萌芽



 統道に強襲されてから一日が経過し、三日を浪費し、七日を無駄にして。


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 果たして調査結果は芳しくない。


「完全に警戒されたね、これは」

「………………………………………………………………………詰んだ」


 昼休み。新聞部の部室に訪れた狩神は朱鷺峰の報告を受けていた。


 眉間に皺を寄せながら訥々と語る朱鷺峰もその口は重い。


「ここ数日はそれこそ掲示板も盛り上がったけれど、昨日以降、有益になりそうな情報は急にぱったりだ。こちらの控えめな誘い文句には乗ってくれそうにない。完全にフラれたとみていいだろうね」

「……………強くなる方法を掲示板に投稿してた、そっちのほうでも駄目ですか」

「発現助長剤については初日こそ話題にあがったけれど、その後は音沙汰もない。完全に下火になってしまったな。強くなりたいなら修行するしかない、みたいな一般論でありふれてしまった掲示板には価値を見いだせなくなってしまっている状況だよ」

「………………………参ったな」


 ここ数日で薄くなってしまった気がする頭髪をがりがりと掻きむしる狩神。


「明日から統道が登校するようになるって話だけど……証拠隠滅されている可能性は十分考えられるしな……問い詰める手段を考えないと…………」

「そういや『抑止力』に捜査権限はないんだったね。上司に頼んで本格的に聞き込み捜査をやってもらったらどうだい」

「その判断をする状況じゃあないんだとよ。他の高校でも同時に調査を展開してる以上、事情聴取をするなら足並みを揃えてからにしたいってことらしいからな」

神格省おかみも融通が効かないねぇ。まぁ、とはいえその判断は責められないか」


 やれやれ、と首を振る朱鷺峰は嘆息して起動したパソコンへ目を配る。


「進展があれば都度報告はするけれど、こうなってしまったら根本的にアプローチを変えるべきかもね。掲示板はすっかり虫の息だし」

「…………とりあえず、出直します」

「うん。法秤さんにも宜しく言っておいてくれ」


 頭痛のする思いでこめかみを押さえながら部室を後にする狩神。

 エントランスを出ると、眩い春の日差しに目が眩む。


「四六時中モニターと睨めっこしてるからかね……」


 単純な眼精疲労。

 それに加えて、ずっと同じ姿勢で作業していたからか、肩こりだの腰痛だのと身体の節々が悲鳴を上げている。


 模擬戦以来、ロクに身体を動かしていないせいでもあった。


 今後『抑止力』としての活動が本当に減るのなら、運動系の部活やジムに通うことも一考すべきだろうか……、けれど、その程度では『抑止力』としての活動で培った勘を維持しておくことは難しい。手っ取り早いのは模擬戦。コロシアムの復旧さえ完了すれば再開できる。


(雑魚を相手にしても緊迫感はないが……、なにもしないよりはマシだろうか……)


「――くん」


 教室へと続く廊下で一人ぶつくさと考える狩神。模擬戦の依頼は既に二月分溜まっている状況だ。数日に一回のペースでこなしていけば夏休みに突入する。そこまで目途がつけられるのならば、いまはそれで我慢する他ない。


(だが……夏休みになれば、学生たるもの青春を謳歌しないでどうする、とか言いそうだよな、法秤さん)


 そもそも、初夏を迎えるまでに、いま抱えている発現助長剤の製造元を特定できるか、という目下最優先の課題もあるわけで。


「先が思いやられるぞ、これは……」

「黒乃くんっ!」

「……ん?」


 振り返ると、背後には不機嫌な様子の不破が腕組みをした立っていた。

 その隣には多少顔色の良くなった州欧。


「さっきから呼んでるってのに、よくもまぁスルーできるわね! あたし結構声が大きい自覚あるんだけどっ」

「わ、悪い……、ちょっと、考え事をしてたもんでな……、っと……危ねっ」


 ちっとも悪びれた様子もなく、適当な相づちと会釈で済まそうとする狩神。その拍子に足許がふらつく。


「そ、そう。にしてもあんた、ここんとこずっとそんな調子じゃない? 顔色も悪いし、先週も言ったけれど、入学式のときみたいな覇気もないし……まさかあんた、最近掲示板であれこれ噂になってる薬物を使ってるんじゃないでしょうね!?」

