抑止力 - 2


 静寂があった。

 そして。


「…………は、ははっ! 」


 急所を突かれたように、痛快だと叫ぶように、統道が獰猛にわらう。


「あはははははははははははははははははははははァっ! 

 なんだァ!? 

 そんな程度の言葉でこの俺をどうにかできると思ってんのかよォ!? 

 甘ったるい、やすっぽい説教をどうもご苦労さん! 

 つうか、馬鹿かてめェ? 

 弥生の気持ちだァ? 

 そんなもん斟酌して人生変わるのかよッ!? 

 俺が強くなれるわけじャねェだろォがッ! 

 自惚れてなにが悪いッ! 

 どうしようもなく可哀想だと、

 せめて自分くらいは思ってやらねぇでどうするってんだよ!? 

 そして事実だッ! 

 どいつもこいつも俺を哀れんだのは、

 紛れもない事実で、

 消せやしない過去だ! 

 刻まれた傷だって紛れもない痛みだ! 

 そいつを部外者のてめェに否定はさせねぇぞッ!」


 その苦しみを、屈辱を、果たすまで、この心に灯った憎悪が絶えることはない。


 この大鎌ごときで歯止めが利くような、矮小で些細なものでは、ないっ!


「だからッ! 俺は…………、こんな程度、で……ッ!」


「……――まさかッ!?」


 狩神が驚愕に顔を歪める。


(こいつ……大鎌の抑制が通用しちゃいねぇのか!?)

 身体に大鎌を突き刺したまま立ち上がろうとするなど尋常ではない精神力だ。


 意識の混濁とともに神格開放状態から開放されるはずなのに、その兆候が見られないということは……。


(雷を得意とする神格……そんでもってこの相性の悪さは……間違いねぇッ!!)


 気付いたところで、遅い。


 神格看破ができたところで、対抗策を練るには。


 決定的に遅すぎた。


「負けるわけには……――いかねェんだよォッ!!」


 腹部に突き刺さる大鎌の峰と刃を、掌が切れることもいとわずに掴んだ統道が、立ち上がった身体を振り回し、刃を引き抜きながら狩神を大鎌ごと投げ飛ばす。


「――ちぃッ!?」


 神格を開放し、大鎌で急所を突いて押さえつけていたにも関わらず、神格に掛けた負担をものともしない膂力りょりょく


 数多の犯罪者を屠ってきた狩神をして、滅多に目にしないほどの神格の源泉が統道の身に禍々しくまとう。


 再び熱を帯び、統道の周囲に纏わりつく雷電は、怒り狂ったように唸りを上げて空間を縦横無尽に迸る。


 暗渠あんきょに覆われた闘技場にあって、雷光を湛えるその様は、まさに雷帝。


 遙かの神代においてまさしく神の頂点に君臨し、絶対的な唯一神として今なお絶対的な神の一柱として語り継がれる全知全能の権化。


「俺は示す。俺が最強であることを。てめェを倒して、証明するッ!」


 手に握る雷剣を高々と掲げ、統道が渾身を放った。




「怒り狂え、雷霆らいてい――ケェラァァノウスゥゥゥゥゥッ!」




 瞬間、幾十――いや、幾百にも重なる極光の爆雷が、彼我ひがの狭間をたちまちのうちに蹂躙し、焦し尽くす。


「――ッ!?」


 おぞましい光束の波濤とうはだった。


 明確な殺意を伴った奔流が猛り狂い、狩神を全方から呑み込まんと殺到し。


「く、おおおおおおおおおおおっ――」


 無限に続く波状の雷撃を、狩神は大鎌一つで切り抜ける。


 純白の憤怒を切り伏せ、切り刻み、切り裂く。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 神速で止めどなく振り回す大鎌の、その刃が光と熱を帯びていく。


 だが。


「ぐっ…………く、そがっ……!」


 押される。


 圧倒的な光の奔流に呑まれるのも時間の問題でしかない。


 端的に言ってどうしようもなかった。


 劣勢を覆す術がない。

 まして統道が宿す神格が判明してしまった以上、たとえこの危機を潜り抜けたところで狩神に残された勝算はあまりにか細い。


 何処へ垂らされたとも知れない地獄に伸びた蜘蛛の糸を掴むようなもの。


(道理で薬師が自信満々だったわけかよ……っ!)


