日本に由来する牛肉だということを認識してもらうことは絶望的になった。なにせ〝japanease wagyu〟だ。普通に考えれば完全に意味が重複している」

「うーん、難しい問題ですね」

「そうだな。なにせ商品名としての表記はあまりにもややこしすぎて、表記を見たからと言ってその実態を判断するのは難しい。

ところで牧瀬君、さっき言ったように和牛が日本古来の牛の品種だということは理解していると思うが、〝国産牛〟とはいったいなんなのかわかるかい?」

「え……それは……要するに、日本の牛肉で、和牛ではない品種の肉、と言うことですよね?」

「でも、それもそうとは限らないんだ」

「え? だって国産牛ですよね?」

「〝国産牛〟と言うのは日本で一番長く育ち、日本国内で精肉された牛肉のことだ。つまり、オーストラリアで生まれ、生後半年でアメリカに渡り一年をすごし、そのあとで日本で二年間飼育された牛肉は精肉されると〝国産牛〟と言う表記になる」

「え……でも、それじゃあ……」

「法律がそうなっているのだから仕方がない。もちろん、多くの肉屋で売られている国産牛のほとんどが純粋に日本生まれ日本育ちの牛肉だが、もちろん例外もある。ただ、それを区別して表記する必要もまたないということだけだ。さらに言えば交雑和牛と言った牛肉まで存在する。これは成長は遅いが味の良い和牛の良さと、成長の速い他の牛肉を掛け合わせることで、それなりにおいしくて生長の早い牛肉が生まれる。実際、育成方法こそ違うが、この品種が外国産和牛に一番近い品種だと考えてもいいかもしれない」

「うーん、もう何が何だか……」

「まあ、結局のところ、食べて美味ければ何でもいいわけだが……調理法云々でその差をある程度縮めることはできるだろう。たとえば今回のロッシーニ風、これはステーキの上にフォアグラと言う脂肪が乗るわけで、実際にはそれほど脂ののった和牛を使う必要性はあまりない。もっとサシの少ない牛フィレ肉を使っても、牛フィレ肉自体とてもやわらかい肉だし、フォアグラを乗せるならば脂肪分だって補える。むしろ和牛の方がロッシーニには向いていないと考えることだってできるだろう」

「でも、それなのに何で今回は和牛の、しかも千屋牛なんてすごい肉を使うんですか?」

「だってそれは、〝とびきり贅沢な料理〟と言う注文だからね」

「でも……それだけではないですよね。こんなことを言うのは生意気なんですけど、あたし、だんだん堂嶋さんの料理がわかってきたような気がするんです」

「そうか……まあ、そういうことならもう少し突っ込んで言っておこう。千屋牛は岡山県新見市で生産されるブランド牛で、日本最古の蔓牛と言われる竹の谷蔓の子孫で、最も歴史のある品種だ。しかし、千屋牛は元来小型で小産な牛だから、せっかくのその品種を広く伝えることは難しかった。しかし、太田辰五郎という農夫があえてこれに質の良い但馬牛を交配させた。当時としては画期的な手法ではあったが、それは同時に伝統的な千屋牛に傷をつけたともいえる。しかし、その後の手厚い飼育の成果もあり、その子孫は見事に繁栄し、美食家で有名な北大路魯山人も絶賛する牛肉となった」

「あ、なるほど、そういうことですね。つまり千屋牛はその血統だけがすべてではないと」

「そう言うことだ。千屋牛を仕上げたのはその血統だけに頼るものではなく、それを育成した酪農家がいて初めて出来上がったものだということだ」

「瓜生照実は血の繋がっていない母、亜由美さんがいてこその存在。その事を料理で伝えようというわけですね。それにロッシーニ風はその料理自体が見事な〝他人丼〟であるということ」

「まあ、だいたいそういうことだ」

「そう言えば魯山人って、本当は陶芸家なんですよね?」

「ああ、だけど世間的には美食家としての方が有名なのかもしれないな」

「なんだかロッシーニみたいですね」

「そうだな。やはり芸術と料理はどこかで通じるものがあるのだろう。ピカソだって随分と美食家だったそうだ。洋菓子のエクレアはピカソのために作られたと言われている」

「芸術かあ…… あたしはそういうの、ぜんぜんわからないんですよね」

「無理にわかる必要もないさ。美術館にでもいって、ただ何となく何かを感じさえすればいい。それだけできっと何か得られるものもあるかもしれない」

「でも、行ったことないんでなんだか不安なんですよね。堂嶋さん、もしよかったら今度あたしを美術館に連れて行ってくれませんか?」

「え……ぼ、僕が……」

「いけませんか?」

「い、いや……だめではないけれど……」

 そして煮え切らない堂嶋さんはそれっきり朴訥モードへと突入した。電車の窓の外の、別に面白くもなんともない街の景色を眺めながらボーっとしていた。町並みは、無慈悲な速度で通り過ぎていく。

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