「んなわけあるか! どっちかっつうとそれを追い駆――げほっ、げほっ」

「追い……?」

「な、なんでもねぇ、いまのは忘れろ!」


 思わず勢いで禁句を口走りそうになり、咄嗟に咳払いで誤魔化す。


「と、とにかく考えることが多くて、休んでる暇なんかねぇんだよ」

「それにしたって酷い面してるわ。どういう事情があるのか知らないけれど、たまには息抜きでもしたらどう?」

「……息抜き、ねぇ。それって、どうすりゃいいんだ?」

「え? どうするって言われても……それは人それぞれじゃないかしら。買い物したり、読書したり、友達と遊んだり、スポーツで汗を流したり……考えてみれば色々あると思うのだけれど」

「…………ふぅん。そうか。そういうもんか。よく分かんねぇな」

「あんた、もしかして趣味とかないの? 友達はいないのは知っているけれど……」

「大きなお世話だっての!!」


 物心ついたときからひたすら修行に明け暮れ、神格を思うがままに制御できるようになった頃には『抑止力』として日々戦闘に明け暮れてきた狩神にとって、戦闘そのものが息抜きやストレスの発散になっていたことは言うまでもない。


 ゲームもスポーツの嗜みはなく、美術方面の感性はからっきしだ。


 文化的な趣味もなければ、音痴がゆえに歌唱はおろか音楽鑑賞の趣味もない。

 勉強もかつては自発的に取り組んでいたが、既にその知識量は必要十分に至ったため、新たに学ぶものもなくなってしまった。


 つまる話。


 有り体に言ってしまえば、狩神は暇を潰す方法を知らないのだ。


「……この歳で趣味がないって、相当変人だと思うけれど」

「えっ……いや、そんなことないだろ。なぁ、州欧」

「あっ、と……、私に振られても……、フォロー、できない、というか……。無趣味だとは思わなかった、というか……」

「……………………」

「友達いないのってそういう所が原因なんじゃ」

「う、うるせぇ!」


 不破に指摘されて反射的に否定する狩神。


「高校入学までは趣味なんかなくてもリアルが充実してたんだよっ! 諸々忙しくて暇な時間すらなかったからな!」

「あんたの人生、やっぱり愉しそうな感じしないわね。忙殺されていたのだって、さっきみたいに難しい顔するようなことばかりやってたんでしょ」

「ぐっ……」


 悪いかよ、と子供じみた反論をしようとして、できなかった。

 不破がとてつもなく憐憫の視線を向けてきたからだ。


「な、なんだよ……」


 狩神が不機嫌さを露わにすると、不破が腕を組みながら大きな溜息を零して言う。


「それって、あんたにとっては愉しいのかもしれないけど、それしか知らないのはやっぱり駄目よ。やってる最中で辛く感じたら、逃げ場がないじゃない」

「んなもん必要ねぇだろ」

「いまはそうかもしれないけれど、これから何十年生きていくんだから、ずっとそうとも限らないでしょ? 頭が良いのは認める。同級生で一番実力があるのかもしれない」


 だけど、と一呼吸置いた不破の口調が棘を孕む。


「断言してあげるわ。あんたに、人間性としての魅力は欠片もないわ。知識はあるのかもしれないけれど、ただそれだけじゃない。人付き合いも全然だし、授業はほぼ欠席で、珍しく出席してると思えば寝てばかり。どれほど強くたって、尊敬なんてちっともできない」

「……さっきからあれこれ好き放題言いやがって。お前に俺のなにがわかるってんだよ」

「知ってるわけないじゃない。自分のことを他人に話したこともないくせに、その台詞は都合がいいにも程があるわ。それに、そっちこそあたしのなにが分かるっていうの?」

「そ、それは……」

「ほんと勝手が過ぎるわ。他人の手なんて借りなくなってどうとでもなる、なんとかできる、そんな傲慢な思考が見え透いてるもの。そりゃあ友達がいないのも道理よね。どうせ自分より弱い奴らと付き合って得になることなんてない、そういうことを考えているんでしょうし」

「……………………ッ」


 その通りだ。


 だからこそ。認めてしまえば幻滅されることが分かっているから――、


 いや……、


 どう思われたっていいはずの不破と州欧に、どうして幻滅してほしくないんだ?

 自分自身の心の動揺に戸惑う狩神をよそに、不破は饒舌にまくし立てる。


「高校で学ぶことなんてない、あんたこの前そう言っていたけれど、親御さんはあんたの優秀さを理解したうえで、それでも学んで欲しいことがあるから……手に入れて欲しいものがあるから、進学しろって勧めたんじゃないの?」

