第3話 フォルトとルティア

 一瞬、何が起こったのかわからずに硬直してしまう。

 そしてもぬけの殻となった右手をじっと見つめ、次の瞬間にハッとする。

 その勢いのままに、僕は先ほど通り過ぎて行った何かの方へと首を回した。

 が……。


「いない……これがスリってやつでしょうか」


 間違いなく、あの何かが僕のポーションを盗って行ったと思う。

 でもそれらしき人影は既になく、通り行く人々は見て見ぬふり。

 これも都市故の反応か。災い事に巻き込まれたくないがために、目の前で起こった犯罪も良しとしてしまう。

 こうして当事者となってみると、中々に辛いところがあるものだ。

 とはいえ、関わりたくないという人の気持ちもまた理解できる。そして悲しきかな、このような場所でこそ僕の仕事場にふさわしい。

 人が集まれば必ずどこかに綻びが生まれ、それがきっかけとなって闇と言われる部分が出来上がる。

 その闇を少しずつでも減らしていくことで、やがて恩寵を取り戻せるのだから。


 盗人なんて闇部分の代表格。

 早速仕事に取り掛かりたいところだが……行方をくらますとは面倒臭い。

 僕は寄り道すること自体は嫌いじゃないが、仕事が回りくどいのは大嫌いだ。


「しょうがない、この案件は保留です。今はおとなしく酒場に――」

「おっとそこの姉ちゃん。ちょっと待ちな」


 がしっと。何者か大きな手が、僕の華奢な肩に掴みかかった。

 ドスの利いた声。しかして心なしか声色は軽快なそれのした背後へ振り返ってみると、視界を覆うほどの大男が僕のことを見下ろしていた。

 なんだか次から次へと、不運な方へと流れている気がするのは気のせいだろうか。


「あの……僕今忙しいんですけど」

「ポーションを盗ったヤツの情報、欲しいんだろ?」

「!」


 したり顔で言ってくる大男に、僕はピクリと眉を顰める。

 どうやらこの男、先ほどのことを目撃していたらしい。

 わざわざ『情報』と言ってくるということは、何かしら有益なものがあるということだろう。

 でも……。


「いや、結構です」

「何!?」


 当てが外れた大男が、まさかと目を見開いて驚いて見せた。

 僕は面倒臭いのが嫌いだ。

 門兵さんには悪いが、応急用のポーション一つでそこまでする気はない。


「じゃあ急いでますので」

「おおおおおおいおいおいちょっと待てって!」

「ぅおっ!?」


 一応お辞儀をしておさらばしようとした所を、男が強引に僕の肩を引っ張ってきた。

 あまりの勢いで振り向かせてくる剛腕に吹き飛ばされてしまうような錯覚を覚え、体からは思わず冷や汗が滲んでくる。


「まだ……何かあるんですか」

「姉ちゃん酒場がどうとかとも言ってただろ!? あそこはアンタみてえな女子供が一人で行っちゃあいけねえ場所だ。俺が案内してやるよ」

「!」


 肩を掴んでいた手をそのまま僕の頭へ持って行き、男はそう口にした。

 上目に彼の顔を覗いてみると、先ほどのしたり顔と同じはずなのに、心なしか爽やかな笑みにも見えるような気がした。

 悪意がある……というわけではなさそうだ。


 というか、僕言ってませんけど一応神様ですよ。流石にそれは不敬なのでは。

 まあ、そんなことを気にするタチでもないので別にいいですけど。


「……そういうことでしたら、お言葉に甘えるとしましょう」

「おうよ!」


 ニコリと、大男がまるで子供のような無邪気な笑みを浮かべる。

 少し警戒したが、この様子なら大丈夫か。

 ホッと出たため息の後、僕は大男の後ろを歩いて行った。




 ◇




 五分ほど歩いただろうか。

 目抜き通りを抜け、少し人通りが少なくなってきたところで、大男は辛抱しきれなかったのか、僕を隣に寄せて口を開いた。


「そういや自己紹介がまだだったよな」

「え? ああ、はい……そうですね」

「俺はフォルト・・・・ってんだ」

「ハァ!?」


 何を言い出すかと思えば、自己紹介か。

 そう思った直後の爆弾発言に、僕は裏返りそうなほど大きな声を上げてしまった。

 だってそれ、僕と同じ名前……この大男が!?

