第4話 遭遇

「驚きました。まさか店主さんだったとは」

「すまねえな。先に言っておけばよかった。カウンターしか空いてねえけど、適当に座ってくれ」


 カウンター席に視線を向け、どこに座ろうか少し考えながら酒場の扉をくぐる。

 一歩踏み入れたところで、何故か体がふらりと崩れそうになったのだが、転ばなかったので特に気に留めることもなく、五つある席の真ん中に腰かけた。

 店内にはざっと見ても二十人ほどの客がおり、各々カウンタ―や四つあるテーブル席に座って会話を弾ませている。

 女性が一人もいないというのは、こういう場所ならではの光景だ――と、僕は一応女性なんだっけ。

 そう思ってちょっと意識してみると、店内のあちこちから視線を感じる。仕方がないのかもしれないが……あまりいい気分ではないな。


「顔はまだ確認してないですけど、出るとこ出てるし……僕でも見ちゃうよなぁ」


 仕方ない。本当に。

 客観的視点に立ち、あらためて客たちに罪が無いことを確認する。

 そうして諦めのため息が出そうになったところに、フォルトがカウンタ―越しに声を掛けてきた。


「そいやずっと気になってたんだけどよ、姉ちゃんはなんでまたこんな酒場なんかに?」

「あー……それが僕にもわからなくて。酒場に来るようにとだけ指令が残っていたものですから」


 都市の酒場に行け。

 ただそれだけ記されていたのだから、酒場に着けば何かあると思ったのだが、今のところは何があるわけでも起こるわけでもない。

 僕的には誰か天界からの使いが待っていて―とかいうのを期待してたのだが……とんだ期待外れというものだ。


 でもここに来いと残されていた以上、何かしらこれからあることは間違いないと思う。それまではじっとしているのが吉だろう。


「ふむ……なるほど。そっちもワケアリってことか。ま、こんなところでよければいくらでもくつろいでてくれ」

「そうさせてもらいます」

「おう。――つっても、奴隷商に売り飛ばすまでの間だけどな・・・・・・・・・・・・・・・・・

「え?」


 ……今なんと言いました?


「おメェら聞いてたな。久々の上玉だぞ」

「なッ――――むぐゅ!?」


 咄嗟にカウンタ―から立ち、背後の扉へと身体ひねらせると、逃がすわけがないだろうとばかりにフォルトが僕の首へと腕を回してきた。

 フォルトはそのままぐっと腕を引き寄せ、僕の体はカウンタ―を乗り越えるようにして、彼の逞しい大胸筋と接触する。


「ッ……何、するんですか!」

「クック……クハハハハ! 何するんですかだってよ! 聞いたかお前ら!」


 聞いたかお前ら。

 その一言が店内に響いた瞬間、好き勝手に話をしていた客たちがぴたりと静かになった。

 すると彼らの視線が一気に僕の方へと向き、一人、また一人と席を立ちこちらへ寄ってくる。


「おーおー綺麗な声で鳴きやがりますねぇ」

「これから自分がどうなるとも知らず」

「こんな上玉よく捕まえてきやしたねおやっさん!」


 僕の周りを囲むように、両脇と背後に四人の男が立ちふさがった。

 周りの客も全員こちらに目を向けているようだし、どうやら僕の味方はいないらしい。

 全員グルというやつか。


「騙した……ですか……!」

「おおそうだよ。チョロそうだったんでなぁ。最初に断られたときはほんのちょっとだけ焦ったが……見たとこ服装と反してまだどこにも仕えてなさそうだったしィ? 姉ちゃんみてぇな上玉逃すわけいかねぇもんなあ!」

「店の外は……普通に人が通るんですよ……!?」

「おおそうだな? 心配するなって。大声上げても外の連中は気づきもしねえからよ」

「!!」


 あーそういうことですかもう!


