第26話 使い魔
「藤沢さん?」
この二日間、聞きたかったその声に、反射的にその名前を呼ぶとすぐに反応が返ってくる。
「確認しますが、今周囲に人はいませんね?」
正確には猫の口は動いていない。その声が聞こえてくるのは首の黄色い鈴から。ひょっとして無線機が仕込んであるのだろうか、そう思って手に取ったが鈴は口の開いたハンドベル型。何か仕込む様なスペースは無い。
「真上さん?」
再び鈴から呼びかけられる。
「ああ、ごめん。うん、誰もいないよ。……これ、どうやって声出してるの?」
「魔法ですよ。猫に付いた鈴がトランシーバーだと思って下さい 。ちなみにこの猫は早百合さんが魔力で生み出した使い魔です」
彼女の言葉と共に微かに鈴自体が振動する。
「それよりも真上さん、無事ですか?」
藤沢さんから僕の身を案じる言葉を掛けられて不覚にも涙ぐんでしまう。自分を心配してくれる人、帰りを待つ人がいる事に、心細さに沈んでいた胸がじわっと熱くなる。黒猫の丸く開いた瞳孔に見つめられて慌てて涙を拭い取って答える。
「うん、何とかね」
「圭一君、大丈夫だった? 大変な目に合わせちゃったわね」
「早百合さん……」
途端に胸を満たす安心感。きっとこの人なら僕の苦境を救ってくれるはず。
「のうのう圭一、やっぱムショって『へへっ可愛い顔してるじゃねえか、女装させれば楽しめそうだぜ』みたいな展開あったんかや?」
わくわくとしたファムの声。「ほう」と反応したのは藤沢さん。
「無いよ、んなもん。大体僕は独房に入ってるからな」
「独房に。それは良かった」
今度は石川さんの声。
「いえ、意外とここって規律が保たれてるからその手の心配はいらないと思いますよ」
「そちらの心配ではなくて…………いや、それより真上さん、申し訳ありませんでした」
なぜか石川さんからの謝罪。
「そんな石川さんが謝ることなんて……」
「いえ、真上さんが捕まったのは私が原因なんです」
「……? どういうことですか?」
「私の同僚、藤沢さんにスキルを提供した男がいましたよね。彼が隊長へ密告したのです。真上さんが帝国のスパイであると。正確には狙いは真上さんではなく、その繋がりで私を引き落とそうとしたのですが」
脳裏に浮かぶ「地の繁栄」での一幕。上客と踏んだ藤沢さんに、自分をしきりに売り込んできていた男。石川さんの名前を出した時の彼の忌まわしげな顔。僕に怒りをぶつけた態度。
石川さんに対し何かしら含む物があるのは分かったし、そばに有能で公私共に順風満帆なリア充がいれば理由がなくても嫉妬から恨みを抱く事だってあるだろう。
「私の店長就任を面白く思っていなかったのは知っていましたが、このような愚かな手に出るとは」
穏やかな口調ながら、聞いてるこちらが底冷えするような怒りを感じ取って僕は恐る恐る確認する。
「ちなみにその人は今どうしてるんですか?」
「少しお話をしましてね…………今は反省しておりますよ。真上さんにも謝罪したいと、泣いて懇願しておりましたな」
「それは分かりましたが、僕がスパイってのは無理やりすぎませんか。いや、隊長や石川さんの反応からすると僕の持ってるスキルからはそれなりに根拠はあったみたいですけど、いきなり逮捕して挙げ句投獄するなんて」
「そうですね、状況証拠としては疑わしくはありましたが、いくら何でも白昼の人通りで捕縛が許される程の根拠ではありません」
「ですよね、やっぱり」
「あの警吏の隊長は前から問題視されておりまして。所詮は親から継いだ鑑定スキルをもっても警吏にしかなれなかった男です。立場を良いことに鑑定代を払えぬ下層民に犯罪絡みのスキルが芽生えていると難癖を付けて小銭を巻き上げるような輩です。ですがそれが行き過ぎて近々
「無実だったら終わりじゃないですか?」
「たしかに状況証拠、それ自体は揃っておりましたから。手段は問題あれど最終的に証明さえできれば不問となりましょう。どの道クビが迫ってるとあれば隊長にとっては博打を打つしか無いのです」
「その状況証拠って具体的に何なんですか? 地図作成は何となく分かるんですよ。地球では大したレベルじゃないはずですけど、ここなら充分スパイの技量として通用するのかなって」
「ええ、この国では広域地図で鳥瞰図と、詳細地図で切絵図―――地球の町中にある住宅地図相当ですね、それが最高峰の技術です。地球では社会や図工の授業で学ぶレベルでしょう。それにこの世界にも定規はありますが、それを用いて縮尺を合わせよう、その発想を持っているだけでトップレベルです。まあ広域地図のレベルは3と意外と低いですから、恐らく他の大陸ではもっと高度な作成技術があるのでしょうね」
「風景模写もそのパターンって事ですか。それで水泳スキルは一昨日隊長が帝国にしか無いみたいなこと言ってましたけど、ここの人達って川で泳いだりしないんですか?」
「川は漁師ギルドの領分ですから権利無きものは水浴びでも罰せられます。街を離れれば別でしょうが。漁師がかろうじてママラハ泳法のスキルを発生させるくらいですね」
「ママラハ泳法?」
「クロールの原型のような泳ぎ方です、クロールと違って息継ぎが右側だけで行ってますが」
「妙な響きの名前ですね」
「スキルの使い手の主流が他所の文化圏だとそちらの名前で表示されますから。実際熟練漁師でも低レベルしか所有していないので、本場ではもっと技術が向上しているのでしょうね。
