美学 - 3


「…………誰だ、あんたら」


 見慣れない顔に狩神が彼の質問を無視して問いかける。


 豪奢な金髪を獅子の鬣のように荒々しく逆立てた男は学校指定のブレザーを着崩し、周囲を睨め付けるように視線を散らす。

 その背後に付き添う女子は凛とした表情で、終始不機嫌な彼に物怖じすることなく腰元まで伸びた金髪をいじくりながら、この状況を静かに俯瞰しようとする姿勢を匂わせる。


 まるで足を洗って堅気になったばかりの男と、外見の眉目秀麗さで採用された秘書のような。


「上級生……じゃ、なさそうだな」


 値踏みする眼差しを壇型になった教室の最奥から投げる狩神。ブレザーの胸元に刺繍された桜の紋様、それこそが学年を示すもので、上級生であれば菊や薔薇となっているはずだった。


 男は眉をつり上げたが、狩神に敵意はないとみてか、瞬き一つ、単刀直入に答える。


統道とうどう全王ておだ。んでこっちは――」

薬師やくし、とだけ」

「で、お前が黒乃だな。初日、色々と馬鹿げたことをやっていた野郎にそっくりな面構えだ」

「似てるもなにも本人だが……で、俺になにか用か」


 身元が割れている以上、下手な小芝居や会話の応酬は無用。そう判断して、狩神は単刀直入に尋ねる。


「ああ、感想を伝えたくてなァ。新聞のインタビュー、たのしく読ませてもらったぜェ。特に、本気を出すのは弱者である証拠、ってあたりが気にくわなくってよォ――ッ」


 薄らと笑った統道の身体が、ブレて、消えた。


「っ!?」

「――っと、こいつはなるほどねェ。あのクソッタレなインタビューをするだけのことはあるってかァ? キハハハハッ!!!」


 ひゅっ、と喉奥で引っ掛かるような悲鳴を上げたのは不破だった。


 刹那の間に狩神の正面へ移動した統道が、黄金こがねきらめく刃を唐竹に振り下ろしていた。


 神格開放もなしの、武具の顕現と瞬間移動。

 そして明確な殺意。

 なにをしでかすつもりだったのかは一目瞭然だ。


「生意気な台詞を吐けるだけはあるってかァ?」

「……穏やかじゃねぇな」


 狩神は僅かに目を見開いたまま、突き出した両手の先に覗く雷電の剣と、その柄を握る右手の甲に輝く刻印、そして残虐な笑みを睨む。髪色と同じく黄金を湛える統道の双眸を一瞥して、狩神は険しい顔をせざるを得なかった。


(こいつ……)


 殺意を白羽取りをした両手は、血にまみれていた。ちらりと目下へ視線を向ければ、机上に滴る鮮血はすでに小池をつくっている。観客が二人しかいない時間帯で良かったと、そんな気持ちを抱けるのは狩神だからだろう。


「一体全体どういうつもりだ?」


 狩神の険しい表情に対し、統道がにぃ、と凄惨を宿した統道が白歯を覗かせる。


「どうにも最近、調子が良すぎるせいか手癖が悪くてよォ。一遍締め上げねえとならねェなって気持ちが過ぎっちまった結果だ。許してくれ、ナ?」

「……にしちゃあ、神格が漏れ出してるのは気のせいか」

「つえぇ奴は神格開放を常時できるッつーだろ。それだよ。ここんとこマジで調子が良すぎて制御できなくってよ。この程度で首をかかれることはねェだろうと、首席の実力を信頼しての挨拶ってやつだ」

