胎動 - 2


 その後も不穏な空気が持ち直すことはなく、あちこちとウィンドウショッピングに連れ回すものの、曇天のような表情で素っ気ない態度を貫く不破。


 そんな彼女の機嫌を取ろうとあれこれフォローに回っている戦場と州欧を、狩神は数歩遅れてぼんやりと眺める。


(まぁ、あの二人に任せておけばなんとなるだろ……)


 余計な手出しも口出しも無用だ、と言われたに等しいが、そもそも人付き合いの経験がほとんどない狩神は、その意図を汲めるほど頭が回らない。


 ただそれでも、この空気にしてしまった原因は自分であることだけは理解している故に、押し黙ったまま輪の外側でじっとしているしかなかった。


(だから人間関係ってのは面倒なんだよ……)


 黒乃一家が『抑止力』として秘密裏に政府から認定されて以降、その一家に生まれた狩神は否応なく修行漬けだった。

 神格の優劣を問わず、本人のやる気も問わず、だからと言って逃げ出すことは許されず。


 いつしか他人との人付き合いから得られる強さなどない、と割り切るようになり、知り合いはいれど、親しき友となる間柄はいないまま、気付けば狩神は高校生となってしまった。


 果たして狩神は黒乃家の一人として『抑止力』を担うに値する存在になったが。


 概念として、「親友」や「友達」というものこそ知ってはいるが。その真価を見出すどころか不要と割り切ってしまっている以上、相手の気持ちを汲んだり、機微を読んだり、ということが苦手で、億劫に感じてしまう。


 やはり、価値などないのだ。こうも面倒で、気持ちは落ち着かない。心の平穏を乱すことのほうが圧倒的に多い。これで成果が得られるわけでもないし、強くなれるわけでもないのだから。


 降参とばかりに首を振る戦場と、心底参ってしまった様子の州欧。それでも二人が不破に対して賢明にあれこれと世話を焼いている。


 その理由が、狩神には分からない。


 だから、なのだろう。

 不破がああも不機嫌なのは。


 けれど。

(じゃあ、どうすりゃいいんだよ……)


 嫌われるのが怖いわけじゃない。噛みつかれるのを恐れているわけでもない。

 ただ、どうすればいいかが分からない。次の一歩が踏み出せない。


 正しい方向を示してくれる隣人もいない。進むべき道を照らしてくれる灯台のような存在もいない。

 それでも暗中模索にも似た手探りで、誰も彼もが人間関係を構築していく。


 それができない狩神は、ただ途方に暮れ、雲間に覗く薄暮のただ中で深い溜息を零す。


「へぇ。あなたもそんな顔をするのね」

「あぁ?」


 不意に沸き立つ人影に、狩神は身構えた。


 声のするほうを見れば、白衣と見紛うような白色のロングコートを羽織はおった薬師やくしが立っていた。


 その内側に覗く脚は細さを強調する白色のレギンスパンツに、足元は赤色のパンプス。どうやら一度寮に戻って私服に着替えてきたらしい。


「お前……どうしてこんなところに?」

「彼氏と週末にデートをするのがそんなに不思議かしら?」

「統道か……」

「ええ。彼ならほら、あそこに」


 あごで示す方向――まさしく不破たちの前に、髪を逆巻いた統道が仁王立ちしていた。


「あんた……謹慎きんしん処分中のくせになにやってるの」


 剣呑けんのんな態度で不破が詰問する。

 対して統道はにへらと嗤ったまま吐き捨てる。


「謹慎っつったって学校にくるなって言われてるだけだぜェ? そりャあ、四六時中部屋でお利口にしてるなんて退屈なことやッてられるわけねェだろッ!?」

「ッ――」

「とりあえず付き合え、不破と、戦場だったか。お前らに用がある」

「用件を教えなさい」

「なァに、俺のストレス発散に付き合ってもらいてェだけだよ。ゲーセンで遊んでいたのをちィっと見かけてなァ。いいだろ? そっちもどうやら消化不良みてェな顔してるんだし、袖触れ合うもなんとやら、っつーだろ?」