それから真上さんが疑われた理由であるのが『大河を進む流木泳法』と『貝採り泳法』です。流木泳法は手を使わない背泳ぎと思われます。泳ぎというよりも船乗りが船から落ちた時に助けが来るまで漂流するためのスキルでしょう。
貝採り泳法はそのままですね。海のある国にしか存在しないスキルで平泳ぎのことでしょう」
クロール、背泳ぎ、平泳ぎ。たしかに僕が習得してる水泳スキルだ。
あれ、でもバタフライが無いけどスキル認定されないレベルなのか? と思ったが多分この世界であんな疲れる泳法が生まれてないだけなんだろう。水泳競技がなきゃスピードなんて求める必要ないもんな。
「でもそれが帝国でしか需要がないからって、それを抱えてる僕が帝国の人間だってのは乱暴すぎませんか? 逆に石川さんの説明したスキルの運び人って設定の裏付けになりそうですけど」
「水泳スキルだけでしたらよかったのですが。真上さんも藤沢さんも日本の高等教育で得たスキルを多数抱えております。どれもこの世界では支配者階級や専門家でないと持っていないスキルです。しかし真上さんはその特殊スキルに絡むギルドの販売許可証やスキルの履歴書もない。なのにどこの
そもそも隊長が言っていたようにこれだけのスキルを持ちながら移動許可証の無い人間が関所を通過できるはずがありませんから。裏社会のルートを経たと、その伝手がある筋の人間であると、そう思われたのでしょう」
「う……うーん」
たしかに現地の人から見れば僕は怪しいのか。スキルだけで言えば僕より学力ありそうな藤沢さんの方が余程高度スキルを所持してそうだけど、あちらは貴族の係累と思われてて僕は明らかな平民以下の格好だったものな。
「まあその辺は説明無しに圭一を放置した早百合の責任じゃよ」
「しょうがないじゃない。圭一君が魔力持ってなかったんだもの」
普通は関所やあの悪徳警吏隊長でも無ければ人に無断で鑑定を掛けることは無いという。魔法スキルを所持してる人は限定されるが、この世界の人は最低限魔力を扱う素質はあるから鑑定をかけられればそれと知れる。
だが先天的にその素質の無い人はいて、あの店員も僕がその少数派だと察して何気なく鑑定を掛けてみたそうだ。結果、咎められなかったからとじっくりスキルをチェックして不審を抱いて密告したそうな。
「あー、僕が魔法スキル手に入れてたらこんな事にはならなかったのかあ。こりゃやっぱり僕も魔法覚えないといけないんじゃないですかね、早百合さん」
「ほんと、監獄に放り込まれたと聞いて慌てたけど、余裕そうで安心したわ」
早百合さんが苦笑するのが伝わってくる。
「無事でいるのは運が良かったからだと思いますけど。まあそれはともかく早く釈放手続きをお願いしますよ」
早百合さんなら多少のルール破りでもっても、強引さで何とかしてくれるんじゃないかと期待。
「それなんだけどね、もう少しそこで頑張って」
が、あえなく否定された。
「私はこれから公国の駐在員の所に行ってくるわ。そこで圭一君の身元を証明する書類や、スキルの譲渡書や石川さん宛にスキルの詳細を記した手紙を書いてもらってくるわ。それを今届いたかのように
三~四日待てという。
「滞在期間ギリギリですよね。過ぎたからって置いてかないで下さいね」
「その時はファムが交渉する予定よ」
「ここの管理者は他所からの干渉を嫌っておるからの。早百合に暴れられるのも困るが、感知しとらん日本人集団にのさばられる方を嫌がるじゃろ。まだ連絡はつかんが、事情を知れば逆に向こうから調査を依頼してこようて」
「そういうのって管理者権限で強制排除とか出来ないの?」
「逆じゃよ、妾達は転移者にも転生者にもその行動を妨害はできぬ。支援いう形での干渉が許されとるくらいじゃよ」
ファムがため息を付きながら言う。「色々面倒なルールに縛られとるんじゃ」
「ふうん」まあ今さらファムに全能の存在というイメージは持ちづらいものがある。
そういえば日本人集団の調査はどうなったかと聞くと、早百合さんも石川さんの方も空振りで現状進展無しだとの事。
「そうですか……」
現状では僕の釈放も書類待ちで、早百合さんもそちらにかかりきりで調査も進むに進められない。
どうにももどかしくて「はあ」とため息をつく。「こう身動き取れないってのはつらいですよ」
「まあそう嘆かないの。圭一君は今は無事に過ごす事だけを考えていて」
「それなりに上手くやっていけはしていますよ。まあ最初ここに放り込まれた時は拷問でもされるんじゃないかって怯えてましたけどね」
「その件ですが……、お話しなければいけない事があります」
石川さんからそう切り出された。「この世界、何の後ろ盾の無い人間は普通に拷問されるんですよ」
「うわ……」
「恐らくは当初は拷問で無理やりスパイの自供をさせようとしてたのでしょう。もちろんそのような事はさせません。既にギルド長から口を利いてもらっていますので、釈放はお約束出来ませんが拷問だけは防げるはずです。一等市民が保証する者を間接的な容疑だけで手を出すほど奴らも無謀ではないでしょう」
そう聞いて安心するが石川さんは「ですが……」と続ける。
「まさにそれが監獄入りの原因になってしまったようです。元々詰め所の留置所は一時的な勾留が目的ですから、調査が長引く場合に監獄へ預けられるのは無くはないのですが、恐らくは今回は証拠固めの為の措置であるかと」
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