第29話 生贄
嗚咽する僕に、牢の外から声がかかった。
「おい、圭一。大丈夫か?」
そこに立つのは木剣を肩に担いだお馴染みのポーズをとる団長であった。
「団長……?」
「何かお前の悲痛な叫びが聞こえたんでな」
それでわざわざ心配して見に来てくれたのか。相変わらず面倒見のいい人。そう思うと慌てて弁解するように続ける。
「いや、ちと眠れないんで走り込みでもしようかと思ってついでにな」
雲に隠れたのか月明りが届かなくなったせいでよく見えないが、照れて頬をかく姿が容易に目に浮かぶ。
「圭一よ、今叫んでたのは女の名前か?」
「そうです」ただの同僚ですけど。
「分かるぜ…………ここに来る奴は最初に皆お前と同じ反応をするのさ。シャバに残してきた女が今頃他の男にあられもない姿にされてるんじゃないか、って妄想して胸を掻きむしるのさ」
「なっ!」
僕の事情など知らないはずの団長があまりに的確な指摘をしてきて、絶句する。
「なあに心配するなよ。ここにいる奴らはな、その内にそんな状況に喜びを感じる様になっていくもんさ。いや、そういう奴じゃなきゃ生き残れないってのが正確だな。お前もじきにそんな心境にたどり着けるだろうよ」
「やですよ、そんな境地」
ひょっとして叔父さんが妙にNTR物が充実していたのは非モテをこじらせた結果なのだろうか。
そんな事を思っていると――――
「何じゃこりゃあああああ!」
団長の突然の叫び。
「け、圭一……よく見りゃあお前なんて格好してやがるんだ!」
気づけば再び月明りが格子窓から差し込み、僕のあられもない姿を晒していた。
「あ、い、いや……み、見ないで!……これは、その…………えっと、これは、そう、あれです。明日の姫騎士サティ様の第二幕の予行練習といいますか……」
カツン――木剣が床に転げ落ちる音が響く。伏せていた顔を向けると、そこには団長が顔を抑え鉄格子にもたれている姿が。
「おおっ……おおぅ……サティ様が……」
しばしその格好で震えていた団長がやがて静かな声で告げる。
「圭一……今俺はハッキリ分かったぜ。明日、俺達は伝説の目撃者となるってな。よし、こりゃあ俺はもう今夜は眠れねえ! ちと走り込みに行ってくるぜ」
そう言い残すと団長は外部へ繋がる扉を開けて駆け出していった。「サティ様ー!」と叫びながら。
その後ろ姿を見送りながら今頃気づく。
「あの人普通に牢の外に出歩いてるんだな」
「にゃーん」
猫の鳴き声に顔を向けると先程と同じ格子窓にちょこんと立つ黒猫の姿。
「あれ、お前いつの間にかどっかにいってたのか」
再び手を差し出すと黒猫は素直に僕の元へ。抱え込むと鈴からファムの声が聞こえた。
「あれえ!? おかしいのう、ゆづの方もリモートコントロール有効になっとるし、こっちはちゃんと制御できるのう」
そんな…………遅かった……。藤沢さんはもうファムの毒牙にかかってしまっていたのだ。
「酷い……酷いよファム……」
僕の目から頬をつたって一筋の涙がこぼれ落ちる。胸に去来する無力感と絶望感。僕がこんな状況にさえ陥らなければ…………あの時オーク肉に釣られなければ、今でも彼女の側で共に笑い会えていたんじゃないか……後悔に全身をかきむしりたくなる。
「さっきからお主は何を騒いどるんじゃ? ゆづのシステム画面は妾が直接起動させたが何かあるんか?」
「えっ、ああ……そうか、管理者が側に居ればそりゃそういう事も出来るよな」
よかった……本当によかった。藤沢さんはこれで汚れキャラにならずにすんだんだね。藤沢さんのお嬢様イメージが守られたことに安堵のため息をつく。
黒猫が首を伸ばして僕の頬をぺろりと舐めて涙の後を消してくれた。「ありがとな」とお礼に頭を撫でてからファムに呼びかける。
「それで、藤沢さんの方も異常なかったってことは、距離の問題とかじゃないのか?」
「いやこの距離なら誤差みたいなもんじゃからな…………あっ!」
「何か判ったの?」
「あれじゃ、圭一に入れた追加コンテンツ、多分あれが悪さしとるわ。そうじゃよ、ポリティカル・コレクトネス機能って最新版で実装されたんで、その機能使ったコンテンツは旧版では使えんかったわ。うむ、そういや管理者コミュでバグ報告されとったわな」