「そいつはどうも。ただ、これ以上やるんだったら――」

全王ておっ!」


 剣呑な雰囲気を引き裂くように、甲高い悲鳴のような叫びが響いた。

 狩神が視線を投げる先で、震える身体を自ら抱きかかえるようにしていた州欧が、けれどその視線を逸らすことなく叫んだ名前の主へと一途に向けて続ける。


「……なに、やってるの」


 困惑と、激怒と、悲憤と。

 入り交じった感情を察するには余りに容易い悲痛を浮かべた州欧の声音は痛哭つうこくで、だからこそ、名前を呼ばれた野蛮とて、その声を無碍むげにはできず。


「……ああ、なんだ、いたのか、お前」


 統道が、声の主へと振り向いた。

 教室の最前列で食事を楽しんでいたのだからまず始めに目に入るはずの州欧を、ようやく認知したかのように。


「急に黒乃くんを襲って、どういうつもり? 彼があの刃を止められなかったら、どうするつもりだったの」

「そもそも誰も曲芸をやれなんて言ってねェし、寸止めしたんだから仮定の話なんざ意味ねぇだろ。つうか、どういうつもりってか。単に虫唾が走っただけだっつーの」

「なんで、そんな風に、なってしまったの……?」

「お前がそれを言うのか? この俺を見限った、お前が」

「それ、は……」


 突き返された感情に、州欧が竦んで喉を震わせる。


「まァ、仕方ねェのも理解してるぜ? 一切躓くことなんてなくて、次席で入学するほどに神格の発現率もあがって、そうやってトントン拍子に一躍エリートの仲間入りをした弥生が、俺の苦悩なんて分かるわけねェもんなァ」

「そ、そんな、こと、は……」


 そんなことはない――そう続けようとした口唇は、しかし言葉を紡ぐことはなかった。


 いまだって、こうして馬鹿げた行為を止めようと、声を震わせ身体を竦ませ、それでも制止をするために一声をあげた。その行為を見限りと紐付けることなんてできやしないはずなのに。……どうして、はっきりと否定できないのか。


 静かに戦況を見守っていた、名前だって知らなかった同学年の女子に一瞬だけ目を向けてしまうと、自覚せざるを得なかった。


 統道の隣。あの場所から州欧が降りたのは、いつの頃だったろう。

 ただ一つ間違いないことは。見限った、見限られた――そう、統道が受け止めるには十分なほどの月日が流れているのは間違いなくて。


「…………つまんねェ。興が削がれた」


 つまらない顔をして統道が電気を帯びた剣を下げる。

 教室を出て行く統道と、置いて行かれないようその背中を追う薬師。


「待て。薬師、って言ったな」

「…………」


 狩神の声を受け、ドアを踏み越える寸前、薬師がぴたりと立ち止まった。

 振り向き、狩神に向けた瞳の飄々ひょうひょうは凍てつく冷気を彷彿ほうふつとさせる。


「統道のことで話がある」

「……なら、今日の放課後、化学準備室に来て。そこにいるわ」


 端的にそう言い残し、薬師は今度こそ教室を出て行った。


「…………とりあえず方々に連絡だけはしておかねぇとか。それと……」


 目線を下げた先、動脈でもすっぱり切れたのか、まだまだ噴き出してくる命の源泉が机上と真っ新な白色のタイルを穢して止まない。


「わ、私が、応急処置を。神格、開放」


 冷静さを取り戻したのか、州欧が確かな足取りで狩神の側まで駆け寄りながら神格を開放すると、薄青色の膜が彼女の掌を覆った。


 そして、その手で狩神の両手をぎゅっと握る。


「っ……」

「ちょっと染みるけれど、少しだけ我慢して」


 神へ黙祷を捧げるように両目を瞑ると、その真摯に呼応するかのように彼女を取り巻く水流が狩神の両手を包み込んだ。


 ややあって、ほんの少し艶めかしい吐息と共に州欧が狩神の手を離す。


「……んっ、ふぅ……」

「……治癒、か。聞き及んではいたが、実感してみるとこいつは確かに異能っつーよりも魔法だな」


 流血は完全に止まり、鋭利に割かれたはずの血管や皮膚も、見れば一つの傷跡もない。


「魔法だなんて言われる、ほどのことでは、ないから。それと……ごめん、なさい」


 謝罪の意図が掴めず一瞬戸惑う狩神に、州欧がはっとした顔で反応し、恐縮した様子で続ける。


「全王の、こと」

「ああ……」


 互いにファーストネームで呼び合う仲。けれど敵対するような間柄。


「でも、だからって、州欧が謝ることじゃない」

「けれど、そういう気分、なの」


 その、ぎくしゃくした関係になにも思うところのない狩神ではなかったが。


「おい、黒乃! 他のクラスの生徒に襲われたと聞いたが大丈夫か!?」


 教室へ飛び込んできた教師が慌てた様子で駆け寄ってきた。

 狩神の知らぬ間に楯奈が呼びに出ていたようで、騒ぎを聞きつけた野次馬や、午後の授業のために戻ってきたクラスメイトが続々とやってきては騒ぎ立てる。


「とりあえず事情を知りたい。教員室に来れるか」

「…………拒否権はなさそうだな」


 面倒なことになりそうだ、と狩神は項垂れながら渋々と席を立つ。

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