第7話 ゴブリン戦

 なんでこんな所にゴブリンが?


 そっか、異世界だから当たり前だよな…………。


「キシャー!」 

 そんなどこか呑気な自問自答をゴブリンの雄叫びが掻き破る。と同時にゴブリンがこちらに向けて一歩踏み出た。柱に隠れていた半身が露わに。その右手には棍棒が握られていた。


 ゴブリン――――異世界もの定番の雑魚モンスターの代名詞。

 だけど……

 僕を睨みつける眼光、唸り声と共に動く上向きの牙。その威圧的な顔貌がんぼうと振られる棍棒が示すのはさっきのチンピラとは比べ物にならない敵意。本能が全開で警告を発する。


「まずいまずい」

「やばいんじゃ、やばいんじゃ」

 背後で神様も慌てふためく。


「に、逃げよう」

 目をそらした瞬間に飛びかかられそうで、視線をゴブリンに合わせたまま一歩後退。背後のゲートに逃げ込もうと思ったが……


「あのゲートは一方通行じゃぞ。しかも鍵は早百合に返しとるから再設定もできん」

「えっと、ファムちゃんは神様なんだからもちろん自力で渡界できるし、不思議パワーでゴブリンくらい倒せるよね?」

「妾達って制限あって逆に自由に移動はできんし、あと戦闘力皆無なんでお主が何とかするんじゃ」


「くそっ!」

 思わず手に触れたそばの石壁の破片を掴み振り上げる。


 その動きに歩みを止めたモンスターであったが。

 しかし、にやり――そう笑ったように見えた。獲物の反応がただの虚勢だと見抜いたと言わんばかりに。棍棒を構え、ゆっくり揺らしながら再びこちらへと近づいてくる。


「ええい!」

 必死の投石はゴブリンの一歩手前に。狙い通りではあるけど、こちらの抵抗にゴブリンは棍棒を地面に叩きつけて、怒りと興奮を全身で発する。


「ファムちゃん、石拾って僕によこして!」

 少しはマシな壁の陰に隠れ、がむしゃらにゴブリンに向けて石を投げる。相手も手近な壁に身を隠したが、こうして威嚇を続けていれば時間は稼げるはず。

 幼女が必死に近くの石を拾い上げ、ひーひー悲鳴を漏らしながら僕の元へ。それを投げる。ギーギーと苛立ちの叫びが聞こえる壁に向けて投げる。


 そんな状況が数分続く。いや、体感時間だからひょっとしたらもっと短いのかもしれないけれど。じりじりと続く焦燥にかられる時間。


「早百合さんまだ来ないの……」

 女性にモンスター退治を頼もうというのはどうかと思うが、あの人は勇者だって言ってたもの。きっと何とかしてくれるだろう。

「たしかにここ時間の流れが三倍速くらい違うんじゃが、それにしても遅いのう。とはいえ普通はゲートを設ける箇所は安全が確認されとる所なんで、妾達がピンチとは思っとらんじゃろなあ――――」


