第25話 姫騎士サティ

 今日も朝から剣の修行に明け暮れた。

 夕方になり終いの時間が告げられると同時に地面に倒れ込む。

「疲れた…………もう動けない…………」

 服が汚れ、土を這う虫が寄ってくるが払う気力も残ってない。

 だがそんな僕を囲むように皆が集まってくる。


「おう、飯だ飯。さあすべらない話の時間だぜ。よし、皆。圭一を運び出すぞ」

「「オオーラ」」


     ◇◇◇◇◇


「まったく、圭一のすべらない話は最高だぜ!」

 手を上げて皆の歓声に答える。喉を整えようと咳をすると、とたんに幾つも差し出される果実水。その内の一杯を受け取り喉に一気に流し込む。カップをテーブルに置くや湧き上がるアンコールの声。


 ふむ。今夜も僕はまだ解放されないらしい。さて、次は何を物語ろうか……そうだな……昨日は深く考えずにオークをいいものにしてしまったからな。オークを悪役にした話でバランスを取るとしよう。しばし考えをまとめて僕は口を開く。


「続きまして語らせて頂きますのは、麗しの姫騎士サティ様の物語でございます」


 その途端、聴衆が一斉にごくりと息を飲んだ。

「姫……騎士……」

「サティ……様」

 皆が目を大きく開き前のめりに。胸を抑えるようにして手を固く握りしめる。期待とその中に交じる幾ばくかの困惑の表情。恐らくは姫と騎士という言葉が結びつかずに。


 だが誰もそれが何かを問うてはこない。口を開こうとした者もいたが、すぐに唇をキッと噛み締め口をつぐむ。意味が分からずともその響きが放つ尊さは感じ取れるだろう。つまらぬ問いかけでこれから始まる至上の物語の腰を折ってはならない。さあ早く物語を――――その思いを込めてただじっと僕の口元を凝視する。


 数十人から寄せられる視線。それが含む熱に室温すら上がっていくように感じられて、僕は厳かに口を開く。


「これは遠い国のはるか昔のお話。舞台となるのはアイオーン公国…………」

 僕は謳い上げる。アイオーン公国の美しさを。

 それは豊かな自然に恵まれた豊穣の地。

 北にそびえる山脈は悠々と波のごとくに峰を連ねた、神の寝所と語られる美しき国の誇り。それは蛮族の侵入を防ぎ、寒気から国を守り、清らかなを雪解け水をもたらし、良き小麦を育んだ。


 その土地を治めるのは民草から賢王と呼ばれる国王。公明正大に慈悲深き治世は長きに渡り、国は大いに栄えた。外れの農村に至るまでパンとワインが並ぶ食卓が常となり、時には肉も供された。飢えと子供の身売りは今や幼子を脅かす老人の昔語りとなった。人々は明日を信じ、子の、孫の未来を夢見る喜びを知った。