 幸運に身を任せるというよりは、全部筋肉で解決しそうなマッチョメンがこの僕と同名だって!?


「なっ、なんだよ急にでけえ声だして……そんなに変だったか?」

「いやすみません。実は僕の名前もフォ――!?」


 フォルト――そう口に出そうとしたところで、何故か声が出なくなる。

 急に喉をきつく絞められたかのような、呼吸もままならないほどの息苦しさが襲ってきた。

 次の「ル」がどうしても出てこない。

 口にすることを諦めると息苦しさは無くなったが、それは『お前はフォルト神ではない』と何かに言われているような気がして、胸の奥に確かな不快感が取り残された。


「ん、どうした? 姉ちゃん」

「いえ。なんでも……僕の友人に同じ名前の人がいるんです! なのでビックリしたんですよ」

「おお、そりゃ奇遇だ。機会があったら是非会ってみたいもんだぜ」

「そ、そうですか……今度会ったら言っておきます」


 このフォルトには申し訳ないが、ここはこれで場を濁しておく。

 まあ、今さっきでこの嘘は僕の方にもダメージが来るんだけど……。


「で、姉ちゃんの名前は? まだ聞いてないよな」

「あ……そうでした。僕はその……」

「?」


 しまった。

 この場合、僕はなんて名乗ればいいんだ!?

 フォルトという名が使えない以上偽名でやり過ごすしかないのだが、それっぽい名前が絶妙に浮かんでこない。

 あまり間を空けすぎても怪しまれるし、早急に考えなければならないのだけれど――――。


 ……ん?


「ルティア――です」


 焦って頭が真っ白になりかけた瞬間に、その単語が浮かんできた。

 なんとなく口走ったとかではなく、ハッキリと。僕自身を現す記号として、確かにその名前が脳裏によぎったのだ。

 間違いなく偽名のはずなのに、違和感を感じる事も無く、なぜかそれがしっくりきた。

 魂と身体が『ルティア』という名前を得て、完全に合致したような不思議な感覚。


「ルティアか。うん、綺麗な名前だ」

「綺麗。ですか?」

「ああ。姉ちゃんの容姿と同じで綺麗な名前だ。なんだろうな、ちょっと照れ臭いけどよ。耳が幸せになる? そんな感じがするよ」

「幸せ……ですか」


 そう言われると悪い気はしない。

 名前一つで幸福度を上げられるのであれば、僕にとっては願ったりかなったり。

 何故本当の名前を口に出せないのかはわからないけれど、しばらくはこれにあやかるのも悪くないかもしれない。


「っと、そろそろつくぜ。ちゃんとついて来いよ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 そうこうしているうちに、目的である酒場がすぐそこに迫っていた。

 僕の目からでもすぐにわかる。

 目抜き通りほどではないが、そこそこ広めで人通りもある場所。

 その一角に構えられた建物の看板には、でかでかと二つのジョッキが打ち付け合うシンボルが記されており、そこが酒場であることを十二分に物語っていた。


 フォルトが酒場の扉を開け、意気揚々と中へと足を踏み入れる。


「おーう今帰った」

「酒だ! 酒が来た!」

「よっ! 待ってましたー!」

「おやっさん毎度遅いぜぇ!」

「悪い悪い、ちっと野暮用があったんだ。許してくれや」


「……???」


 ン……何、この雰囲気。

 フォルトのことを待っていた?

 というか今帰ったって……おやっさん?


「ん? どうした中に……っと、そうか。言ってなかったな」


 僕が茫然と立ち尽くしていると、フォルトがそういえばという態度で僕に向き直る。


「オレあフォルト。ここで酒場を営んでるおやっさんだ。きたねえ所だがくつろいでくれ、ミス・ルティア」

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