美学 - 5

 それから、やや間を置いて、彼女が切り出した。


「全王は、幼馴染み、なの。物心ついたときから、ずっと」


 予想はしていた。驚くことではない。

 狩神は、そうか、とだけ呟く。


「小さい頃の全王は、神格保有者のなかでも、頭一つ抜けていて、強かった。勉強もスポーツもできて、小学校を卒業する頃には、進学予定先の中学生を圧倒、できるほどだった」

「だったらなんで、次席が州欧なんだ。順当に行けば……というか、サボらなけりゃ統道が次席だったはずなんだろ?」

「全王は、自分の才能に驕ることなく、必至に、努力してた。強くなるために、誰よりも血の滲む特訓を、してた。それでも……たとえ、神格が恵まれていても、発現率が低いままでは、伸び悩む、でしょ」

「…………なるほど」


 神格じんかく発現率はつげんりつ


 いかな、神話のなかでも上位に存在する強大な力を持った神の力をたまわったとしても。


 発現率が低いままでは、いずれは劣等生のレッテルを貼られる。


 これまで狩神が自らの手で追い詰めてきた発現助長剤の使用者だって、発現率さえ高ければ、この世界に名を残す偉業を成し遂げていたかもしれない。


 狩神だって、神格発現率が低ければ、どれだけ優秀で貴重な人格を宿していても落ちこぼれの烙印を押され、他の『抑止力』のお世話になっていた可能性だってある。


 それこそてんのみぞ知ることだが、他人事と割り切るには酷に過ぎるというのが神格発現率の差だ。


 どれだけ望んでも、血反吐を吐いても、恵まれなければそれまで。努力とはまるで関係のない資質だ。

 現代医学をもってしても、神格発現率の上昇メカニズムだけは依然として不明なままなのだ。


 それはまるで、力を追い求めた人間たちに施した神罰。

 戒めのごとく、人倫じんりんを踏み外さぬよう、禁忌きんきへと触れぬよう、人を現実へと縛り付ける神の鎖。


「発現率に伸び悩んで、全王は、次第に、荒れていった。思春期になって、皆が力を伸ばすのに、全王だけは成長が止まったみたい、だった」


 周囲に追いつかれるかもしれない、という焦燥しょうそうと、どうして自分だけが、という嫉妬しっと


 どうして自分だけこんな目にうのか、という憤りと嘆き。


 どれほどの深度で、強さで、焦燥を感じ、嫉妬に狂い、憤怒に塗れ、号哭ごうこくを零したのか。


 それは、当人以外には計り知れない。


「誰も彼もが全王に近づかなくなったのは、一年前あたりから、かな。私も、宥めようと、したけれど……、私自身が、全王を、傷つけているって、知ってからは……駄目、だった」


 神宮高校の新入生次席になるほど目覚ましい成長を遂げる過程にあった州欧に、統道が激しい嫉妬を覚えたのは道理だろう。


 彼女自身が統道のコンプレックスとなってしまっては、救いようがない。


「私は結局、救えなかった。救える存在に、なれなかった……ッ!」

「…………っ」


 州欧の号哭は。


 どれだけ悔やんでも悔やみきれない。神の御前で懺悔をして、許しを請うことのできるものではない、そういう下劣で非道な悪行だったのだと。


 そう、決めつけているようでもあった。


「全王が荒れていくのを、誰も、止めることなんて、できなかった……」


 周囲に追いつかれないよう、突き放されないよう、置いていかれないよう、必至だったのだろう。


 血反吐を吐き、血の滲む努力をして、それだけに止まらず、ひたすら強さを追い求めてきたはずだ。それこそ、『本気』で。


 だけど。

 だけれども。


 本気を出しても、どうにもならないことだってある。


 それは、どの世界でも同じことだ。努力できて、才能があって、それでも、神の寵愛ちょうあいを賜る運がなければ、この世界で開花することなど望めるはずもない。


 狩神は苦虫を噛み潰したような顔をして、雲一つない空を見上げる。


「神格開放率だけは、どうしようもないもんな……」


 誰しも水月すいげつを鍛えることができないように。

 神格開放率だけは、どうあがいても運任せだ。


 どれだけ遺伝子をいじくろうとも、人間の手中に収めることができない。


 だからこそ。


 統道の過去を知り、寄り添おうとし続けてきたからこそ、気付いてしまう。


「けど……さっきの、あの様子は……いつもと、全然、違った。衝動的で、好戦的で、野蛮なのは……、全王は、あんなおかしな子じゃ、ないっ。なんで、あんな風になっちゃったの……?」


