胎動 - 3


 建設中のカジノはそんな歓楽街の中心地だ。昼夜を問わず、表通りには学生が闊歩しているため、真正面から侵入するのは多少は人も疎らになる深夜でもない限り不可能で、それにしたって警備員が厳重な警戒態勢を敷いている。


「どこから侵入するつもりだ」

「闘技場の大きさって知っているかしら?」

「質問を質問で返すなよ」

「あら、てっきり知っているものだと思ったのだけれどね。ドームというだけあって面積はそれなりよ? だから、新宿駅に限らず、隣接する駅付近からも直通の入口が幾つか建設されているの。その一つは神宮高校にあるわ」

「……流石にそれは知らなかったな」

「学校の正門の近くにある資材置き場があるでしょう? そこのプレハブ小屋に闘技場へ続く階段があってね」


 登校した際に目には入っていたものの、まさかそんな場所に入口があるとは思いもよらない。


「不破や州欧が馬鹿正直についてくることはねぇと思うけどな」

「あの状態の全王に脅されれば、違和感があっても無理でしょうね」

「…………そりゃ、そうか」


 夜の高校は不気味なほどの静謐せいひつを保っていた。


 週末とあってか、生徒の殆どは既に下校している。残っている教職員も両手で数えるほどしかいない。警備員に多少警戒されたが、薬師が用意周到に学生証を持ち歩いていたため、何ら問題もなく校門を通過する。


 件のプレハブ小屋はドアが破壊されていた。黒焦げになっている辺り、統道の仕業で間違いないだろう。中に入ると、床に設置された鉄扉のハッチが開いていて、そこから真下へ梯子が伸びていた。覗く闇には微かに灯火が確認できるが、距離感は曖昧だ。


「まさか、本当にこんな場所にあるとは……」

 簡単な施錠をしてあるとはいえ、だ。管理や施錠の杜撰さに軽く眩暈がしてくる。

「ここを降りていけば競技場よ。一人で来いと言っていたのだし、私はここまでね」

「ついてきても文句は言われねぇと思うがな」

「嫌よ。ただでさえいまはあんな調子なのに、不機嫌にさせたくないもの。それにしても意外だったわ。不破さんや戦場くんのことなんて、どうでもいい間柄なんだと思っていたんじゃなかったかしら」

「……まぁ、さっきまではそうだったんだがな」

「ふぅん。どういう気の変わりようなのかしら」

「さぁ。俺にもよく分からん。だが、このまま放っておくのは後味が悪いだろ。全く知らない仲じゃねぇんだしよ」

「それでも救う価値がなければ、以前のあなただったら切り捨てているはずだけれど」

「……知ったような口を利きやがる」


 実際、その通りだったろう。

 だが、今は、そんなつもりは毛頭ない。


「ま、黒乃くんの心変わりには興味なんてないけれど。そういう理由で全王の誘いに乗るなんて思っていなかったから」

「…………そういう賭け事をしてたんだったら謝るぜ。ベッティングを盛大に外したな」

「聞いたのはただの興味本位よ。気にしないで」


 薬師が、梯子へ足を掛ける狩神を睥睨しながら、心の籠もっていない声で言う。


「くれぐれも全王にやられないことを祈ってるわ。まぁ、決するのは勝敗ではなくて生死かもしれないけれど」

「統道が死ぬかもしれないってのに、よくもまぁ平然としていられるもんだ」

「黒乃くんに負けるとは思っていないから」

「随分と小物に見られたもんだな、俺も」

「そんなことないわ。あなたは強い。けれど、あなたにだってどうしようもないことのひとつやふたつ、あるわよね。これはそういう話だもの」

「……彼氏の無事をせいぜい祈っておくんだな」


 狩神は強引に薬師との会話を終わらせると、梯子を一段ずつ下っていく。鉄製の踏ざんは冷えていて、少し触れるだけでも手が悴む。


 果てしなく続くように思えた梯子だったが、終わりは唐突に、あっけなく訪れた。


 地面を踏みしめる。道の続く先、目を細めて暗渠を覗きながら歩みを進めると、エレベーターが設置された空間へ辿り着いた。周囲には何処かへ続く穴が複数伸びている。方面から察するに、最寄りの代々木駅へ続いているようだ。


「なるほど……駅前に入口を設置できないから、学校側から掘ってるってわけか」


 裏でどれだけの金が動き、高校に流れてきているか、想像しようとしてやめた。

どのみち狩神には微塵も関係がないことだ。


 エレベーターに乗り込む。最下層を示すボタンを押すと、がごん、という音と共にエレベーターが斜めに下っていく。


 やがてエレベーターがゆっくりと停止し、鉄扉が開いた。


 一歩踏み出すと、そこは抜けるような天井と広大なヴィンヤード型のコロシアムが広がっていた。客席までが整備されており、ドーム単体としては活用できる代物として完成しているようにも見える。






 その、舞台の中心。


「よォ。待ちくたびれちまったぜェ。おかげで暇を潰すのに苦労したぞ」


 統道が、雷剣を携えて仁王立ちしていた。

 闘技場の隅に転がっているのは、統道の理不尽な暴虐に晒された三人の変わり果てた姿。辛うじて意識があるのか、州欧と不破が顔を上げる。


「黒……乃…………くん」


 不破の痛々しい声が耳朶を打つ。


「ッ……――」


 思わず狩神は舌を打った。


「悪い。待たせた」

 

 以前なら、赤の他人で済んだ。誰かが傷つけられても、怒りや憎しみを抱くことはなかった。まして、心が痛くなるだなんて。


「……あとは俺がなんとかする」


 闘技場に踏み入れた狩神が、込み上げる感情を押し殺し、この惨状を作り上げた張本人へ静かに問う。


「てめぇ……、なにやらかしてくれてんだ」

「こうでもしないと俺の誘いに乗ってくれないと思ってさァ。こいつら、黒乃クンの大事な友達だろォ? わざわざ悪役やってンだ。少しはぶち切れてもらわねェとお互い調子がでねェだろォと思って、お膳立てしておいたんだぜェ? 感謝してほしいくらいだなァ?」


 言葉とは裏腹に、全く悪びれもない様子の統道がくつくつと喉を鳴らす。


「いいやァ……それにしてもタイミングとしては絶好だ。これが全能感っつうんだろォな。誰にも負ける気がしねェンだよ」

「……そうだろううよ。キメてんだから、当然だ」

「明日香から聞いたぜェ。色々と嗅ぎ回ってるようだが、俺を邪魔するンだったら誰だろうと容赦はしねェ。徹底的に叩き潰すまでだからなァ!」


 叫声を上げる統道の、全身が雷光を纏いはじめる。

 逆立つ髪は光が迸り、その眼は血走り、修羅の如く。


「さァッ! 神格を見せやがれ黒乃! てめェは今日、ここで潰してやるからよおッ!」


「……俺の友達ダチに手ぇ出したんだ、覚悟はできてんだろうな」


 淡く蒼く光る右手の甲に奔る刻印に、囁きかける言葉に力を込めて、狩神は右手を虚空に滑らせる。


「――神格、開放」

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