第11話 コンソメを仕上げる

 堂嶋さんはおおきめの鍋にサラダオイルを敷き、鍋をしっかり加熱したところで五本の指の薫製を入れて軽く炒める。燻製にした肉を炒めると、とにかくとてもいい香りがする。少しスパイシーな香味がかった匂いだ。そこに取り出したのは……スコッチウイスキー。昨日、アベルさんの書斎から持ち出してきたアイラモルトのアードベックというウイスキーだ。それを、指を炒めた鍋の中に惜しげもなくたっぷりと加える。なるほど、酒とたばことを愛していたというアベルさんだからこそ、煙と酒で浄化しようというのだろう。熱い鍋の中に加えられたウイスキーは急激な温度の上昇で青い炎を上げて燃える。かつて、この国では死んだ人間は火葬と言って炎で燃やしたという。宗教的な理由だと言うが、おそらく本質的に言えば死んだ人間が再び動き出すという恐怖から逃れるためであろうと思う。それがいつのころからか燃やすことでその身についた穢れを浄化するという神聖な儀式となったのだろう。そして今まさに青い炎に包まれるアベルさんの指は浄化と言う名の火葬の儀式なのかもしれない。巻き上がる青い炎は台所を対流し、その室内にスモークのいぶした香りと海藻を思わせるアイラモルトのピートの香り。そしてアベルさんの肉が焼ける匂いとで包まれる。霊魂が匂いだけはかぐことができるというのならば、霊となって漂うアベルさんは今頃この匂いをどこかで嗅いでいるのだろう。そしてそのにおいに、何を思っているのだろうか。

 青い炎が消えたところで、下ごしらえをした根菜、じゃがいも、エシャロット、蕪、牛蒡、人参を加え、野菜だけで取ったブイヨン、ブイヨン・ド・レギュームを加える。しばらくしてふつふつと表面が波打ちはじめ、間もなく沸騰するであろうと思われる頃に火を極弱火にして、その温度を持続させるようにして煮込む。スープが沸騰してしまうとブイヨンが濁る。それを防ぐためなるべく沸騰しない温度で煮込むのだ。

 それから三時間余り、静かに煮込まれた野菜は煮崩れを起こさない。縮緬キャベツを加え、ひと煮立ちしたところでメインとなる具材を取り出し皿に盛りつける。

表面に浮いた少量の灰汁は卵白を使って引く。卵白を軽く泡立て、残りのブイヨンに加える。かき混ぜて静かに沸騰させると卵白に含まれるアルブミンが肉から出てくるアルブミンと結合し、卵白で包み込んで固めてしまう。ひき肉を加える方法などもあるが、なるべくアベルさん以外の肉は加えたくないので卵白だけで行う。これを濾すと、黄金色に輝く透明なスープが出来上がる。

「味見をしてみるか?」と、堂嶋さん。実はこの瞬間を待っていた。この瞬間のため、あたしは青春時代を棒に振り、日々料理の勉強に費やしてきたのだ。


 ――人肉を味わうために。


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