 と、そこで石の供給が途絶える。

 振り返ると地面に転げた幼女。

「大丈夫!?」

「妾、本来セカのゲーム機より重いもんは持てんのじゃよ~」

「頑張って! っていうかあのゲーム機って結構大きかったよね!?」

 幼女の小さな手には余るであろう携帯機のくせに大型の機体。頼もしげに振り回していたじゃないか。


「圭一! 後ろ!」

 神様の元へ駆け寄ろうとした僕に、焦りの声がかけられる。


 しまった! 気配に振り返ると視界に入るのは今まさに振り下ろされる棍棒。

 咄嗟に背から地面に倒れ込む形で回避するが……

「あがっ!」

 だが棍棒が左腕をかすり、痛みなのか熱なのか衝撃が半身に広がっていく。


「シャー!」

 ゴブリンは勢いのまま再度棍棒を振り下ろす。

「ぐっ!」

 偶々。

 偶然に、反射的に前に突き出した両手がその棍棒を顔面間近で抑える形に。


「ギャギャ!」

 仕留めたはずの獲物の抵抗に、ゴブリンが怒りを顕に声を上げる。そのむき出しの牙からたれた唾が僕の顔に落ちる。

 何とかしないと…………


「ファムちゃん、その石ぶつけて!」

 目の端に映るのは、神様が転んだ先に落とした数個の石。

「む、無理じゃよ……妾の力では意味ないし、お主に当ててしまうぞ……」

「だったら――――」


 打たれた左腕がじんじんと痛み、力が次第に抜けてくる。じわじわと迫る棍棒。もうだめだ……そう思った時、ゴブリンの背後で男の声。


―――― Das Deutschesドイツ Reich帝国! ――――


 ゴブリンがぎょっと振り返る。

 

 瞬間、僕は右腕を横に伸ばす。

 必死にまさぐって指に触れた硬い感触。そいつを掴み――――


「うわあああぁあああ!!!!」

 ゴスッっとゴブリンの顔面に握った石がのめり込む。


「ギィイイ! ギィイイイ!」

 仰け反って倒れ込み、地面にのたうち回るゴブリン。


「はぁ、はぁ」

 僕は尻もちをついたまま、後ずさって距離を取る。

 今も転げるゴブリン。顔面から流れる血が石床に点々と赤を散らす。


 ほんとはここでトドメを刺しにいくべきなんだろう。でも動揺に手足が震えて立ち上がれそうにない。

 手負いのモンスターに近づく危険に怯えて。いや、むき出しの殺意に触れて、さらに自分が敵意を持って相手を攻撃したことへの動揺に。


「うぉおお!」

 代わりに幼女が見事吶喊とっかん。と思いきやゴブリンの後方にあったゲーム機を拾ってあっさり帰ってきた。「怖ええんじゃあ」

 握りしめられたゲーム機からは今も高らかな音楽が鳴り響く。


 さっきこの子に頼んだのは――――『だったらゲーム機で音を出して気を引いて!』


 あの時脳裏に浮かんでいたのはテレビの動物番組。畑を荒らす猿がセンサー式の電子音のブザーに怯えて過剰反応していたカメラ映像。

 そこからの咄嗟の連想であったが、幼女はこちらの願い通りにやってくれた。ゴブリン後方に滑らせたゲーム機から、ちょうどのタイミングで最大音量が響くように。


「どうじゃよ圭一。このGG4にはセカの旧世代機の名作の数々がダウンロード購入できるでな。お主を救ったのはまさにこの豊富なラインナップの賜物たまものと言えよう」

 そうして見せてきた画面には……ナチスドイツのヒトラーの演説写真?


「これはODオメガドライブの傑作戦略SLG、『電撃! アドラー大作戦』じゃよ。第二次大戦のドイツ軍を操作するんじゃが、今回このタイトルを選んだのはこれのOPが冒頭ヒトラーの演説映像で始まるからなんじゃ。いやあ当時は驚いたのう。カートリッジのゲームなのに喋った! 歴史的犯罪者の映像をゲームに使って大丈夫!? ってな。


 ただ音楽を流すよりゴブリンにとって、より警戒度が高くなる男の声が一番にくるこのタイトル。膨大なダウンロードタイトルの中で即座にこの条件をチョイスできたのはセカの伝道師たる妾ならではじゃよ」