 その原因が思い至らない州欧とは対照的に。


「…………っ」


 空を見上げたまま、狩神は唸る。


 真っ当に生きてきた州欧が、統道の異変の原因を知るはずがない。


 微かに淡く光っていた、全王の右手に宿る刻印。神格開放もせずに、あの挙動。

 御し切れず、暴走する寸前の力をありのままに振るう態度。


 そして、決定的だったのは、焦点の合わない、血走る眼。

 あれこそまさしく。


 ……ただ、その事実を州欧に伝えるのは酷という話だ。


「統道の隣にいたあの女子のことは知ってるか?」

「薬師さん、だったっけ。私は、初対面だった、けど」

「……そうかい」

「黒乃くん、放課後に、薬師さんと放課後に、会うんだよね」

「ちょっと気になることがあるんだ。統道と一緒にいるってことは、奴のことを色々知っているはずだと踏んでる。ああなったことも含めてな」


 州欧は複雑な表情を浮かべて、微かに頷く。


「そう、かもね……、全王がいつもと違った、その原因、知ってるかも、しれない」

「……あいつがああなった理由、知りたいか?」

「っ……いや、いいかな。知ったところで、どうしようも、なかったら――」


 それは、辛いもの。


 静寂に満ちる憩いの場に、響く凛とした声は微かに震えて。


 内に秘める想いの強さが漏れているようでもあって。


「ありがとう。色々と、気が晴れた、かも」


 不安を気取られないために、唐突に感謝を口にした州欧が立ち上がる。


「いいのか? もう」

「ええ。それに、楯奈じゅんなも、終わったみたい、だし」


 そう言うか早いか、「おーい!」と楯奈の叫ぶ声が谺する。



 駆けつけてきた不破は息を切らし、頬を朱に染め上げて、狩神の姿を認めるや否や、右手をびしっ、と突きつけた。


「なんであんたサボってんの!?」

「俺だけに言う台詞じゃねぇな」

「どうせあんたが弥生を誘ったんでしょ!?」

「あ、いや、それは――」

「悪かったな。そうだ、その通りだよ。で、そんなことで叱るために不破はここまでやってきたわけかい」

「えっ」


 戸惑う州欧をよそに、不破の怒りのボルテージは上昇していく。


「だったら悪い!?」

「……いや、なに、健気なこったと思ってな。いつからお前は存在もしないクラス委員長キャラになったんだ?」

「ああ言えばこう言うっ! あんたってほんと憎たらしいっていうか、勘に障るっていくか!」

「おうおう、そうかっかすると肌が荒れるぜ? カルシウム足りてるか?」

「きいいいいいいいいっ!」


 ヒートアップする応酬は更に熱を増し、耳まで真っ赤に染まった不破がきゃんきゃんと叫きながら狩神に足蹴を見舞う。


 ひょい、と余裕をもって躱す狩神がけらけらと笑い、更なる燃料が投下され。


「ほんっと、最低っ! 信じらんないっ! 根っからの屑ねっ! なんでこんな奴に負けたのかりら、あたし。情けなくて涙が出そう……」

「涙を流すのはストレス解消にいいって言うよな。なんか悩んでることがあるんだったら思いっきり泣いていけばいいんじゃないか? ここだったら、いまは俺たち以外には誰もいないんだしよ?」

「……はぁ?」

「おお、怖ぇ」


 涙目に怨嗟えんさを湛えた三白眼さんぱくがんで睨んでくる不破に、さすがの狩神も後ずさる。


「馬鹿とつるむと同類に成り下がっちゃう。そんなの御免だわ。こんな奴ほうっておいて、早く教室に戻ろう、弥生っ」

「えっ、あ、その……わ、分かったから、落ち着いて、ね?」

「あいつが変なこと言うのがいけないのっ!」


 無理矢理に州欧の手を引いて連れ去っていく不破を見送り、狩神は再びベンチへ横たわった。ややあって、左腕に巻き付けているデバイスが微かに振動し、チャットの新着を知らせる。


『さっきは、ありがとう』


 簡素な感謝を一瞥いちべつし、狩神は吐息を一つ。


「まだ小一時間も経ってないのか。放課後まで寝るかな」


 夕暮れの気配はまだ遠い。


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