 統道が宿すは、言わずと知れた、ギリシャ神話における全知全能の神『ゼウス』。


 狩神の神格は唯一にして最悪の相性だ。


 薬師に『抑止力』であることがばれていた以上、神格だって当然のように露呈しているという認識が足りていなかった。


 数多もの神を自己保身のために殺したことで有名なゼウスが、その手に初めて掛けた神――それこそが、原初の神殺しの名を宿す、狩神の神格だ。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 稲妻を引き裂く刹那に覗く統道の眼は、もはや焦点が合っていない。


(こんな状況で薬切れによる禁断症状かよっ!?)


 いずれ力の限界に到達すれば、狩神を鏖殺おうさつせんと迫り来る雷波も勝手に消滅する。


 だがそれは、統道自身の脳神経が永遠に取り返しのつかないほどに破壊され、文字通り廃人と化してしまうことと同義だ。


 勝敗は、時間の問題だった。


 このまま猛攻を凌いでやり過ごすだけであれば、どうにかできる。


 が、しかし。


「…………っ」


 悩むほどのことではない。

 勝手に敵視され、喧嘩を売られ、不破や戦場や州欧を人質にして悪者を演じてまで決闘を申し込んできた大馬鹿野郎だ。


 救う価値などあるか? 

 ここまでされておいて、あえて死地に踏み込んでまで助け出すほど付き合いがあるわけでもなし。


 良い薬じゃないか。

 己の力量も測り損ねて、勝手に自滅していくだけ。

 関係のない同級生を襤褸ぼろ雑巾のようにした、狩神にとってみれば仇のようなものだ。


 手を差し伸べる道理など一縷いちるもない。



 ――だが。


「そいつはやめだ」


 前提が違う。


 大馬鹿野郎であることは確かだ。


 勝手に見放されたと勘違いしては幼馴染みにまで手を掛けて、あまつさえ人質にして狩神を引きずり出し、決闘に勝つことで自らの強さを証明したいなど、愚の骨頂。


 救えないにも程がある。


 それでも。


 眼前で自我を喪失して猛り狂う雷帝は、どこまでも被害者でしかないのであれば。

 不運に翻弄され、懊悩につけ込まれ、こうして暴走する運命にあった哀れな神格保持者なのだとしたら。

 身の潔白を、あっけらかんとした態度で主張する同級生は。


 ほんの僅かでも、救いようがあるのなら。


(面倒だが、『抑止力』として見過ごせねぇんだよ)


 ならばと、狩神は腹を決める。

 放っておくわけにはいかない。

 絶望的な状況だが、


「やることはただ一つ!」


 神格を引き摺り出す。己に宿る神格の、もう一つの側面。


 殺到する雷霆を無限に屠りながら。


 暴走する雷帝に対峙する『抑止力』は謳い紡ぐ。


「我は時を司る時空の覇者也。次元を遍く須く統治する、唯一にして無二の存在也――」


 全能神『ゼウス』と相性の悪いギリシャ神話における親殺しの神ではなく。


「なれば此処に顕現するは、絶対の支配也――」


 その原初を等しくする、時間の覇者たる唯一神を開放するために。


「我が身に宿りて権能を示せっ――」


 彼我の距離を零にせんと迫る白波に渾身の一振りを見舞って道を切り開くと同時。

狩神は叫ぶ。


「時間神――クロノス!」


 時間を意のままに進め、巻き戻し、止める、その絶対的な権能は。


 光速という原理上最速の概念を無視し、時間という絶対的な流れを固定させ。


 同一時間上において狩神ただ一人が蹂躙を可能せしめる無限を与える。


 狩神をして、その身に体感するたかが五秒という停止概念。


 それは、統道が繰り出す波濤を消滅させ、彼我の距離を埋めるには充分で。


「これで――、」


 無限にも思えた距離を一瞬で埋めると同時にその大鎌を振りかぶり、


「今度こそ終いだ!」


 五秒の到来と同時、ミドルレンジからの渾身でもって、その大鎌を袈裟に振り下ろす。




《第一秘奥――じんり》




 斬られた、という現象は時間停止から開放されると同時に発生する。


 故に、回避は不可能。


「ッ――」


 深々と身体に刻まれる一閃は、万物を断ち切る。


 狩神は今度こそ容赦なく、統道の精神も、神格も、肉体も、深々と切り裂いた。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーッ!?」


 絶叫を上げる統道は今度こそ頽れ、周囲に展開されていた光の奔流が消滅していく。


 気を失った統道へ、狩神は再び、無慈悲に大鎌を突き刺してとどめをつける。


「悪いが、しばらくそのまま眠っていてくれ」


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