「っ……」


 その言葉に、狩神は目をしばたたく。


 ――友達は将来の財産になるし、心はまだまだ未熟だってことを自覚しなさい。


 あのときの法秤の言葉を、狩神は理解しようともしなかった。どころか、今の今まで忘却の彼方にあった。


 それを、不破が指摘し、いつもなら「言い過ぎだよ」と止めに入る州欧もその気配がないのはきっと。


 それが、真理の一つだからなのだろう。


 狩神の感性が違うから。皆と、歩んできた道が違うから。

 皆に見えていて、自分には見えていないものが、あるのだろう。


「神宮高校は東京にある神格保有者向けの高校でも一番優秀だから、卒業した後も同じ大学に通ったり、同じ所に就職したり、何十年先も一緒に仕事をするような仲になる子が沢山いるわ。なにも勉強だけじゃない。戦闘で強いだけが全てじゃない。人脈や交友関係は財産になるの。だからみんな、色んなことに一所懸命に取り組んでる。黒乃くんだけよ? 部活動にも特別クラスにも入らず、普段からつるむような友達もいないなんて新入生はね」


 ――それの、なにが、悪い。


 なんて言葉を吐けるような余裕は、もう欠片もなかった。


 別にそれでいいと思っていた。間違いではないと信じていた。

 実際、これまではその考えで難なくやってこれたのだから。


 ――だから、なのか。


 これから先はそんな考えではやっていけないから、『抑止力』としての活動を休止してでも、高校に通えと口酸っぱく何度も言ってきたのか。


 だったらそう言ってくれればいいのに、とふて腐れながら思うと同時、どうせ自分はその忠告も聞き流して、同じように忘れていたに違いないのだと分かってしまって、結局、反論の言葉は出ない。


「……と、流石に言い過ぎたかしら。そんなに打ち拉がれた顔をされても困ってしまうのだけれど。言い負かすつもりなんてなかったし」

「欠片の遠慮もなかったくせに、なに言ってやがる」

「もしそう感じたのなら謝るけれど……本題はここからよ」

「模擬戦で負けた憂さ晴らしなのか? 反駁っする気持ちすら根刮ぎ刈り取って、それでも飽き足らねぇってか。ドSかよ」

「そんなつもりないわよ。今日の放課後、もし暇なんだったら新宿まで一緒に行かないかって、誘うつもりだったの」

「は、冗談よせや」


 予想外の勧誘に、思わず後ずさる狩神。


「一体全体どういう風の吹き回しだ……まるで意図が掴めないぞ?」

「なんでそんな警戒心持たれなきゃなんないのよ……黒乃くんがストレス溜まってそうだったから、一緒に遊んで発散できればなって思っただけ。趣味がないんだったら、あちこち案内してあげるから」

「なんでそんなに俺に構うんだよ……」

「別にあんただけ特別扱いしているつもりはないわよ。あたしは人の縁ってのを大事にしたいの。鎧袖一触ってやつね」

「……そんなポリシーに俺を巻き込むなんざ、人を見る目がねぇ」

「あんたに言われる筋合いはないわ。それに、誰にどう言われようと、知り合いは多い方が人生楽しくなるって確信してるの。明るく振る舞える性格じゃないし我が強いのも自覚してるから、友達とか親友が臨むように増えていくわけじゃないけれど、それでも、折角知り合ったんだから、大事にしたいじゃない」

「っ……」


 狩神にはまるで思い至らない考え方だ。


 友達は多い方が楽しいなんてどうかしてる。

 自分より程度の低い奴らと絡んで、なんになる。


 だが、その感情は結局、堂々巡りだ。


 不破の誘いを蹴るような反発力はない。

 誘いを断ってまで孤独を貫く矜恃など、いまの狩神には持ち合わせがなかった。


「で、結局どうするの?」


 そう押し込まれ、いよいよ狩神は観念する。


「……分かった。分かったよ。いきゃあいいんだろ、新宿に」

「案外即決だったわね」

「さすがにここまで粘られて誘いを断るのは……少しだけ気が引けたってだけだ」

「そ、そうっ。しゅ、殊勝な心がけじゃない」

「なんだ、急に目を逸らして」


 わずかに頬を赤らめた不破が照れ隠しとばかりに鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「なっ、なんでもないわよっ! それより、そうと決まれば放課後、そのまま校門に集合ね! ちなみにもう一人、男子を誘ってあるから、くれぐれも浮かれないようにっ!」


 うわつく要素なんてあったろうか、と疑問符を浮かべながら、そそくさと教室へ戻っていく二人の背中を見送って、狩神はふと思い至る。


「……俺も教室に行くつもりだったんだな」


 授業を受けるつもりはないが、週末へ向けて法秤さんへ発信する報告事項を整理するには丁度いい二時間だ。



「今日は連絡が取りづらくなることも伝えておくか」


 狩神がクラスメイトと遊ぶ約束をしたことを誰よりも喜んだ法秤の顔が会議の場で緩みきっていたのはまた別の話である。

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