「ギャッ、ギャッ」

 ゴブリンの鳴き声だけがあたりに響く中、神様の勿体付けに僕はひとまずの安堵感から軽口を返す。

「ああ、セカのゲームはほんとに世界一だよ」


 いや、待て。

「ギャッ!」「ギャ」「ギィ」

 違う! 鳴き声はもっと遠くからだ。


 周囲を見回す。僕らのいる神殿のあるゆるやかな丘。森へと繫るその裾の方からゴブリンが数体近づいてきている。

 三体、四体、五、六、七……。嘘だろ……どんどん増えていく。今も森の端から一体が飛び出てきた。

 こっからさらに増えていくのか……


 ゴブリン達の鳴き声は次第に大きくなっていく。先頭に立つ一体が頭上高らかに棍棒を掲げている。奴らが僕らの存在に気づいているのは間違いない。


 横目でゲートを見る。未だ早百合さんが来る気配もない。

 ならば、せめてこの幼女だけでも避難できないか。例えば石造りのアーチの上に乗っけて僕が逃げ回って時間稼ぎに――――


「って何食べてんの!?」

 幼女はどこから取り出したのか、皿にのった豆腐をかきこんでいた。

「醤油が無いが、贅沢は言ってられん」

「なぜ豆腐!?」

「これはただの豆腐ではないんじゃよ。かつて豆腐に転生して世界を救った勇者がおった。これはその遺骸じゃよ」

「なぜ豆腐に!?」

「いや、結構メジャーじゃぞ、豆腐に転生するのって」

 色物すぎだろ。


「肝心なのはこの遺骸の持つ加護じゃよ。その身を取り込むことで、受けた攻撃の無効化や敵から獲物として認識されずらいといった効能があるんじゃよ。さっきは懐に入られたが、まだ距離がある今ならあのゴブリン共も妾を見逃すやもしれん」

「何それ?」

「ほれ、お主は子供の頃に年上と外遊びに混ぜてもらったことはないかの?」


 言われてみると幼稚園の頃に小学生と鬼ごっこに混ぜてもらった時に、僕は『お豆腐』扱いで、鬼は捕まえるふりしかしないとか、捕まってもアウトにならずに逃げ続けていいとか、そういうルール外の存在として扱われるという特別ルールが適用された。


 つまりこの豆腐を食べればゴブリンから見逃されるってことか!

 

「あれって、何でお豆腐って呼ばれてるんじゃろな? まあそう呼ばれてのは中部圏だけなんじゃけど。他の地域ではみそっかすとかお味噌とか言い方が様々なんじゃけど、なぜか大豆製品が多いんじゃよね。不っ思議~」

「知らないよ! ってか僕にもそのお豆腐を!」

 幼女に縋り付いて、おすそ分けを懇願。


「生憎とこれ妾のような幼子にしか効能がないんじゃよね」

「ずっる!」

「ええい、離さんか! 無効化にも限度があるし、認識されんだけで普通に当たり判定はあるんじゃ。巻き込まれたら潰されるわい。さあ圭一よ、妾のために囮としてヤツラを引き離すんじゃよ。後でお主の魂は拾ってやるでな」

「あー、今やるところだったのに、先に言われたからもうすっかりやる気なくしたよ!……しまった!」


 わずかに目を離していたその隙に、モンスター数体が間近に迫っていた。


「ギャアアア!」

「ひゃああああ!」


 幼女と互いに抱え合いながら、無様に後退しようとして足を滑らせていた僕の視界を埋める影。

 それが黒色のスカートとブレザーであると認識した時、声が響く。


電撃ピカニャン用意セット良しゴー―――発射ファイヤー!」


 右腕をまっすぐ伸ばしてそう宣告したのは藤沢さんであった。


 直後に聞き覚えのあるジジッという音がして、少女の手から放たれた青白い稲光が周囲のゴブリン達へ向けて走る。


「ギィイイ!」

 悲鳴が重なり、数回の痙攣の後にバタバタとゴブリン達がその場に倒れる。


「よっしゃ、ポンコツ来おったぞ!」

「ふう……」

 藤沢さんが周囲を見回す。

 互いに数メートルの間隔を開けて倒れているゴブリンが七体。距離が離れたところにいた一体が被害を逃れているが、今は壁に逃げ込んで動きはない。


「いったい何ですこの状況?」

 藤沢さんがおろした右手からピリッと青い火花が散った。


 それを見て思い出した。僕が平行世界に転移した直後に絡まれたチンピラ、藤沢さんがそいつに立ち向かった時の音と光。

 てっきりスタンガンかと思っていたけど、一目で分かる。これはそんなおとなしいものじゃない。もっとすごいものだ。

 モンスターがいるような異世界なら、当然期待されるものが……そう、魔法だ。


「藤沢さん、魔法使えるの!?」 

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