第10話 助手の仕事

 午前十時。芹沢一家は少し早めの昼食をとっていた。少し早いとはいえ、仕事を始めたのは午前五時ごろ。それを一般にサラリーマンに当てはめたならそれでも少し遅いころだろう。簡単な塩のおむすびに自家製野菜の浅漬けだけと言う簡単な昼食だった。あたし達もちょうどひと仕事を終えて休憩をしているところだったので(とはいっても仕事は二日間かけて五人分の料理一食をつくるだけだ。ほとんどずっと休憩しているに等しい。公務員が給料泥棒と言われっるゆえんが少しだけわかる)あたし達に塩むすびをふるまってくれた。とてもシンプルではあったが、それはとてもおいしいおむすびに漬物だった。農家の人たちが普段からこんなにおいしいものを食べているだなんて正直少しショックだ。確かに手のかかった洗練された料理ではないかもしれないが、その必要がないほどに素材の質の良さが物を言う。こんな人たちを相手に自分達料理人はどうあるべきかなどと言うことを考えさせられてしまう。過剰に手を加えることで料理と呼んでいる自分たちの仕事が良い素材の前でいかに無力なまやかしなのかを考えずにはいられない。ならば、あたし達料理人は彼らに何を提供すればいいのかと。


 正午を過ぎた頃。外に置いてある段ボール製の燻製室を開けに行った。中からは桜のチップにいぶされた香ばしいにおいが立ち込めている。上部からぶら下がった指はこんがりと赤茶色に染まり、どこからどう見ても骨付きソーセージにしか見えない。

 純粋な気持ちで《おいしそう》。と思ってしまうのだ。

 そして、ここからが料理の本番である。朝の早い芹沢家は当然、夕食の時間も早い。午後四時に食事を開始するために逆算して、今ぐらいの時間から開始するのが最も適しているという判断だ。

 あたしが担当するのはパンとサラダ。パンは堂嶋さんのもとで働くようになり、ほぼ毎日のように作っている。料理はすべてにおいて基礎が重要だという堂嶋さんは毎日のようにあたしにパンを焼かせる。毎日焼いていれば、その日の気温や湿度で発酵や焼き上がりがどう違ってくるのかがわかってくる。ならばそれに合わせて多少の調整をしてやれば毎日同じ状態で焼き上げることができる。プロとして毎日同じ仕上がりをつくるために必要なのは、毎日同じレシピ、同じ造り方で造らない事。料理の仕上がりを左右する要因は数限りなく存在し、そのほとんどが作り手の意思でどうにかできることではない。気温や湿度、野菜の鮮度。魚などはおなじ魚でも個体によって大きさや味は全然違ってくる。それらを相手に同じものを同じようにつくろうとしては同じ仕上がりにならないのは当然である。だから、同じ仕上がりにしてやるため、作り手の意思で変えることのできるレシピや調理法でその誤差を修正する。堂嶋さんの口癖でもうすっかり覚えてしまった。

 今日は、料理との相性を考えてライ麦の入ったパン・ド・カンパーニュを焼く。芹沢家の台所はいつも作業をしている堂嶋さんのアトリエよりも気温が低い。だからパンに加える水の温度もいつもより4℃ほど暖かくしておく。発酵機はないので大きめの鍋に湯を沸かして粗熱を取り、ボウルに入れて濡れ布巾を掛けたパン生地を浮かべて蓋をしておく。まだ経験が浅いあたしは発酵の加減を時々確認しながら調整をすることになる。

 サラダは生野菜のサラダを用意する。メインとなるポトフが温野菜なので、食感に変化をつけるため生野菜のサラダにした。レタスを中心にルッコラや水菜などを加え、ラディッシュのスライスや、素揚げした蓮根や牛蒡を加えて食感のバラエティーを楽しむようにする。野菜はどれも芹沢家の自家製野菜だ。ドレッシングは控えめな味付けのフレンチドレッシングに少量のバルサミコ酢を加える。

 慣れた作業なのでそれほどの苦労はない。横目で堂嶋さんの作業を見る余裕は充分にある。もちろん、そうすることを前提とした仕事の役回りだ。見習いであるあたしの役目は、見て、習うことだ。

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