第2話 異世界

 早百合さんの創業時の苦労話は次第に不穏なものになっていく。

「宮内庁くらいじゃないかしら、距離置いてくれたのって。やっぱ最初に異世界で東の国に行った時は帝に大変お世話になりました、って言っといたのが良かったわね」

「あー聞かない方がいい話ですね」

「えー、圭一君は草薙の剣とか興味ないの?」

「うっ……そりゃあすごくそそられますけど」


 草薙の剣――――日本神話でスサノオが退治した八岐の大蛇ヤマタノオロチの尾から出てきたという霊剣。天皇家に伝わる三種の神器の一つにして別名天叢雲剣あめのむらくものつるぎ。日本男児としてこの名前を聞いて心沸き立たずにはいられない。


「私も異世界巡ってるうちに二振り手に入れたんだけどね。普段使いしてる方は切れ味は最高の上に敵の守備力下げたりと補正効果まであって、お気にの名剣よ」

「国宝ダブらせてるとか、そりゃめっちゃダメですわ」

 余ってる方お返ししたらどうかな。


 その後も早百合さんが異世界で帝に借りた鏡を魔王戦で割っちゃった、とか何とか言ってるのを聞かないふりをしていると、

「お待たせですよ~」

 僕らがいるオフィスルームに隣接した小部屋から少女が出てきた。


「藤沢さん」

 少女は黒縁の角ばったメガネをかけたショートカットの黒髪に、黒色のブレザータイプの制服が示す通り女子高生である。

 彼女はやはりこの会社でバイトとして早百合さんの元で働いている。


「藤沢さん、その格好は?」

 僕が入社手続きをする前に彼女は小部屋に入っていったのだが、その時のファッションから追加されたアイテムが数点。


 頭に被るのは黒い三角帽子――――頂点がヘタっと折れ曲がって、つばの上には紫色のリボンが結ばれたいわゆる魔女帽子。

 肩から羽織るのは大きな黒いマント。裏地が赤く、ポケットらしき穴やホルダーらしき留め具がいくつか。

 手にする杖は金属製で柄の部分が一回り太くグリップになった、登山スティックみたいな形状。


 なんというか……

「なんか、ハロウィン風だね」

 可愛いねという一言を心の中で付け加えながそう感想を述べると、

「本物ですよ」と藤沢さんが少し頬を膨らませる。可愛い。


 と、そこで彼女が持つ杖に小さなぬいぐるみがストラップにされてるのに気づく。

「ウサギ?」

 人間型にディフォルメされた服を着たウサギ。顔の造形が妙にしょぼくて、すぼんだ口がへたれっぽさを醸し出している。

「ええ、昔好きだった『ぴょん吉くんのぼうけん』っていう絵本のキャラクターです。主人公の女の子をクジラのお腹の中や雲の上の街やお菓子でできた国とか、色んな世界に導いてくれるウサギなんですよ」

 そう言って杖を振るう。ぴょん吉くんは所在なさげな表情のまま左右に揺れた。


「ウサギと言えば早百合さん。これから向かう異世界って、たしかいろんな種の獣人がいるんですよね。ウサギ型は?」

「生憎とウサギ型はいなかったわね。猫型だったら隣の国にいるから会えると思うけど」


「おお、ネコ耳が!」

「その反応……真上さんは獣人が好きなんですか?」

「嫌いな人なんていないよね」

「ですよね! 私はウサギ獣人に会ってみたいんですよ。あんまりは居ないそうですけど真上さんの加入で私達の活動範囲が広がりますからきっと会えますよね」

「うん、頑張るよ」ケモ耳王国にいけるその日まで。


 しかし、そうなると気になるのは……


「ところで猫型獣人って、やっぱり語尾が『にゃん』とか『にゃー』って猫語? になってるんですよね」

「「はい?」」


「あれ?」何ですかその反応。

「圭一君、これから行く所はそうでもないけど普通の異世界で獣人に発現している動物のネタを振ると問題になるからね。私達だって先祖が猿だけど猿呼ばわりさせたら怒るでしょ」

「そう……言われればそうですね」

 あれ、僕は何でネコ耳だと猫語になると思ってたんだろう。


「私の家の近くにあるとんかつ屋カッちゃんが、CMでコック服着て二足歩行している豚がとっても美味しいぶーとか言ってるやつですね」

「それ関係あるような無いような」

 そっか、期待してたのになあ。


 語尾が「のじゃ」になってる、のじゃロリは実在してたのにな。横の幼女に目をやる。と、どこから取り出したのか、短冊を手に筆ペンで何やら書き付けていた。書き終えるとこちらに表面を掲げて見せてくる。


――――鳴かぬなら 課金しちゃえば いいじゃない 性癖だもの――――


「何これ?」

「猫型獣人の語尾ににゃーを付けたい。ふふ、妾には分かるぞよ、そのお気持ち。そんなお主にお得な商品のご案内じゃよ。只今異世界言語翻訳スキルに猫型獣人の語尾をにゃーに変更する追加コンテンツをお買い得販売中。お支払は給料日払いでOKぞ」