 入口のところに防音用の結界を張ってあるのだろう。あとはおそらくだが、幻視の類もこの店全体にかけられている。入った時に転びそうになったのはこれのせいだ。

 一般客……つまり商品にならない『招かれざる客』には、この酒場は持抜けの殻に見えるといった具合だ。

 ここにきて入店時の違和感の正体がわかるとは。流石に何百年も下界暮らしから離れていると、培った勘・・・・というやつも鈍るようだ。


「表向きは何の変哲もない酒場……しかして裏では何も知らなさそうな女性を誑かし、自分たちのアジトへ連れ込んで人身売買の種にする……てとこですか。門兵さんが大変だと言っていたのは、こういうことだったんですね」

「今更感付いたって遅いぜ。逃げたきゃ力づくで逃げるこった! まァ、できるもんならだけどなぁ!!」


 先ほどまでの優しいおやっさんはもうどこにもいない。

 血走った目を見てそれが分かった。

 言う通り力づくで逃げなければ、僕はこのまま拘束され、奴隷商に売り飛ばされるのだろう。

 その先の未来など考えたくもない。

 神に上り詰めたと思ったら一転、転生して奴隷まっしぐらなど冗談じゃない。


「なら……精一杯、足掻かせてもらいますよ……!」

「ハッ! やってみろ姉ちゃん!」


 歪んだ笑みの中に「やれるもんなら受けて立ってやる」と無駄な誠実さを感じた。

 本当に逃げられたら自分が大変な目に会うだろうに……この人、実はやっぱりいい人なんじゃないだろうか?

 ……なんて、そんなことを考えている暇はない。

 僕は今できる精一杯の魔力を練り上げ、簡単な魔術を発動させようと試みる。


「――〈炎雷ファイアボルト〉」


 僕の首を絞めつけているフォルトの腕へ向けての、火属性の基本魔術。

 直径ニ十センチほどの火の玉を射出するシンプルなもの……なのだが。



 この炎雷ファイアボルトを発動した直後、またもや僕の視界が真っ暗に暗転した。






 ◇







 ――ゴッ!


いだッ!?」


 何か思いっきり頭に振って来たような……とにかく側頭部に痛みが走り、失っていたらしい意識が戻る。

 同時に気を失う前の状況を思い出し、勢いのまま体を起こす――と。


「は? え!?」


 僕の目に飛び込んできたのは、フォルトの酒場……ではなく、隣接する建物と瓦礫の山だった。

 酒場があったはずのこの場所だけが、見事なまでに瓦礫と化しているのだ。

 僕の周囲にはフォルトやその仲間たちが倒れていることからしても、ここは酒場があった場所で間違いない。

 それと同じくらい不思議だったのは、衣服も含めた僕の体に傷一つ無かったことだ。

 町に着く前に負ったものが一切合切、まるで新品のように綺麗さっぱり無くなっている。

 何がどうなっているのか気になるところだが、今はそれより……。


「し、死んでませんよね」


 ぱっと見十人ほどは瓦礫の下敷きになってしまっているようなので、彼らの命の方が心配になった。

 何が起こったのかはさっぱりわからないが、幸運と幸福の神として、例え僕を売ろうとした不届きものたちだとしても、死人なんか出てもらっては困るのだ。


「ど、どうしましょう……というかなんですかね……転生してからずっと災難続きな気がします。やっぱりおかしいですよこれぇ……」

「仕方ないじゃない。今のあなたは幸運値マイナスだもの」


「……………………!?」


 不意に、聞き覚えがあるようなないような、でもなんだか背筋が凍るような聞きたくない声が聞こえてきた。

 声の主は一体誰なのか。

 そう思い周囲を今一度見てみるが、ここにいるのは意識を失っている生死不明の男たちだけだ。

 そのはずだ。

 じゃあこの声は一体?

 ……まさかおばけ!?


「ここよ! ここ!!」

「ひうっ!?」


 体がゾッとした。

 ゾッとするような痛みが足の親指を襲った。

 いや、ゾッとしたのは声の方にか。

 そしてこの痛み、知っている。正確にはさっき知った。

 間違いなく、声の主は僕の頭に一撃くれたやつだ。


 声と痛みの犯人はずっと足元にいたようだが、胸が邪魔で見えなかったのだ。


 僕は犯人をこの目で確かめるために一歩下がってみる。

 瓦礫に足を躓かせないように、慎重に。


「……魔獣、ですか?」


 そこにはウサギのように長い耳と、すらりと伸びるふさふさの長い尻尾。そして真っ白でもふもふな体毛に覆われた、手乗りサイズの愛玩動物……のような何かが座っていた。

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