抑止力 - 1


「まずはお手並み拝見といこうかァ!」

「――ッ」


 虚空こくうから大鎌を取り出すと同時、四方八方から殺到さっとうする電撃らいげきを狩神はいっそ不動にも似たらずかな身体さばきだけで回避する。


 既に空気中に描かれていた雷電の筋道からほんの少し身体をずらしたのだ。


 だが、回避するには充分だった。


 そもそも雷は電位差の極端な乖離かいりと揺らぎによって発生するものなのだ。

 たかが八方程度から押し寄せる程度ならば、空気を乱してその電位をかき混ぜてしまえばいくらでも霧散させようがある。


「そんなものか?」

「ほざけェっ!」


 余裕の表情を浮かべる狩神をみて、統道は左手を振るい、いっそ投げやりに無秩序な線を描いて稲妻を飛び散らせる。


「キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ! いつまでも逃げ切れるかねェ?」


 意味のない、意図のない、計画のない殺戮さつりくこそ、裏も表も読む必要のない純粋な殺意に成り果てる。


 狙ってかわされるのならば、数で圧倒すればいいだけの話。

 線で駄目ならば、面で押しつぶす。


「――くっ!?」


 雷撃は即ち光の掃射だ。

 狩神へ殺到するは、秒速二〇〇キロメートルの殺意。


 いかな神格を開放しているといえども、音をはるか後方に置き去りにして余りある亜光速の世界では呼吸すら不可能。


 ことごとくを回避するには、神格を開放した状態でもって無酸素運動の極限を引き絞り続ける他ない。


 ゆえに、狩神は踊る。


 雷撃の雨嵐から逃げるように。

 殺意に絡め取られないように。


 だが、そもそも。


 人間の身体は何秒もその限界を保持できるつくりにはなっていない。


(ったく、面倒だなッ!)