 そして一際小麦が豊作であった、ある年。人々は秋の祭りをことさらに盛大に祝った。

 国の騎士団長を務める若き王子と隣国から嫁いできた絶世の美姫と歌われた妻。その二人の間に待望の赤子が誕生したのだ。


 聴衆は思い馳せる。父母に抱かれたその玉のように美しい赤子の姿を。

 父からは澄み渡るような青い瞳を。母からは輝くばかりの金髪を受け継いだ天使の再臨を。口々にその誕生を言祝ことほいだ。


 やがてその赤子は『いついかなる時も臣民あなたがたを守る』と意味するサティと名付けられた。未来の君主として相応しき名付け。

 皆はこの時アイオーン公国の忠実なる臣民となった。

「姫様がオラ達を守ってくださるなんて……もったいねえ」


 だが今この時はサティ姫も愛らしい赤子であった。よちよちと母を求めて這う姿に頬を緩め、こてと転べばその小さな手足に傷がないか心配する。

 父母や祖父、そして臣民達は共にその成長を見守った。


 サティ姫はすくすくと成長する。ドアを自分で開けられる程に手足が伸びれば、一人庭に飛び出て蝶を追いかけ、土まみれになっては侍女頭を卒倒させる。

 五つの誕生日に与えられた子犬とは姉妹の契を交わして、ベッドの下、シーツが重なるリネンカートの中、競い合って隠れんぼに興じる。


 姫の笑顔と歓声と時折の侍女の悲鳴。賑やかくも穏やかに流れる日々。


 だが、サティ姫の八つの数えの年。不幸な事故が起きた。今だ新婚のように睦まじい両親が乗馬し駆けていた避暑地の森。ふいに現れた蛇に愛馬が驚き暴れ、二人は落馬――――敢え無く命を落としたのだ。


 両親の亡骸に縋り付き、サティ姫は涙も枯れんばかり泣きはらした。

 臣民もまた、その小さな胸に張り裂けんばかりの悲しみを思い共に涙した。

「ああ、なんとおいたわしや。サティ様」


 幾日を泣いて過ごしたサティ姫はやがて一つの決意を胸に祖父の元に立つ。

 自分が父の後をついで騎士になると。父がそうであったように人々を守る騎士となると。それこそが両親が付けてくれた名に恥じぬ生き方であると。


 国王は、いや一人の祖父として彼は反対する。まだ幼き少女が目指す道として、それはどれ程過酷な道であろうか。

「その通りでさあ。おやめ下せえ。姫様がそんな危ない真似をするこたねえ」


 だが少女の決意は固かった。自身に仕える老執事がかつて名のある剣士であったことを知るや、剣を持て追いかけ回し教授を乞うた。

 むろん執事は断ったが昼夜問わぬ懇願についに根負けし、渋々と基礎の剣筋を教えた。非力な少女の身、数回も振れば腕の痛みに諦めを知るであろうと。


 だが、執事は目を見張る。少女の振るう剣、その軌跡の余りの美しさに。

 亡き父以上の才能がそこにあった。天授の才が生涯を費やし到達するであろう無心の境地がそこに、既に、たしかに存在していた。執事は思わず身震いしていた肩を押さえると、高貴な身ならば護身のすべも必要であろう、そう自身に言い聞かせ手ほどきを了承した。


 やがて十年が経った。

 サティ姫は真綿のように全てを吸収する。技の真髄はもとより、先人がそれを生み出すまでに費やした歳月と偏執に感謝の一念で応える。姫の奢ることなきその真情に、執事はとうにあらがう事を諦め自身の持てる全てが承継される喜びに身を任せていた。


 こうしてサティ姫は今や誰よりも壮烈にして高雅な剣を振るう。すなわち騎士であった。

 

 その腕の冴えは遂には当代の騎士団長をも模擬試合で降し、国王も渋々ながら孫娘を正式に騎士へと任命せざるをえなかった。


 ついに父の道を継いだサティ姫はその名のごとく臣民を守るために剣を振るい続ける。

 東の山で山賊が商人を襲ったと聞けば駆けつけこれを捕縛。西の村の娘がゴブリンに攫われたと知れば単騎駆けつけ、巣穴に飛び込み少女を救い卑しいモンスターを根絶やしにした。


 いつしか臣民はサティ姫のことを姫騎士と呼ぶようになった。姫にして騎士―――姫騎士サティ―――それは美しき霊峰よりも、上質な小麦よりも何よりアイオーン公国の誇りであった。  

「サティ様!」「我らが姫様! 騎士様!」「姫騎士サティ様!」


 だが、サティ姫が十八の成人の儀を間近に控えた頃――――悲劇が起こった。

 突如オークの軍勢が侵略してきたのだ。突然変異でオークキングに進化した個体が率いるおぞましきモンスターの群れは瞬く間に村々を飲み込み、王都に迫らんとしていた。

 姫騎士はその軍勢を前に悲傷にて崇高な決断を下す――――


「――――こうして国王と多くの臣民を逃がすため、殿しんがりを務めたサティ様は汚らわしいオークに囚われの身となってしまったのであります。オークキングはそのでっぷりと肥えた汚らしい腹を撫で付けながら姫騎士に迫ります。これはどれ程の恐怖であったでしょうか。しかしサティ様は震える心を押し殺し、きっと憎き敵を見据えて言います『くっ、殺せ!』――――」