「おおおい! 何してくれてんのお! 大体これ語尾が変わるというかセリフが終わった後に一拍置いてから『にゃ』が付いててめっちゃ不自然な不良品なんだけど!?」
「まあこういう不具合の発見も人ばし……イノベーターの務めじゃからな。皆様からのご意見ご報告は新商品の開発をもって代えさせて頂きますんじゃよ」
「そこはせめてアップデートで対応すべきだろ」
「あんたいつもつまんない小銭稼ぎに走って被害出すわね」
と早百合さん。
「いや、もうそれより追加コンテンツが原因ならこれ外してよ」
「追加コンテンツは正規リリース品でないので保証適用外っつうか、ぶっちゃけリモートじゃ外せんのじゃ」
ファムが無情な宣告。スマホアプリを入れまくった時のメーカーの『いかなる不具合による損失も負いかねる』という注意事項の重みをようやく理解するはめに。
「いや、ほんとどうすりゃいいんだよ」
頭を抱えていると石川さんから対応策が示される。
「ファム様も明日スキルの買い取りに同行して頂けますか。一応うちは大店ですので丁稚を連れていても不自然ではありませんから。直接対面すれば修正できるのでしょう」
「ふむ、まあそれしかなかろうかの」
「いや、待ってくださいよ。他に方法が無かったから剣のスキルの取得のために行動してましたけど、実際の所は素人があと一日でレベル認定されるなんて無理ですよ」
「別に剣のスキルにこだわらなければいいんじゃないですか」
藤沢さんが不思議そうな声で言うので、明日は剣しか買い取りが行われないと説明する。
あの巨漢、ただ立っているだけで分かる強者のオーラ。たしかにスキルの判定テストは決して団長に勝てというわけじゃない。初日にレベル2と認定された囚人を思い出す。彼は団長に幾度も剣を振るったが有効打は無かった。だが最後に渾身の一撃を奮って、それすら防がれたがそれで合格とされた。要は良いところを見せればそれでいいのだ。だが…………
自分の手を見つめる。一日木剣を振っていただけでまだしびれが残っている柔な手。
これで団長相手に健闘する? ははっ、無理だろ。
「そうだ、何もこんなまどろっこしい手でいくなんて早百合さんらしくもない。こうズバッといっちゃいましょうよ」
「ズバッとというと?」
「目的のためには最短距離突っ切るのが早百合さんじゃないですか。もうサクッと僕を脱獄させて下さいよ。正面から乗り込んでも看守を怪我させる事なく無力化出来るんじゃないんですか」
「圭一君私を何だと思ってるのよ」
「大体いつものノリですね」「じゃな」と藤沢さんとファムが同意する。
「短絡的すぎるわよ」と言った早百合さんが指ピンでもしたのか藤沢さんが「あう」と声を上げる。「なぜ私が……」
「そりゃあ圭一君を救うだけならそうするわ。でも忘れちゃダメよ。今回は転生者としてこの世界に根ざしてる石川さんの身も守らなきゃいけないの。既に石川さんの名とコネで出来る手は打ってもらってるんだから。圭一君が不正な手で逃げ出せばそれは石川さんの罪となるのよ」
「申し訳ありません。私一人の身であればどうとでもお使い下さい。前世では私はそういう生き方をしてきました。ですが今生―――私の人生は妻と……生まれてくる我が子に捧げました。私は……何としても家族を守らなければなりません」
そう穏やかながら力強い声で述べた石川さん。対面せずとも深々と頭を下げているのが分かる。
僕も頭を下げる。脳裏に浮かぶのはミシェルさんの姿。新しい命を迎えるために整えられたあの暖かな家。あの光景を僕が壊すことは出来ない。
「分かりました、何としても明日の買取りには潜り込みます」
「まあ妾も責を感じるからの。今から修正パッチを用意するとしようかの」
そうだよ発端はどうあれ状況悪化させたのはお前と口車に乗った僕だからな。
「そうだ、人が絡むとだめなんでしたら自然現象でいけばいいんですよ」と藤沢さんが名案を思いついたとばかりに嬉しそうな声。
「早百合さんがワイバーンに命じて監獄に襲撃をかければ、自然と新入りの真上さんが生贄に差し出されるんじゃないでしょうか。それをパクっといけば証拠隠滅ですよ」
「「何言ってるの!?」」
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