 統道との距離は微塵みじんも詰め切れず、どころか、徐々に後退させられていた。


 無限に飛来し、爆雷し、押し寄せる稲妻が空間を震撼しんかんさせ、あまねく蹂躙する。


これではただ脱兎の如く逃げ回っているだけだ。


 飛び散る放電スパークは無様をさらす的をどこかあざけるように明滅し、自在に空間を跳ね回る。


 それがいよいよ、狩神の背を捉えた。


「チィ――ッ」


 咄嗟の判断で狩神は地面に愛具の柄を突き立て、即座に屈み。

 直後、頭上をかすめる雷撃が、大鎌の峰に轟音を叩きつけた。

 空気が震撼しんかんし、つんざくように空気が軋みをあげる。


「ハッ、さまァねェな! そんな程度かよォ!?」

「言ってろ!!」


 狩神は四つん這いになり、その右手に逆手で鎌を握ると、前傾姿勢のまま地を蹴る。


 這い寄る電流を後方へ置き去りにし、闘技場に砂塵を舞い上がらせる神速の吶喊とっかん


「無駄だ」


 訝しい眼差しを湛える統道が同時に遙か後方へ飛び下がりつつ、剣を雑に振るう。


 それだけの動作で幾重いくえもの光束が生まれ、統道の前面で蜘蛛の巣のように稲妻が展開。


「こいつは絶対必中、回避不可能なカウンターだ」


 触れたものを瞬時に焦げ付かせる高圧の電気柵と言うべきだろうか。


「物理しか能のない野郎に対しては絶対を誇る鉄壁だぜェ。くははッ」


 本来的に、人間の身体は常に電位をまとっている。

 体内中の水分が多いが故に、普段の生活の中で落雷に見舞われることは滅多にない。


 だが、場所が場所なら話は異なる。

 雷が捉える対象の数が少なければ少ないほどに。

 互いの距離が近ければ近いほどに。


 両者の結合は確定的なものとなり、莫大なエネルギーの奔流が駆け抜ける道となる。


 それは人間とて例外ではない。


 逃げ場のない雷が餌を求めてその手足を伸ばす様は、まさしく亡者が生者を地獄へ引きずり込むような不気味さを伴い、殺意ひしめく空気中を漂う。




 しかし。


「…………そんなもんで俺をどうにかできると思ったか?」


 狩神に動揺はない。


 絶対不可侵の神域を眼前に、少しも躊躇ちゅうちょを見せることはない。

 加速に加速を重ね、自身が解き放つ最高速で統道へ突っ込んでいく。


「攻撃するならこの網目を避けるのは不可能だぞ? 触れた瞬間にお終いだぜ? そいつを分かっててかかってくるのかァ?」


「近づかなきゃ、てめぇを狩れないんでなっ!」


 数多の落雷を潜り抜け、いよいよ大鎌の一撃が届く距離へと踏み込んだ。


 同時、狩神と統道の距離が雷撃を誘発する臨界線を越える。


 蜘蛛の巣状に張り巡らせた電気と狩神が纏う微量の電気、その二つが違いを引き寄せあい、致命的な爆雷を奔らせる道を繋いだ。


 もはや勝負は決まったようなもの。

 この至近距離で光の速さに敵うものなど存在するはずがない。


「ハハッ――」


 統道がその結末を思い巡らせては凄惨せいさんわらった刹那。


 コンマを超越する速度で迸る閃光があった。


 次いで視界は純白に染まり、互いの視界を奪う。

 鼓膜を瞬間的に機能不全に陥らせる轟音が炸裂し、聴覚を削ぐ。


 そして必殺の雷撃が迸るその瞬間――、


「わりぃな」


 数多の死地を超えてきた『抑止力』が口元に弧を浮かべた。




 そもそも、大前提として。


 この程度の局面、『抑止力』として、いくらでも経験をしてきた。


 雷撃? そんなもの、なにを恐れることがある。


 遠距離だろうが近距離だろうが関係ない。



 当たらなければいいのなら。

 まして視認できるのなら。

 これほど対処が容易いものはない。



 そう、酷薄に笑って。


「神格を貫け、アダマスの大鎌おおがま

「な――ッ!?」


 統道が目を瞠った。その顔に浮かべた愉悦が、驚愕に変わる。


 放射線状に張り巡らせた稲妻が大鎌に文字通り切断され。

 一瞬にして空気へ溶けたように消失し。

 

 あり得ない現象に脳の処理が追いつかず、眼前に迫る危機への対処は遅れ。

 アッパーカットのごとく迫る一閃に、統道の身体は為す術もなく呑まれる。



《第二秘奥――てんりんしょう



 その挙動モーションは、学園のコロシアムで不破の初撃を易々と退けたそれと同じ。


 地面から掬い上げるように半弧を描いた逆袈裟が雷撃の網目を引き裂き、雷電を纏った統道の胴を肩口を深々と切り裂いた。


「が、ふっ――!?」


 よろめきながらたたらを踏んだ統道の表情が困惑に染まる。


「ば、馬鹿……な……ッ!?」


 カウンターは不発に終わる。狩神は、無傷で健在。

 もはや語るまでもない道理にして必然。


 神格の能力として発現した雷電であれば、打ち消すことなど造作もない。


「神格が拠り所な自然現象なんざ、こいつの前では悉くが無意味だ」

「なんなんだよ、そのくそチートは……ッ!?」

「チートだぁ? ほざけ。だったら雷撃ばらまいてるてめぇの神格のほうがよっぽどだろーがよ。こんな無骨な武器捕まえてズルだなんて言ってんじゃねぇ」


 神殺しを為し得るために用いられた、神話における原初の神具。


 用途の所以ゆえんから、所持者の意のままに森羅万象を切り裂く力を宿す武具として顕現した、アダマスの大鎌。


 それが、狩神の扱う大鎌の正体だ。


「雷撃にクロスレンジ。確かに厄介だが、当たらなければどうということはない。まして雷撃となりゃあ目に見える。斬るのだって容易いもんだ」

「ふざけんな……ふざけんじゃねェ!」

「こんなもんか? お前の実力は。だったらとっととくたばれよ」

「ざけんじゃねェぞ……く、そがああぁぁぁぁ!」


 激昂げきこうに身を任せ、至近距離に迫った狩神へ向けて煌めく雷剣を闇雲に振るう統道。




「ラアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「――ッ!?」


 切り結ぶ剣の太刀筋は出鱈目でたらめで、体重を乗せた攻撃こそないものの――、


(流石にキメてるだけあって、適当な一撃も中々無視はできねぇか……ッ)


