第10話 異世界病原菌対策(※少々痛みます)

「で、どうよ」

「おお、お主の睨んだ通りじゃったぞ」

「ふふっ、これは逃すわけにはいかないわね」

「かわいそうにのう。せっかく平穏に生きてきたのに、万に一つの穴に落ちてあげく早百合に出くわすとはのう」


 遠いようで近いような距離で誰かの話声が聞こえる。

 それが早百合さんと神様ファムの声だと気づいた所で僕の意識は覚醒する。


「はっ!」

 目を開けるとそこには早百合さんの顔。

「あら、気づいたのね」その微笑の向こうは一面の青空。

 後頭部に受ける柔らかな感触。僕は早百合さんに膝枕をされていた。


 えっと……

 さっき僕はこの人に刺されたような……


 でも向けている笑顔はとても加害者のものじゃないよな。


 戸惑いながら身を起こす。

 周囲を見回すと、場所は僕が意識を失う前と同じ神殿の中心地。

 土龍に侵入された破壊の痕跡があちこちに散っている。崩れた柱石から今も破片がパラパラと落下し、モンスターの焼け焦げた匂いがかすかに漂っている。


 少し離れた所では藤沢さんが鼻歌でも歌ってそうなご機嫌な様子で、ざくざくと土龍の身体に剣を切り込んでいる。

 早百合さんから借りたであろうその剣。


 その剣先がさっき刺しこまれたはずの自分の腹を確認。大分汚れたシャツだが腹部には血は一滴も付いていない。だが横向きの大きな切れ目が入っていて、さっきの光景が夢ではなかったと知らせる。


 そっと指を這わせると、触れるのは何の引っ掛かりも無い肌。

 痛みだって無い。

 いや、そもそもあの時の突然の胸の痛み、全身を襲った悪寒は何だったんだ?

 今は収まっているけれど。


「これは一体……?」

 答えを求めて早百合さんに顔を向ける。


「うん、ちょっと圭一君に病原菌対策を施したのよ」

 返ってきた言葉に思わずオウム返し。

「病原菌?」

「ええ、圭一君って分枝世界から来たわけじゃない。それって本来は専門機関に入院させて長期間検査受けないといけないのよ。圭一君が危険な病原菌のキャリアかもしれないからね。あなた自身は抗体持っていて発症しなくてもこっちの人間は抵抗できないわけだからね」


 言われてみればたしかに。歴史の授業で習ったスペインが持ち込んだ天然痘で住人数十万人が病に倒れ、僅か数百人に征服されたインカ帝国の事を思い出す。

 そこまでいかなくたって、ありふれたインフルエンザもちょっと型が変わるだけで大流行したりする。


「でもさっきの霊薬がそういうのを防いでくれるんじゃないんですか?」

 ここに来る前に飲まされた黒い魔法薬。異世界での病原菌なんかに備えるんだと説明されたはずだけれど。


「あれは正確には呪薬よ。対象があらゆる病魔にむしばまれる呪いが掛けられてるの」

「えっ!?」早百合さんがおかしなことを言い出した。「なんでそんなものを?」


「うん、あらゆる病魔と言ってもまずは対象が抱えてる不調が表に出てくるのよ。

そうすれば圭一君の中で内臓に潜伏してたり顕在化してないウィルスなんかがあれば無理やり悪性化して発症しちゃうのね」


「何でそんなひどい事を!?」

「あら、ひどいって。逆よ。この世界ってね、悪霊怨霊に呪い祟りが実在するっていう世界なの。病気は悪霊の仕業ってわけ。逆に言えば御札なり祈祷なりで悪霊を祓えばちゃんと病気も治るシステムなのね。だからそれを利用してあなたの身体に潜む病原体を悪霊という形で顕現させて、それを一掃したってわけ。今のあなたは最高のコンディションのはずよ」


