第21話 仕事のことは忘れて
しばらく道を歩いて路地の裏通りに入り、あまり雰囲気のいい場所とは言えない道を歩く。やがてたどり着いたのは艶やかなネオンがしつこく彩るうす汚れた雑居ビルの前だった。
「ちょっとここに寄って行こう」
「え、な、何を考えているんですか、こんなところに……」
と言いかけたところで、堂嶋さんは管理局から受け取った資料を片手に握ってそれをあたしに向けた。
「故人、亜由美さんが働いていた店だ。ここで少し話を聞いて行こう」
その言葉を聞いて少しだけ安心した。今回の故人、瓜生亜由美さんは雑居ビルの二階、〝チェネレントラ〟と言うお店でフロアーレディーとして働いていたという情報が管理局の資料には書かれている。ちなみに〝チェネレントラ〟とは、あの意地の悪い継母で有名な〝シンデレラ〟をモチーフにしたオペラのタイトルだということを堂嶋さんが教えてくれた。同じ継母でも亜由美さんとは大違いだと思い、なんだか皮肉めいたものを感じる。
店内は薄暗く、まだ時間も早いということもあり閑散としていた。お客さんはどうやらあたしたちだけみたいである。ベロア生地のソファーの席に通され、暇を持て余したフロアースタッフたちがその席に押し寄せる。その数四人。たったふたりの客にスタッフが四人とは、明らかにサービスの過剰供給だとも思ったが、ふと思い至ってはっとした。そういえば今回の仕事だってそうだ。たった一人の食事にあたし達二人がかりだ(とはいってもあたしは単なる見習いなのだが)。
ソファーにははじめあたしと堂嶋さんは二人並んで座っていたが、フロアーレディーはその間を割って二人も入り込んでくる。なんてぶしつけなのだろう。
「今日はご夫婦でお越しなんですか」
と言うスタッフの言葉に、どうしてこれだけ年が離れているのに夫婦に見えるのだろうと不思議に思うが、そういえば亜由美さんも旦那さんとはずいぶん年が離れていたのだと思いだす。この業界では歳の離れた夫婦はあたりまえなのだろうか。
「ははは、彼女は妻でも何でもないよ」
と言う堂嶋さんの言葉には少しイラッとする。確かに夫婦ではないが、〝なんでもない〟関係と言うわけではないだろう。しかもなんだかすごくへらへらとしている。いつもは朴訥な堂嶋さんだが、どうにも妙にご機嫌で浮足立っている。なんだかとっても腹が立つ。そもそも仕事でここに来ているのではなかっただろうか。
「あの、あたしたち、今日は別に遊びに来たというわけではないんです!」
少しだけ語気を強めて行った。
「え、なんだかこの子こわーい。もしかしてちょっと嫉妬してるのかな?」
「ははは、そんなんじゃないよ。別に彼女はなんでもないんだから。香里奈君。まあ、そんなに固くならなくてもいいよ。今日やらなければならない仕事はとりあえず終わったんだ。今日は電車で移動しているから気にすることもない。君も一杯飲めよ」
そう言いながらグラスを差し出す堂嶋さん。二度目の〝なんでもない〟にさらに腹が立つ。
「ところで堂嶋さん」と、間にふたりいるフロアーレディーを押しのけ、堂嶋さんの耳元に近づいてささやきかける。「まさかこれ、経費じゃないですよね」
睨み付けるあたしに堂嶋さんは少したじろいだ。
「さすがにそういうわけにはいかないよ。まあ、お金は僕が出すんだから君も気にしないで少し飲みなよ。ここはいったん仕事のことは忘れて……」
――仕事のことは忘れて……
どうやらすっかりこの人は仕事をするつもりがないらしい。ただ単に遊びたいだけなのだ。大体この人は結婚をしているのではなかっただろうか。それなのにこんなとこでお酒を飲みながらデレデレしているのは浮気ではないのか? まったく。所詮男と言う生き物はろくでもないやつばかりだ。
それに、これが仕事ではないというのならばあたしがここにいる必要だってないのではないか?
「あの……堂嶋さん? 仕事じゃないならあたし、もう帰ってもいいですか?」
「あ? ああ、それはもちろんかまわないよ。明日の朝のことはまたあとでメールしておくよ」
顔がにやけている。むしろあたしはここにいない方が都合がいいみたいだ。
「じゃあ、おつかれさまです」
つっけんどんないいぐさでその言葉を残して立ち去った。
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