 そもそも攻撃範囲レンジの異なる剣と大鎌。


 まして、ときおり身体が触れ合うようなクロスレンジともなれば、剣を振るう統道に歩があるのは必然。


 ミドルレンジへ持ち込もうとすれば距離を詰められ、大きく後退すれば飛んでくるのは雷撃の嵐だ。この状況で引き下がるは狩神にとって有利にはならない。


(とはいえ、こいつは予想外だな……ッ!)


 狩神は思わず舌を打つ。


 互いに想定外があった。


 統道は単に大鎌の性質を知らず、狩神もまた統道の剣舞の腕前を知らず。



 だが、戦局への影響の度合いは圧倒的に後者のほうが大きい。


 いかな大鎌が稲妻を切り裂けるとしても、狩神自身が無敵なわけではない。

 近接戦闘で圧倒できない以上、狩神が持つ有効打は一気に限られてしまう。


 クロスレンジと遠距離で統道に歩がある手前、どうあってもミドルレンジに持ち込みたい狩神だが、それを容易に許すような相手でないことはすぐに察した。


 そして、明瞭なハンデはすぐに戦況へ現れる。



「ちぃっ!」

「ははははははははははァっ!」


 焦燥を募らせるのは狩神だった。


 打ち払う剣戟けんげきを悉く強打で打ち返す。


 が、しかし。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオラアアアアアアアアアッ!」

「くっ………そっ……、ぐっ……ッ!?」


 統道の苛烈は勢いを増し、狩神を凌駕しようとしていた。


 州欧が口にしていた統道の血の滲むような努力。


 それは決して馬鹿にできるような代物ではなかったということだ。


 武器の扱いで拮抗しているのであれば、有利な局面に持ち込んだ者が優勢を手にするのは定石。


 必然、現状を維持し続けることでじり貧になるのは狩神だ。


「おらおらどうしたどうしたァ!? さっきの一撃はまぐれかよォォォォォォッ!」


 統道の剣を受け、弾き、返す。

 だが、確実に追い詰められる。


 無理もない。

 電磁波の補助を受けた統道が切り結ぶ剣戟の速度は、すでに常人が繰り出せるそれを超えている。


 その激烈を狩神は懸命に受けきるが――、


「ぐ、おぁっ!?」


 いよいよ上体が流れ、鉄壁が崩れる。


「――死ねェ!!」


 防御が薄れた胴元へ、突き入れるようにして潜り込んでくる剣の切っ先。


 上半身はすでに伸びきり、身体捌きで避けることは不可能。


「――っ」


 狩神の脳裏に浮かぶのは、確実に肉を抉られる明瞭な痛覚と、飛び散る鮮血。


 稲妻を帯びる剣は抉った肉を焦がし、水分を蒸発させるには十分な殺傷力を伴っている。


 掠めただけで、致命傷だ。


(こんな、ところで……ッ!)


