抑止力 - 3
目を開くと、見知らぬ天井があった。
「こ、こは……」
どうにも記憶があやふやだ。身体を動かそうとしたが、思うように動かない。ぎしり、と軋むような金属の音が鳴り、手首や足首のあたりに違和感が走った。
どうやら拘束されているらしい。
だが、なぜ。思い当たるところがない。なんとか動く首を起こして、視線を前方へ向ける。
「……や、よい」
わけが、わからない。
どうして彼女が側で寝息を立てているのか。
「……いや。そうか」
朧気に思い出した。はっきりとした記憶はないが。
どうやら、ふっかけた喧嘩で完膚なきまでに負けたらしい。
「あんなことまでしておきながら、なんて、無様な……」
幼馴染みに手を上げて、誘い出しておきながら、結局、この有様なのか。
「ん、んぅ……」
州欧が身をよじり、目を覚ました。
「……あ、あぁっ」
目尻に涙を滲ませ、顔をくしゃりと歪めて、嗚咽を漏らす。
「よ、かった……っ、このまま、目を、覚まさないんじゃ、ないか、って」
「んな簡単にくたばりゃしねぇよ……。俺を誰だと、思ってやがる」
「もう、三日も、眠ったまま、だったんだよ……っ」
「そう、だったのか…………。そいつは、心配をかけたな」
腐っても幼馴染みだ。三日も意識を失っていれば、この動揺っぷりも当然だろう。
「……けど、なんでお前、ここにいるんだよ」
「なんでって……」
「どうして、なんだよ。俺にあそこまでぼろぼろにされて、なんでまだ……」
見捨てたはずじゃなかったのかよ、と。
そう続ける前に、州欧が否定する。
「そんなの……だって、幼馴染み、なんだよ……?」
「…………っ」
言い返す言葉が出てこなかった。
あれだけの仕打ちを受けながら、まだ、そう言い張れるのか。
「どれだけ心配したと、思ってるの……っ! 」
これまでの徹底した酷い行いの全部を、たったの一言で清算されてしまったのならば。
どんなに悪辣で辛辣でぞんざいで投げやりで外道で非道で酷薄な感情も。
その、大きすぎる慈愛のような優しさの前にはまるで意味を為さない。
「弥生は……、俺を、恨んでないのか」
「それは、私の台詞、かな。途中で、消えたりして、ごめん」
「馬鹿、やめろ」
「諦めちゃって、ごめん」
「だから、やめろって」
「離れちゃって、ごめん」
「だから、」
「気付いてあげられなくて、ごめん」
「――っ」
「救うことができなくて、ごめん、なさい」
「……………………………………………………く、うっ」
受け入れるしかなかった。認めるしかなかった。拒めるわけがなかった。否定できるわけがなかった。見過ごせるわけがなく、見逃せるわけがなかった。
こうもベッドに縛り付けられた状態で、面と向かって突きつけられるその献身を、流石に無視できるわけがなかった。
※※※
「経過観察をしている限りでは、神経の汚染度合いはそれほど深刻ではなさそうだ。禁断症状に悩まされることもないだろう」
統道が入院している病室の隣、医務室で彼の病状を淡々と告げるのは知念ほむらだ。科学者よろしく白衣を袖に通し、手元のカルテをまじまじと読み込んでいる。
「そいつは僥倖。『本気』を出して助けた甲斐があったってもんだ」
壁に寄りかかっては知念の読み上げる内容に耳を傾ける狩神が溜息を零す。
「…………しかし、妙だねこれ」
カルテに目を落としたまま、知念ほむらが小首を傾げる。
「ん?」
「不思議なことに、摂取量に対して想定していたほどは神経系に影響が出ていないんだ、統道くんのケースは」
蟻の一匹も逃さない綿密な検証は、皮下注射に使われる器材や薬物反応の一つだって拾うことができなかった。無論、統道の皮膚に注射の痕跡も見当たらず、となれば摂取方法は経口であろうと断定がなされた。
そして薬剤の一つもないとなれば、部屋の外で摂取をしていたことになる。
「問題は、彼が自分の意志で発現助長剤を摂取していたのか、それとも薬を盛られていたのか、それが不明確だということだなんだけれどね」
「そいつに関しては心配いらねぇ。大方、アテはついてるからな」
「しかし、追い詰める証拠がないぞ」
「そんなもん、いつだって回収できる。そのためにはちょいと手助けが必要だが……それもまぁ、いまならどうにかできるはずだ」
「随分と自信があるじゃないか」
「……実験体が健全なまま手元に戻ってくるなら、そいつを壊すまで使い潰すのが科学者の性ってやつだったよな」
「そいつはまた懐かしい金言を引っ張り出してくるな、シュージンくん」
遙か昔、公の場でうっかり零して一騒動を起こした禁句に、当の張本人が苦笑する。
「つうわけで、今回はそいつを利用させてもらう。それに、だ――」
狩神はニヒルに嗤って続ける。
「あいつ、自分の行いについてはどうやら絶対に見抜かれない自信があるみたいだしな。確実に誘い出せるだろうよ」
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