 そう言って早百合さんは視線を藤沢さんの方へ。

 彼女はどうやってかひっくり返した土龍の腹に乗り、大剣グサリと突き刺している所であった。

「あの剣、破邪の力を持つ霊験なの。魔力の無い圭一君には見えなかったでしょうけど、あなたの身から悪霊が炙り出されてたんだからね。それをあの剣で祓ったってわけ」


「僕も一緒に刺されてたと思うんですが……」

「簡易的な呪薬だからね。顕現させたって言っても圭一君の肉体とほとんど重なった状態だもの。もっと面倒な儀式を施せば完全に人格持って自立した悪霊として分離できるんだけど、そんな手間かけらてられないじゃない?」

「うわっ」

 思い返せばあの薬を飲んだ際に藤沢さんが引いた顔をしていた。僕もドン引きだよ。


「即座にちちんぷいで回復魔法かけといたんだから、ちょっとチクッっとした程度でしょ。注射したみたいなものよ。男の子なんだからグダグダ言わないの」

 早百合さんは細長い指で僕のシャツの切れ目にそっと触れる。そのままゆっくりと撫でられるとむず痒さと電流が走ったような感触が混ざってびくっとする。…………これは黙るしかない。


「…………漂着者ってみんなこんな仕打ちされるんですか?」

「まさか。今回は圭一君をさくっとフリーにさせたかったのよ。実はあなたをウチの組織に勧誘しようと思ってね」


「えっ!? 僕を?」

 何のために? 僕の疑問顔をよそに、早百合さんは立ち上がる。

「ええそう、今回あなたにはちょっとした特性があることが判明したの。圭一君って異世界への渡航コストがすごく低いのよ。ううん。ある意味ゼロと言ってもいいわ」

 そこで取り出したのはここへのゲートを開くのに使われた鍵。


「今回この鍵でもってこの異世界へのゲートを開いたわけだけど、これはいわゆる魔道具でマナを消費して発動させてるの。これが正規ルートだと電気で稼働する機械式のゲートになるけど、どちらも莫大なエネルギーコストを払うのには変わらない。


 そのコストの内訳で大半を占めるのが二点あるの。一つは違う次元、世界へのゲートを開くこと。そしてそれ以上にコストがかかるのは防御膜の突破よ」

「防御膜?」


「ええ、分枝世界も異世界も、通常あらゆる世界はある種の膜に覆われているの。これによって違う世界との浸透を留め、内部の生物やシステムの混交を防いでる。

 圭一君は偶然出来た穴をくぐり抜けて私達の世界へ転移を果たしたわけだけど、実はこの穴自体は結構頻繁に発生してるのよ。でもこの膜があるおかげで互いの世界は容易に交わらないし、その住人が転移するのもしてくるのも防いでるの」


「えっと……じゃあどうして僕みたいに転移者が発生するんですか?」

「一つは単純に穴の規模が大きい場合。この場合は防御膜も引き伸ばされることで隙間が生じるの。そこを通過しちゃったってパターン。もう一つは互いの世界に互換性があって齟齬が出なければ膜の反応が弱いの」


「互換性?」

「ええ、分枝世界がそれね。私達の基底世界と圭一君の世界は物理法則から昭和辺りの歴史までは違いがないでしょ。この場合は膜の反応が弱いから穴が発生してそこに人がいればあっさり流れ落ちてくることになるの。

 実際漂着者として保護された内のほとんどはこの分枝世界出身ね。


 逆に膜が反応する、互換性がない世界がどういうものかというとね。防御膜が守ってる世界とシステムが違う世界、その産物の侵入に対してよ」


 どういう意味なのか、首をかしげていると早百合さんが手のひらを上に向ける。


「まあ分かりやすいところだとこれね」

 そこでボウッという音と共に生み出されたのは火球。藤沢さんのそれよりも、表面のゆらぎは赤黒く、禍々しくさえある。


「魔法……ってことですか?」

「正解。基本的には魔法の発動ってのはその世界の仕組みシステムに依存するから。例えば火球これはこの世界で手に入れた魔法だけど、体内のマナを捧げることで火の精霊に働きかけて生み出されるっていう作動原理なの。当然火の精霊が存在しない他の世界に行けば使えないわけよ」