「お生憎様。こっちはそんな気分じゃないの」

「釣れねェこと言うなよなァ。俺の彼女も黒乃に用があるみてェなんだ。時間潰しで小一時間程度、いいだろ? 俺の機嫌を損ねるなんてことがあったらよォ……この前、教室であったこと、忘れたわけじャねェよなァ?」


 逆巻く黄金の頭髪に、ばちっ、とほとばしる紫青の光。

 神格を開放しなければあり得ない帯電たいでん状態。

 言って聞く耳を持つ人でないことは既に経験済み。


 まして教室で流血沙汰を起こす猟奇りょうきさをもつ彼が、一般人が溢れる新宿の路地でやらかさない・・・・・・保証はどこにもない。


 不穏な空気を感じ取った不破が後ずさる。


「…………薬師さん。どれくらいで終わるのかしら」

「そうね……、三十分もあれば終わるかしら。黒乃くんの頭がキレるなら、だけれどね」

「俺に何用だ」

「いま、あなたが一番頭を悩ませている件についてよ」

「…………ッ!?」


 狩神が目を見開いた。


 俄に、狩神のまとう気配が殺気だったものとなる。それに感づくのは、側にいる薬師だけだが、飄々ひょうひょうとした態度は変わらず、僅かに目を細めるだけ。


「どうやら了解を得られたみたいね。それじゃあ不破さんと戦場くんには申し訳ないけれど、彼の相手をしていてもらえるかしら。こちらが終わったら連絡するから」

「私も……楯奈に、ついて行く、から……っ」


 統道と薬師の二人からいないものとして扱われていた州欧が声を上げる。


「……俺の視界に入るんじャねェぞ」

「…………わか、った」


 蛇に睨まれた蛙のように、引きった声。


 統道と州欧の関係性を窺い知るには余りある言葉とやりとりに、戦場も不破も掛ける言葉はないようで。


「それじゃあ行くぞ。ついてこい」

 この場から離れていく四人を見送って、薬師が囁いた。

「それじゃあ、ちょっと早いけれど、静かに語れる場所へ行きましょうか」



※※※



「ここよ」


 連れられてきたのは裏路地にひっそりと看板を構えるバーだった。


 まだ日没前とあって人の出入りはない。そもそも未成年が集まる学生の街と成り果てた新宿にあって、未成年立入禁止の酒類を提供する場所に、未成年特有の垢抜けない純朴じゅんぼくな活気などあるはずもない。