「うおおおぉおおおお!」


 突然の雄叫びと共に僕の側にあった果実水の入った樽が破裂する。

「危なっ! ちょっ、団長何するんですか!」


「オークの野郎! 許さねえ!」

 人がひしめき合う食堂の中、突然団長が木剣を振り回し始めた。

「団長ー! 落ち着いて下さーい!」「おい、皆押さえつけろ!」


「サティ様ー! 今このマックスが参ります!」

 近くの囚人達が必死に団長の手足にしがみつく。

「離せお前ら! サティ様は俺がお救いするんだ!」

 そもそも何でこの人まだ木剣持ってんだよ。僕らのは訓練終了と同時に看守が回収してたのに。


「せいあーつ!」

 看守達が囚人ごと床に押さえ込み、ようやく団長をおとなしくさせるのに成功する。

「あれ、オーク共は? サティ様はどこに?」

  団長が我に帰った所で息をついたが、部屋の反対側でまたざわつきが。


「圭一、酷えよ 俺たちがここでどんな生活してるか知ってるだろう。なのにそんな別嬪さんの話を聞かされちまったら俺はもう……くっ……」


「あっ、てめえ! こんな所で汚えもん弄るんじゃねえ!」

「この野郎! サティ様の気高き御心を汚す奴は俺が許さねえ!」


「ちょ、団長落ち着いて!」


「はい! 皆落ちついて! 続きはまた明日!」


     ◇◇◇◇◇


 独房でベッドに腰掛けて独りごちる。

「ううむ。今日も盛況であったが、いきなりくっ殺女騎士はやりすぎたかもしんないなあ……昨日以上に聴者の反応は劇的であったが。もっと最初はシンデレラや白雪姫みたいな可憐なお姫様という、この世界でも馴染みやすいイメージをしっかりと固めた上で…………じゃないよ!」


「僕は何やってんだよ」座り込んだまま頭を抱え込む。

「すべらない話はあくまで手段であって目的の剣術スキルはまったく進歩してないよ…………明日には買い取りがあるのに、どうすんだよ」  


「にゃーん」

 しばし苦悩していた僕の耳に突然聞こえてきた猫の鳴き声。

 見上げたのは明り取りの小さな格子窓。そこには一匹の黒猫が居た。

 暗闇に輝く金色の目。月明りにピンと尻尾を立てたシルエットが映える。首には赤い首輪と黄色の鈴。

 飼い猫がこんな所まで迷い込んだのだろうか。


「おいで」

 手を差し出すと、それに誘われた様に黒猫はぴょんと窓から飛び降り僕の元へ。そっと抱き上げると抵抗もせずに僕の膝の上へ収まる。

「人懐っこい子だな」


 軽く頭を撫でると気持ちいいのか小さく「にゃあ」と鳴く。僕はほんとは犬派なんだけど、今この時は断然猫派だ。牢獄生活に突如もたらされた癒やしの時間。黒猫の方もぺたんと座り込んで喉を鳴らし始めたのに気を良くして背中から首周りへと撫で上げる。


「はあ……癒やされる…………。猫の愛らしさはここでも変わんないんだな…………とはいえせっかく異世界に来たんだからできればネコ耳少女をモフりたかったけどな」

 現実に出会えたのは中年男性のネコ耳だものな。

「ほら、人型に変化してもいいんだぞ」

 黒猫を対面する様に持ち抱え、喉をワシワシとしごく。


「余裕そうですねえ真上さん」

 突然黒猫が藤沢さんの声で喋りだした。

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