第46話 エピローグ

「痛っ」

 帰りのゲート間はずっと短時間で終了。飛び込んだ時の勢いで後ろ向きに倒れ込んで頭を床に打つ。

 そう、床だ。木目調のフロアタイル。天井にはホワイトカラーの天板と照明器具。現代社会の産物。ここは最初に扉を開いた応接室の中。無事に基底世界へ戻ってこれたんだ。


 ほっと息をつこうとした所で息をのむ。胸元に藤沢さんの顔がある。

 僕が受け止めた体勢のまま。顔を上げて周囲を見回し、

「はあ、これ明日絶対筋肉痛……」

 そう言ってぺたっと僕の胸に顔を落とす。


 えっと、いいのかな。密着してますけど。

 彼女の柔らかな身体、特にお腹の辺りで感じるそれが、僕の身体に熱を伝え全身が燃え上がるよう。

 そのまま息を止めて自分が何の邪心も無いただのクッションであると言い聞かせる。


 ファムが僕の横腹辺りで「ふへえ」と頭を動かす。

 右腕には早百合さんの重み。

 と、早百合さんが半身を起こすと僕らを抱え込む。

「あなた達……よくやってくれたわ」

 垂れ下がったダークブラウンの髪の毛が僕の頰をくすぐる。


「おいおい早百合よ。何が『正面から叩き潰す』キリッ、じゃよ。普通にやられとるじゃろうが。妾達が助けなんだら面倒なことになっとったぞ。こりゃ特別手当はずんでもらわんとな」

「実績も示したんですから、次回の渡界許可もお願いしますね」

「分かってるわよ。期待してなさい」

  早百合さんはそう言うと二人の頭をポンポンと叩いて身を起こす。

 名残惜しいが僕も皆と一緒に立ち上がり今度こそ大きく息をつく。


 そうか、ひとまずはこれで一段落したんだな。

 この世界に来て、藤沢さんに助けられて、早百合さんやファムと出会って転生の斡旋業に就職して、早速の異世界行き。そこで無実の罪で投獄されて修行パートがあったり快楽堕ちしたりで、ようやく出所したと思ったら謎の集団とやりあって…………これがこの四日間の出来事だ。


 間違いなく言える、これは僕の人生で最も慌ただしい四日間だ。


「ふう」と息をつきながら早百合さんがソファに身を投げる。

「大丈夫ですか、何か厄介なもの射ち込まれて」


「あそこでやってた入れ墨とか印って何だったんですか?」

 気づけば今は早百合さんの肌は傷一つないキレイな状態。ブラウスに残った血痕のみがさっきの惨状を教える。


「あー、あれね。ちょっとエリーにならって巫女っぽいことをね。姿かたち無きものとの対話の儀式ってやつ。あいつら元々数増えると自力で"穴"を開けだすほどの複雑系持ってるじゃない。だからこっちで擬似的に人格与えてやれるのよね、そいつと交渉してたのよ。その内にもっと条件の良い世界に運んでやるから今は大人しくしてろって」


「えー、わざわざ自分からそれだけの数に増やしたんかや。おまけに今体内にグリュンゼクト飼ってる状態なんじゃろ。相変わらずおっそろしいことするのう。ある意味腹に核爆弾抱えとるようなもんじゃろ。」


 ファムは物騒な例えをした割に気軽な調子で「さあて、それより充電充電っと」とゲーム機を取り出しながら壁際のコンセントに向かっていった。

 もう以降の話には興味ないという態度。思えばファムだけは一貫して早百合さんが勝利することを疑ってなかったんだよな。


「もうバリアは破れるし、早百合さんは倒れるわで、ほんと慌てましたよ」


「まあ、たしかに初撃でグリュンゼクトを二発分くらってたら、対処する前に増殖されてちょっとヤバかったかもね。それに大阪人はどうせそれ以上大したことできないと思って後回しにしてたら、まさかあそこから強制転移できるとはね。あいつらの母世界に飛ばされても負けるつもりはないけど、座標掴むのに手間がかかっただろうから、当分戻ってこれなかったでしょうね。お手柄だったわ圭一君」