「そんなんあるの!? いやでも、僕らが語尾にウッキーって付けるようなものだとするとマズイんじゃないか」


「そこがこの追加コンテンツのすごいとこ。なんとポリティカルコレクトレスに対応して自動でオンオフが切り替わるんじゃ。つまり語尾が『にゃん』になった時点でその世界では猫型獣人自身が己の身体特性を猫のそれになぞらえてる証なんじゃよ。思う存分感情を豊かに表現するネコ耳の愛らしさ、尻尾の毛並みの美しさを褒め称えるが良いぞ」

「お……おう」


「今後お主が様々な異世界を訪問するにあたってじゃ、円滑な業務推進の為にはその地の文化コードを理解する事が肝要じゃ。地球の価値観で接し、思わぬ侮辱を相手に発してトラブルになるなどよくある事よ。この追加コンテンツはその防止の一助になろう、そう思うて妾なりのお主への門出の祝いじゃよ」

 神様が親指と人差し指を輪っかにお金マークを作りながらのセリフ。現金収入という本音があからさまだけど決して悪い話じゃない。


「ファムちゃん、ぴょん吉くんみたいなウサギ型獣人の語尾をピョンにするのはないんですか?」

「笑い声がウッサウッサになる奴ならすぐ用意できるんじゃけど、それじゃダメかや?」

「可愛くないです」

「それウサギの獣人というかウサギの怪人の笑い声みたいだぞ」何かハサミとか持ってそうな。


「あんた仕事サボってこんなモン作ってたの」

 早百合さんが呆れたような声。

「休憩中にちょいと作っただけじゃよ。つーか散々サビ残やらせといて文句言われる筋合いはないんじゃ! 知財は妾に!」

「というかそれちょちょいで作れるもんなんだ。なら最初から標準機能にしといてくれても……」


「おいおい、お主も開発側の事情も考えずに追加コンテンツを全否定しちゃう手かの? たしかに本編の機能を制限しておいてアンロックキーを加護と言い張るようなやり方を否定する気持ちは分からんでもない。じゃがのう、妾達も開発費の増大と比例するスキルの要求レベルの上昇にいっぱいいっぱいなんじゃ。どうしてもお主の様な馬k……えっとカm……廃……そう、ヘビーユーザーから重点的に集金する方法を取らざるを得ないんじゃよ」

 本編って何だよ。


 神様は遠くを見つめて「はあ……昔の勇者はステータス向上くらいのスキル与えときゃ喜んどったのにのう……剣を光らせてやりゃ感激しておったあの頃にはもう戻れんのじゃろうか……」と呟いた。


「何でだろう、そんなの知ったこっちゃないとは思うのに、心の奥で少しだけ罪悪感を感じてしまうよ。…………まあいいや、大義名分はちゃんとしてるしな。契約、させてもらうよ」


「おう! 妾は信じておったよ、お主はこういうのに飛びついちゃうっての」

 互いに差し出した両手を結んで契約締結へ。

「では今回は末永いお取引を願って、現在開発中の様々な追加コンテンツのお試し版を一緒に入れておくでな」

 そう言って神様は僕をしゃがませると、腕を振りかぶって―――左頬を打ち据えた。

「ほい、注入―。毎度ありがとうございましたじゃよー。んじゃ給料出たら取り立てっからな」

 これ毎回やんの?


「はいはい、あなた達、遊んでないでそろそろ異世界へ仕事に行くわよ」

 早百合さんがぱんぱんと手を叩いて場を締める。

 僕らはそれから部屋の壁際に向かう。


「圭一君の加入は私の独断だから正規ルートを通るとそこ点かれて絶対揉めるのよね。ってことで今回は私的のゲートを使ってくわ。圭一君の実績積んでなし崩しに認めさせるわよ」

 早百合さんはそう言って壁に埋め込まれた扉を開くように促す。


 近代的なオフィス空間に場違いな古めかしい木の扉。開いた先は一面の光で塗りつぶされている。

「じゃあ圭一君、先導ヨロシク!」


 僕はその光の中へ足を踏み出す。視界が光で覆われ、まっすぐ進んでいるはずなのにどこかへ落下していくような浮遊感があるという不可思議な感覚。

 ちらっと振り返るとわくわくとした藤沢さんの顔。ため息でもつきそうな表情で力弱気についてくる幼女ファム。早百合さんの目がそんな僕らを楽しげに見つめる。


 これからどんな異世界へ向かうのか。何も聞かされていないけどこのメンバーならまあ何とかなるだろう。

 

 そしてもう一度家族の顔を思い浮かべる。

 改めて考えると僕が皆と別れてからまだ一日もたってないんだよな。昼前にこの並行世界に飛んで、そこから異世界へと放り込まれた。そして今また別の異世界へ向かっている。


 叔父さん……僕の異世界生活は大分忙しいものになりそうだよ……


 ほんとに足がついているのかもよく分からない地面を踏みしめながら、僕は朝からのことを思い返していた――――

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