 店内に入る。

 予想通り、開店しているにもかかわらず人っ子一人見当たらない。カウンター越しで正装で身を固めたバーテンダーが狩神を一瞥いちべつして静かに口を開いた。


「いらっしゃい、明日香。その子は新しい恋人かい? それともお客さん?」

「どちらでもないわ」


 小鳥のさえずりにも似た柔らかい声に、理知的で機械的な音が重なる。


「大事な話があるから、この場は聞かなかったことにしてね」

「分かったわ。こういう職業柄、秘密を守るのは得意だから任せなさい」

「それじゃあ座って。こういう場所だから変に上品なものしか出せないけれど」

「……失礼しちゃうわね。はい、レモネード」


 上品なグラスに注がれたレモネードを受け取り、狩神は薬師の言葉を待つ。


「まず謝っておくわ。ダブルデートの途中だったのでしょう?」

「勘違いするんじゃんぇ。不破の野郎が俺を無理矢理連れ出しただけだ」

「あら、そうだったの。不機嫌になった彼女を、もう一カップルでなんとか宥めているようにしか見えなかったのだけれど」

「恋人なんて関係じゃねぇよ」

「お似合いだと思ったのだけれどね」

「あんなやつのどこがいいんだ」


 吐き捨てるように狩神が言う。


「我が儘で、強引で、勝ち気勝りで生意気で、勝手に不機嫌になるし……」

「あら、素敵じゃない。それって、不破さんのこと気になってる証拠よ?」

「俺が? あいつのことを? それこそ冗談じゃない」


 狩神が即座にかぶりを振った。考えるだけでも頭痛がしてくるというのに。


「けれど楽しかったのでしょう? でなければ、普段の黒乃くんの行動からして、すぐに一人勝手に離脱しそうだものね。友達付き合いとか、そういうのも苦手なんでしょ?」

「……誰かにそのことを明かした覚えはないはずなんだがな」

「ああ、ごめんなさい。私、友達が多いの。黒乃くんと同じ中学だった友人がいてね。話をしたら色々と教えてくれたわ」


 誰かは知らないが、余計なことをべらべらと。絶対に馬鹿だ。


 だから情報を容易く伝える。その価値も知らずに、暇を潰すように喋り散らかす。よくもやってくれやがった。


「孤独が信条の黒乃くんがこんな早々に友達を作るとは思わなかったわ」

「…………悪いかよ」

「あら。友達であることは認めるのね」

「ぐっ……」


 一杯食わされた。最悪だ。


「……もうこの話はやめだ。こうして俺をからかうことが本題じゃないだろ?」

「せっかちな男はモテないわよ?」

「うるせぇ大きなお世話だ」

「私、余裕のない男は嫌いなの。黒乃くん、外見はいいけれど中身はまだまだね」

「勝手に言ってろ。誰かに好かれるために生きてるわけじゃねぇ」

「……可愛げもないのね。そりゃあ愛想も尽かされるわけだ」


 一部始終を見ただけでわかったような口をきく薬師に、狩神は苛立ちを募らせる。


「いい加減、用がないなら俺はあいつらのところに戻るぞ」

「だから待ちなさいって。悪かったわよ。勿体ぶっちゃって」

「御託はいい。話ってのはなんなんだ」


 薬師が、このとき初めて、バーテンダーが準備したレモネードに口を付けた。


「……全王ておが違法薬物を使っているって件だけれど」

「その話は先日終わったんじゃなかったのか」

「全王の身の潔白は紛れもない事実。それでも、あなたは未だに疑っているのでしょう?焦っているのかしらね。どうやっても尻尾を掴めない。あれこれ手を打っているけれど、網にかかるどころか撒いた餌にすら寄りつかない。だからあなたはそんなにも疲弊した顔をしてる。不破さんたちと少し戯れた程度じゃ到底紛れるはずもない」


 ぐいっ、と身を寄せてくる薬師が、冷えた声音を吐き出した。


「私も、あなたがそんな風に疲労困憊していく様を見ているのは辛いの。折角の美男子が台無しだわ。だから、あれこれ詮索するのはもうやめにしてくれないかしら。疑われている私も全王も迷惑してるの。薬物をやっていない証拠を出せと詰問されても無理よ。悪魔の証明だなのだから」

「なら、統道のあれはなんだ。明らかに、あれは薬物反応の一種だろ」

「よく知ってるわね。流石は国に雇われた猟犬、といったところかしら」

「…………なんの話だ、そいつは」

「しらばっくれるつもりかしら。けれど無駄。私はあなたの尻尾を掴んでるから。

捕縛ほばく率100%を誇り、狙った獲物は逃さない。唯一、未成年の『抑止力』でありながら数多の神格保有者たちと対等に渡り合い、漆黒の大鎌をもって犯罪者を暫獲ざんかくする正義気取りの執行者――それがあなたの正体。かまを掛けているつもりは毛頭なくってよ。こっちは黒乃くんの情報、あっちこっちからかき集めたもの」

「っ……」


 はったりでもなんでもない。

 警戒をしていると、宣言されたようなものだ。


「どうしてそれを知っている」

「あまり公にはできないことなんだけれど、私の知り合いには、あなたに捕まった犯罪者がいるの。写真を見せたらすぐに教えてくれたわ。色々と気をつけろ、ってね」


 ぎり、と奥歯を噛みしめる狩神。


「これでも結構知り合いは多い方なの。表も裏も含めてね。お小遣い稼ぎにしては釣り合いの取れないほど太いお客さんも幾つかいるし。私になにかあれば、彼らが黙ってはいないわ」