「そう言えばさっき藤沢さんがそんなことを」


「火、水、土、風っていう四元素、及びそれを司る精霊に働きかけて魔法という奇跡を起こす、というのがこの世界のローカルルールであり仕組みシステムね。だからこの世界では人もモンスターも四元素の何かしらの属性を持ってるから、彼らは穴が開いても地球には侵入できないの」


「昔イギリスでゴブリンやスライムが地球に出てきたって聞きましたけど、あれは穴の規模が大きかったってパターンですか」


 早百合さんがそうよと頷き、辺りを見回す。

「こういう異世界は基本的に膜が反応するから穴も大きくしなきゃいけなくて、渡界コストが嵩むのよ。特に私やゆづちゃんは多重系統保持者マルチキャリアで、この世界や他の色んな異世界の魔法を覚えてるから地球に戻るのにも余計なコストがかかるしね。まあ私の場合はそれなりに裏技があるんだけど……」


 はて? と首をかしげる。

「えっと、何となく地球から異世界に来るのにコストかかるのは分かるんですけど、地球に戻る分にはそこ出身の早百合さん達は問題ないのでは?」

「魔法だとか特殊なスキルだとかを身に着けて無ければそうなんだけどね」


「でも早百合さん達がこの世界で、ここでしか使えない魔法を覚えたにしても、逆に地球では使えないんだから関係ないように思えるんですが?」

 それこそアメリカに旅行言って英語覚えたけど、日本に帰ったら使う機会無いみたいなものなのでは?


「魔法みたいな特定の世界固有の技能を使えるようになるってのは、その世界の仕組みを受け入れたって事。その世界の住人たる事を選んだとも言えるわ。雑に説明すると魂に所属する世界がどこか刻まれちゃうのよ。身分証明書に本籍地が書き込まれている様なものね。

 さらに言えば私達は複数の異世界の魔法が使えるから二重国籍者みたいなものよ。魂には元の地球と、受け入れた異世界の国籍の両方が併記されちゃうの。膜は通過しようとする対象の魂に刻まれたコードで異物かどうかを読み取るから余計に反応しちゃうのよ」


 そして早百合さんは伸ばした人差し指をぴんぴん、と振る。教師チックな仕草。

「そこで圭一君よ。あなたにはその膜の反応が無いの。魔法もシステム由来の特殊スキルを持たない普通の人間でもある程度は膜に反応するんだけど、あなたの場合はそれが完全に無反応。

 つまり渡界するのに最小限のスケールでゲートを通す分のコストだけで済むってこと。さらに言えばそうしてあなたを先導させることでゲートを構築したら、本来膜に反応される後続の私達もいつもより反応が薄かったの。その分のコストの節約もできるってわけ。圭一君はそういう体質なのよ」


 すると幼女がくつくと笑いだす。「体質のう……」と可笑しそうにつぶやき、早百合さんに睨まれて「おお怖いわい」と僕の陰に隠れた。


 よく分からないが、美女に意外な才能を褒められているらしく、こそばゆい。

「ええと、つまりは僕のチート能力ってわけですね。いや、僕も異世界に来たからにはチートの一つにも目覚めたいと思ってましたが、こりゃまた意外なものが来ましたね」


「ほへっ」と妙な顔をして横から僕を見上げる幼女。

「チートのう……言いたいことは分からんでもないが、お主の場合は渡界自体は完全に人頼み、アイテム頼みじゃぞ。さっきのゲート開いた鍵も高レベルの魔法使いでないと行き先の座標入力もできんからの。自力で制御効かんもんをチートはないじゃろ」


「いや、でも転移コストが低いっていうチートでしょ。ならこれ空間魔法とか覚えて異世界と地球を自在に言ったり来たりする流れじゃないの?」

 なるほど、僕が勧誘された理由がわかってきたぞ。僕はどうやら往還型の異世界もの主人公になるようだ。やっぱり異世界で地球産の商品売るショップを営業するべきかなあ。まずはシャンプーとか販売して現地女性を輝かせていきたい。


 そんな風に瞬間的に今後の展開を夢見たけれど、早百合さんが素っ気なく一言。


「だめよ圭一君は魔法なんか覚えちゃ」

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