第22話 人間っていうのは、結構な割合でフォアグラだ


 その後、明日の朝8時にアトリエに出勤するようにとの連絡があったのは深夜の2時を過ぎた頃だった。まさかこんな時間まで遊びほうけていたのではあるまいか? そう思うと今日、何度目かもわからい虫唾が走り、なかなか落ち着いて眠りにつくことができなかったが、布団をかぶって無理矢理に寝た。

おかげで次の日の朝も気分はやはり乗らなかった。

朝の8時少し前にアトリエに到着した時、堂嶋さんはすでに準備に取り掛かっていた。昨日遅くまで起きていたことは間違いないだろうがあまり疲れのたまっている様子もなく、いつもの通りケロッとしていた。年寄りは朝が早いのだ。

カウンターの上には管理局から届いた例の発泡スチロールが置かれている。前回、アベルさんの右手の時よりも一まわり小さい箱だ。そういえば昨日は頭にきてメニューの相談を何もしないで帰ってしまった。堂嶋さんはあれから一人の今日のメニューを決めたのだろう。少しだけ申し訳ないことをしたと反省した。

「あの……堂嶋さん、昨日はその……すいませんでした」

「ん? いや、別に謝る必要は何もない。必要な仕事はもうあれで終っていたからね。後の仕事は、まあ、何というかオプションだ。僕の単なるおせっかいのためだよ」

 スナックで女の子とお酒を飲むのがオプション……と、そんなことは思っても口には出さない。

「それで……料理は決まったんですか」

「ああ、決まったよ」

「これ……ですね?」

 と、言いながら監理局から届いた発泡スチロールを手に取る。

「中、見てもいいですか?」

「もちろん」

 前回以上に厳重に保冷材に包まれた中に、とても小さな何かが包装紙にくるまれている。その包装紙をはがすと中から何やら白っぽい、内臓のようなものの一部が出てきた。それはとても小さくカットされたものだ。大きさは大体一辺10cm位の三角形をした、厚さ1cmほどの物体が2枚。

「あの……これは……」

「フォアグラだよ」

「フォアグラ?」

「そう、亜由美さんのフォアグラ。今回の料理は牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ風をつくる」

 ロッシーニ風…… 牛フィレ肉のステーキにフォアグラのソテーを添えてトリュフの香りの赤ワインソースで仕上げる。確かに、瓜生さんの言っていた「とびきり贅沢な料理」と言う点において申し分がないだろう。

「それにしても…… 亜由美さんのフォアグラって…… 人間のフォアグラって存在したんですか? フランスなんかでも、フォアグラを持つガチョウの飼育方法が残酷すぎるとか言って動物愛護団体とか騒ぎ立てたことがあったみたいですけど……」

「まあ、動物愛護団体なんてものはなんにでもクレームをつけなくちゃ納得できない人たちの集団だからね。文化も、知識も、道徳だってろくに持ち合わせていない人間じゃなきゃ勤まらないのさ。

それはともかくとして、フォアグラっていうのはいわゆる脂肪肝のことだ。あんまり運動もせずに、コレステロール値の高いものを食べ続けると肝臓の細胞に脂肪分が蓄積していく。そしてやがて肝臓がまったくもって脂肪の塊になった状態が脂肪奸だ。寿命の短いガチョウがこの状態になるにはかなり食に恵まれた生活でなきゃこうはならない。しかし、人間となればどうだろう? 現代文明の中ではそれほど運動する必要なんてないし、食には恵まれた生活をしている。寿命だって長いから肝臓に脂肪だって蓄積しやすいだろう。

実は人間の肝臓は結構な割合でフォアグラ化しているものなんだよ」

「そ、そうなんですか……」と、言いながら、自分のお腹の真ん中あたりをさすってみる。確かにあたしはあんまり運動をしているとは言えない。それに職業柄、随分と恵まれた食生活だってしているだろう。しかし……

「で、でも、脂肪奸って結構肥満体の人がなるイメージなんですけど、亜由美さんって、データを見る限りじゃあそんなに太っている様子でもないみたいですし、歳だって結構若いです。普通に考えて彼女が脂肪肝だなんて考えにくいですよ。それなのに管理局に〝肝臓〟を注文したところで、それでフォアグラが来るなんてあまりにも都合が良すぎると思うんですが……」

「うん、まあね。それに関してはもちろんそれなりの自信があったんだよ。昨日あのスナックに行って、話を聞く限り。僕は亜由美さんが脂肪肝だったということにかなりの確信が持てたんだ」

「病院にでも、通ってたんですか?」

「いや、そういうわけじゃないよ。たぶん本人だってあんなになっているなんて思ってもいなかったんじゃないのかな。ただ、亜由美さんんは夜の仕事をしていたし、それなりの人気があったわけだ」

「お店の人気ナンバーワンだって言ってましたね」

「ああ、それなりにたくさんお酒も飲んでいた。それなのに彼女はとてもスリムな体型を維持していたんだ」

「見えないところで、だいぶ苦労していたんじゃないでしょうか?」

「そうなんだよ。ただでさえお酒の飲み過ぎは肝臓の機能を低下させる。ただでさえ太りやすくなるのは必然だ。彼女はそれを補うためにかなりの強引な食事制限を繰り返ししていたらしい。それに加え、夜の仕事と言う時間の不規則な生活はどれをとっても脂肪肝の原因となり得る。それに亜由美さんは近年、激しい肩こりに悩まされていたという。僕はこの話を聞いて、亜由美さんは脂肪肝に違いない確信したんだ」

「うーん、なるほど。確かに堂嶋さんは昨夜、一応仕事もしていたんですね」

「一応とは失礼だな。僕はちゃんと仕事をしていたんだよ」

「ふーん、そうなんですねー」あたしはジト目で堂嶋さんを見る。「でも、堂嶋さんも少しはお酒を控えた方がいいかもしれませんよ。贅沢な食生活、運動不足、昨日晩だってあまり規則正しい生活とは言いにくいみたいですから。それに、もう若くもないです。そろそろいろんな生活習慣病が厄介になってくる頃ですよ。あたしはそろそろフォアグラ化がだいぶ進行しているんじゃないかとみています」

「ははは、そりゃあ参ったなあ。まあでも、それはそれでいいことじゃないか。食べてもらう時、どうせなら美味しいフォアグラになっていた方が親切と言うものだ」

「肉は……あまりおいしそうではなさそうですもんね、堂嶋さんは」

「ははは、まいったなあ」

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