 早百合さんはそう言うとだらしなく足を投げ出した。


「あー、今なら毒物耐性のスキルも弱ってるから酔い易いかも。ゆづちゃん、そこの棚にブランデー隠してるから、取ってー」

「いけません。早百合さんにはこれから社長に報告に行ってもらいますからね。その後も次長に連絡して対策相談するんでしょう」

「あーいいわよそんなの。ちょっと休んだらもう一回行ってシメてくるわよ。タネさえ分かってればあんな奴らどうとでもなるから。石川さんならそれまでの間しのいでくれるだろうし」


 結局ローザさん達は早百合さんを捕まえて何をしたかったのか。ファムの口ぶりでは竜の血を提供したのはまた別の存在みたいだけど。色々聞きたいが、今は早く回復してもらわないと。僕は隣接する給湯室から、お湯を絞ったタオルと水の入ったグラスを持ってくる。


「ありがと」早百合さんは一気に水をあおると、熱いタオルを顔に掛けてぐでっと身を伸ばす。


「もう早百合さんってば…………」


 なんだかんだで大分疲れてるんだな。僕らはそんな早百合さんを見て顔を合わせ苦笑する。


 そして僕は対面する少女に姿勢を直して向き合う。


「それで、『初めまして』でいいのかな」

 僕はそう問いかけた。


 少女が片目をぴくっと上げて反応。にっ、と笑顔が返ってくる。


 魔法使いである藤沢さん。多数の魔法を会得し、法則の違う複数の異世界で通用する魔法の専門家スペシャリスト

 だけど先程彼女が見せたプロの軍人相手の立ち回り。華麗な足技、杖術。あの世界の武術体系は知らないが、似たものや原型に当たるスキルは存在するだろう。ならばその名前でスキル表示されていたはず。僕の平泳ぎやクロールの技術があちらでの似通った泳法としてスキル化していたように。


 それはローザさんも言っていた事だ。もしもそんなスキルが目についていたのなら、あちらも魔法を封じるだけでなく、相応の用心をしていただろう。

 なぜ鑑定を受けたときにそれが発覚しなかった?


 そして藤沢さんが時折見せる違う一面――――教師であり上司である早百合さんへのどこかお目付役的な態度 。普段のぽわんとした雰囲気と反対の折り目正しい姿勢。

 TPOに合わせていたのかと思っていたけれど。


 藤沢さんが言っていた。妹の魔法の練習に付き合っている内に身体が魔法に対応したと。でもそれだけで対応するんならもっと世の中に普及しているんじゃないか。


 ファムが言っていた。前世で魔法のある世界に生きた魂ならば、今世の肉体を魔法を使えるよう変質させる事があると。

  

 だったら…………


 思い浮かべるのは――――異世界転生物でそれなりに見かけるパターン。異世界に送られた主人公の魂がサラの肉体を得るのではなく、現地住人の身体に宿るパターン。

 本来の人格と融合、または一方的に吸収する・される、物心つく頃に入れ替わり。

 あるいは……二つの魂が、人格が、並列して宿るパターン。


 もしも……逆に異世界人の魂が地球に飛んできたとしたら?

 異世界から来たという妹さんが魂だけで、そして藤沢さんの身体に宿っていたとしたら?


 目の前の少女がその疑問に答える。


「さすがに分かっちゃうか。もう少し引っ張ろうかと思ってたんだけどねえ」

 すっと目の前の相手の印象が変わる。どこかあどけなさの残った顔が大人びた女性のそれへ。


「弓槻の妹のエリーよ、改めてよろしくね」

 声は同じなのに、これまでよりずっと落ち着いた品のある話し方。


「それじゃあ最初からずっと会っていたってことなのかな」

「そうね、この子が真上くんと普通に会話している程度だったら私も一緒に見聞きしてたと思って」

 そう言って自分の胸元を指差す。


「そっか、やっぱり。じゃあ、さっき暴れてたのがエリーさんなんだ。僕が強制転移飛ばされそうになったてたのを助けてくれたよね」


 ありがとうとお礼を言うと、「どういたしまして」と大げさに胸をはるエリーさん。

「真上くんも頑張ってたからね」と褒めてくれるのが嬉しい。

 何というか妹というけれど、むしろお姉さんオーラある。早百合さんも美人なお姉さんだけど、エリーさんは近所のちょっとだけ年上の憧れのお姉さん感。


「それと……暴れたって言うけど私はちょっと襲ってきた連中を撃退しただけよ。今回……というかいつもだけど暴れるのは姉の方だからね」

 