「そいつは脅しのつもりか?」

「まさか。事実を言ったまでよ?」


 乾いた笑いが静謐せいひつなバーの空気を震わせる。


「俺の要求は一つだ。統道に変な真似をしているのなら、やめろ」

「……ふふっ」


 薬師が蠱惑的な笑みを浮かべた。


「小賢しくて往生際が悪いのね、あなた。かと言って物わかりが悪いわけでもない。なんというか、どこまでも中途半端なのね。海老で鯛じゃなくて鮫が釣れてしまって、だからかしら、尾びれの価値が脳裏にちらついて手放しきれない。そんな顔をしてるわ」

「…………っ」

「ダメよ。そういうことをやっていると、いずれ鮫に噛みつかれるわ。引き際を見極めないと、いつか大事なものを失うことになる。まぁ……黒乃くんにそんなものがあるのかは知らないけれど」


 完全に会話の主導権を握られてしまっている。


 だから、致命的な先手を打たれる。


「ああ、そうだわ。そういえば以前、全王のことで親切にも忠告をしてくれたことがあったでしょ? あれ、ありがたかったわ」

「……?」


 感謝される謂われがない。統道が薬物を使っていないと言い張る以上、忠告はなんらの意味を持っていなかったのだから。


 そう怪訝に思っていると、薬師がふっ、と笑みを消し、冷徹に言い放った。


「鈍いのね。どうして私があなたと二人きりでこんな話をしていると思う? 全王が不破さんや戦場くんをどうして暇つぶしに誘ったと思う? 全王がお利口なまま、ゲームセンターなんて場所で遊ぶと、本気で思ってる?」


「……………………………………………………………………………………まさ、か」


 狩神の手からグラスが零れ、甲高い音と共に漆黒のタイルに砕け散った。


 同時、腕時計型のデバイスが悲鳴を上げるように鳴り響く。


「州欧かっ!? いまどこにいるっ!?」

『よぉ、黒乃』

「っ!?」


 応答したのは、粘つくような殺意。


「……どうしてお前がその番号を使っている」

『んなこたァ、とっくに想像ついてんだろ。ところでよ、新宿の地下にでっけぇドームを作ってる噂、知ってるかァ?』

「…………さぁな」


 政府が肝いりで建設している新宿の一等地に居を構えるカジノ。

 地上にはゲームセンターやフードコードが何店舗も入り、地下一階には隣駅からも直通の改札口が設けられるほど広大な成年向けのカジノができあがる。


 そして、その更に下層。エレベーターでなければ潜ることのできない地下深くで目下建設中の大型ドームがある。


 その用途は野球でもサッカーでも室内系の球技でもない。コンサートホールでもなければラグビーやアメフトのようなそれでもない。


 ――闘技場。


 二一〇〇年の東京五輪に合わせた客寄せの一つとして機能させる目論見で秘密裏に着工されているものだ。その事実を知るのは一部の政府関係者のみ。狩神も関係者から教えてもらってはいるが……、ここであからさまに反応してしまえば、薬師に完全な裏を握らせてしまうことになる。


 だから、狩神は意識して、知らないフリをするしかない。


『場所は明日香が知ってる。教えてもらえ。もたもたするなよォ? それと、来るからには一人で来い。俺が望むのは、血を血で洗う決闘だからなァ』

「……そんなことをしてなんになるってんだ」

『自己満足だよ。てめェを潰して、最強は俺だってことを知らしめる。なァ、これ以外に必要もんがあるかァ?』

「不破や戦場は無事だろうな」

『これを無事っていうかどうかは当人次第だろうがなァ。男は伸びてるぜ。女のほうは虫の息だが、こんなもん嬲っても面白くもなんともねェ。ただ、お前がくる間も遊んでやるつもりだからな。早く来ねェとどうなっちまうか、そいつばかりは保証できねェなァ?』


(それが確認できればひとまずは……)


『三十分だけ待っててやる。それ以上は……分かってるな?』

「……すぐに行く」


 そうとだけ告げて、狩神は通話を切った。そして、薬師を睨み付ける。


「案内しろ」

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