 死ぬわけには、いかない。


 こんなところで無様にくたばるわけには。


 極限の身体に叫声を上げて鞭を打ち、限界からその更に先を絞り出す。


 そして。


 辛うじて柄の先端をねじり込ませるために、狩神は両足で地を蹴って、後方へ飛び退いた。


「な、ァ――!?」


 雷電を纏った剣の切っ先との距離が僅かに開く。


 その一拍。 たった一瞬、コンマ数秒さえあれば。


 戦況は容易くひっくり返る。


「ふっ――」


 かつん、と鋼同士がかち合う音が響いた。


 狩神の大鎌を全身が翻る。


 鋭利な切っ先を柄の先端で弾くと、その反動を遠心力に乗せ。

 後方へ流れた身体を捩り、真円を描いて切り結ぶ。



《第三秘奥――かまいたち



 本来は渾身を溜めに溜めて放つ横一線の大技だ。

 万全を期して振るえば、このドームの横一面に綺麗な切断面が刻まれるほどの威力を誇る一撃。

 それが、至近距離で放たれる。


「か、はっ――ッ!?」


 予備動作なしで炸裂した大技は数分の一に希釈された威力だが、直接その身体に叩き込むのなら、意識を刈り取るには申し分ない。

 それでも卒倒しないのは、統道が宿す神格の強さゆえか。


 防御する暇もなく鎌鼬を一身に浴びてくずおれる統道へ、間髪を入れずとどめとばかりに大鎌を突き刺す。


「これ以上やるなら容赦はしない」

「く……そ……っ、なんで、だ……俺は、俺の神格は……っ、誰よりも、強い、はずなのに…………っ!」

「残念だったな。上には上がいるんだ」

「んなこたァ、分かってる……! 伸び悩んで、苦しんで、そうしている間にも差は開いて、追い抜かされて、挙げ句の果てには同情までされて……ッ! てめぇに、その地獄が分かるかッ!」




 幼い頃から神童と呼ばれ。


 賞賛に甘んずることなく、研鑽を続け。


 だが、神の悪戯はいたずらに成長に歯止めを掛けた。


 誰のせいでもない。けれど、誰にもどうすることもできない。

 血反吐を吐くような努力も、

 血の滲むような研鑽も、

 気の遠くなるような日々の積み重ねも。


 神の悪戯で、全てが台無しになった。


「誰一人として俺の苦しみなんて分かっちゃくれねェ! 期待されて、切望されて、嫉妬されて、羨望されて、それでも耐え抜いて、驕ることなく修行に明け暮れて、それがこのザマだッ! 無様を晒して、侮蔑に耐えて……この灰色を、屈辱を、荒んでいく心を、てめェが理解できるのかァッ!?」


 置き去りにしていたはずの大勢が、統道を追い抜き、過ぎ去っていく。


「どいつもこいつも俺に哀れな目をくれやがった! 可哀想だと言いながら嘲るように笑いやがったんだ! 前に進めない俺を待つ奴なんざいなかった! 落ちこぼれて、どう足掻いても這い上がれない俺に手を差し伸べてくれる奴なんざ一人だっていなかったッ!」


 誰も立ち止まってはくれなかった。


 幼馴染みの州欧にさえ蔑みの混じった憐憫の眼差しを向けられ、どこまでも哀れに落ちぶれるしかなかった。


 あの瞬間、自分に向けられた眼差しに込められた感情を違えはしない。




 だが、


「…………なに叫いてやがるんだ、おい」


 その感情を否定する声があった。


「…………州欧がてめぇを見捨てただなんて、本気でそう思ってやがるのか?」


 一方通行な恩讐に、狩神は刃を突き立てる。


「アァ? てめェは、どういう立場でそんな口を利きやがる、ってんだッ?」

「州欧がどれだけてめぇに寄り添おうと努力したか、その献身を考えたことあんのかって聞いてんだよっ!?」


 びりっ、と劈く怒号が統道に突き刺さる。


「あいつがどれだけ、てめぇを救えなかったことを悔やんでると思ってやがる!? 見捨てられただぁ? 同情してただぁ!? 内心ではほくそ笑んでたってかぁ!? 節穴も大概にしろよっ!!」


 州欧が抱く統道への想いのすべてを知ったわけではない。


 けれどあのとき、泣き叫ぶように吐き出した悔恨は本物だった。


「州欧の言葉にきちんと耳を傾けたことがあったか!? 周囲の声を全部、自分を嘲笑する下衆なもんだと勘違いしてやがったのか!? なんだとしたら、自惚れんのも大概にしやがれよっ!!」

「部外者が、叫くんじゃ、ねェよッ!」

「州欧が未だにてめぇを気に掛けていることを都合よく無視するんじゃねぇッ!」

「――ッ!?」


 雷に打たれたように、統道が目を見開いく。


「自分は不幸だ哀れだって殻の中に閉じこもってりゃ、そりゃあ楽だろうよ! けどな、てめぇが纏った殻を叩いている奴のことを怨敵だのなんだのって勝手にほざいてんだとしたら――」


 突き立てる大鎌を握る両腕に力を込めて。


 狩神は宣言する。

「俺がその勘違いごと、てめぇの神格を狩り取ってやるッ!!」

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