「えっと、その藤沢さん……お姉さんは今も一緒に聞いてるの?」

「今はちょっとお休み中。さすがに魔法を使いすぎて疲れてちゃってるから」

「そっか寝てるのか」

 

「察しはついてるみたいだけど、私は異世界から魂だけで流れてきたの。色々あって今は弓槻の身体に間借りしてる感じね。多重経歴マルチキャリアって奴よ」

「二心一体ってやつだね」


「えっと、正確には私は弓槻の肉体じゃなくて、この子の脳活動に宿る形……それこそファム様が言ってたエミュレーター的な存在だから、私は弓槻が起きてる時しか活動できないの。この子の調子が良ければ二人で並立できるんだけど、疲れてる時なんかはどちらかがメインになってるからそのつもりでね」


 口調とか雰囲気で区別すればいいのかな、と尋ねると、

「すごく簡単に言うと、この子ポンコツだなって思ったらそれは弓槻だけの時ね」

「あっ、はい」

 この四日間を思い出して何となく納得する。


「ちなみに基本的には記憶も思考も別々よ。ある程度共有もできるけどね。そんなわけで真上くんが初対面の時からちらちらこの胸を覗き見してたのは私だけが気づいてます。安心してね」

「あわ!?」エリーさん!?


「あと分かりやすい所だと、弓槻が難度の高い魔法を使ってるときは殆ど出てこれないから注意してね」

「は、はい」

 

 完全に主導権を取られた感。だけど、これもお姉さんにリードされる感じで心地よくもある。だから僕にしては思い切って一歩踏み込む。


「じゃ、じゃあさ、区別しないといけないからこれからは……エリーさん、弓槻さんで呼ばせてもらうよ」

 勢いで下の名呼びを持ちかけた。


「いいわよ、私はただのエリーで。そっちの方が呼びやすいでしょ」

「あっ、はい」

 どころか呼び捨てまで許可されてしまった。

 だったら……だったら僕のことも名前で呼んで欲しい…………


「あの、じゃ、じゃあ……僕のことも……」

「あっ、私の存在は殆どの人は知らないから、外でも社内でも他の人がいるときは弓槻で通しといてね」

「うん。それで……折角だから、その……僕のこと……」


「あっと、そろそろ弓槻に変わるね。じゃあね真上くん」

 あっ…………。


 エリーはそう言い残して消えてしまった。

 大人びた年上の女性らしい表情がすっと消える。いたずらっぽい流し目がキョトンとした目に変わった。そのままぱちくりさせた瞳が周囲を見回す。姉に切り替わったのが分かる。

 

「ああっ……」

 折角距離を詰めるチャンスだったのに…………。

 肩を落とし、ふと横を向くと早百合さんが顔のタオルを半分めくっていた。覗かせた片目が僕を呆れたように見ている。声を出さずに口だけパクつかせる。

「へ」「た」「れ」


 くっ……


 顔を藤沢姉妹に戻すと、まだ無言でぽおっとした表情。


「えっと、大丈夫?」と声をかける。

「んっ、ああ大丈夫ですよ。今ちょっと妹から状況聞いてたんです」


「圭一さんもうエリーのこと気づいちゃったんですねえ。親にも秘密にしてますから他の人には内緒ですよ」

「えっ!?」

「どうしました圭一さん」

「今、圭一って」

「うん? エリーが言ってましたよ、これからは下の名前で呼び合おうって」

「えっ」

「違いました?」

 首をかしげる生真面目な顔。同じ顔でさっき妹が見せた、いたずらっぽい表情を思いおこす。ははっ……やってくれるエリーさん。


 慌てて答える。

「そう、そうなんだ…………改めてよろしく。弓槻さん」

「ええ、これからもお願いします。圭一さん」

 彼女はそう言って微笑む。


 こうして僕の初仕事はなかなかステキな報酬を得て終わったのだ。

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