美学 - 2


 できる人間の仕事は早い。加えて、精度も高い。


『鼠を引っかける段取りを送っておく。法秤さんと共有するように。あと、基本的な情報収集や場荒らしはこっちに一任してくれ。素人に引っかき回されるとたまったもんじゃないからね』


 そんな枕詞が綴られたメールには、事細かな段取りが羅列されていた。


「やべぇな……これ」


 狩神は唸る。

 びっしりと書かれた作戦要綱は、簡潔で要領よくまとまっていながらも漏れ抜けはなく、狩神が曖昧に思い描いていた手順のとおり、それが明瞭にまとまっている。


 いずれの項目も三十字以内で箇条書きされれているあたりに、この要項が最終的にどこ知念ほむらまで共有されるかも把握していることが窺える。


『御用達だけあって、確かにこれなら炙り出しはできそうね。他の高校でも展開できるのなら、あれだけ支払った甲斐はあったわ。ま、プロだから当然ではあるんだけど』


 モニター越しに珈琲を啜る法秤も満足げな声だ。


「俺も掲示板の様子は逐次確認する。なるほど、違うアドレスを使って掲示板にそれとなく情報を仕込ませて学生たちの興味関心を引くってのは一理あるな」


 ――手早く強くなるにはどうしたらいい? 手段は問わない。

 ――今年の新入生の中に、発現助長剤を使用している奴がいるらしい。


 水面に放る小さなつぶてのように。

 枯葉の束に放る微かな火種のように。

 多数のアドレスとアカウントを取得した朱鷺峰が仕込みを入れていく。


 まるで機関銃のごとく投下されていく数多のコメント。

 嘲笑、扇動、否定、疑問、興味、関心、応答、詰問、当惑、追求……そのどれもが朱鷺峰の自作自演だ。


 小さな波紋であれば、誰も気にはしない。意にも止めない。

 音もなく、視界にも入らなければ濁流に呑まれて消えるだけのさざめきは、

 けれど、長い時間を掛ければやがて無視のできない波紋となっていく。


 ましてそれが喧伝喧伝となれば。

 まことしやかにささやかれる噂であれば。

 根も歯も断たぬ街談巷説がいだんこうせつや拠り所などまるでないに等しい道聴塗説どうちょうとぜつが、眼前を行進しているとなれば。


 火のないところに煙は立たず、人事を言わばむしろを敷けと語られるように。

 好奇心旺盛な高校生を煽り立てるには十分だった。


※※※


『ヒット』


 相談から五日日後の昼休み。


 大多数が学食へと出払ってしまった教室で一人菓子パンにかじり付きながら株価チャートのごとく眼前を流れる掲示板への書き込みを凝視していた狩神は、二次元ホログラムの右下にポップアップしたコメントを一瞥いちべつする。


『流石は昼休み。掲示板にぞろぞろ人が押し寄せるようになったね。こっからアドレスを引っこ抜いて、怪しいアカウントを探ってみる』


 まるで探偵のようなコメントをする朱鷺峰は、ブラフの投稿と共に情報の抜き取りをはじめる。狩神も濁流だくりゅうのように流れていく書き込みを眺めながら、怪しいものを次々とピックアップしていく。


 朱鷺峰が操作するアカウントはあらかじめ教わっているため、それを除外しながら抽出していくだけではあるが……。


「……しかしこれは、思ったよりも地味な作業だな」


 前面に展開される透過とうかスクリーン上の書き込みを凝視しながら狩神はぼやく。

 退屈さを感じることは苦手だった。身体を動かさない割に神経ばかりを研ぎ澄ますようなものは、特に。



「あんた、一体なにやってるわけ?」

「……ああ、これはちょっとした調査をだな……――って!?」


 掲示板に集中するあまり、背後から近づいてきた人影にまったく気付かなかった狩神は驚いて腰を浮かせた。


 その拍子で腰を机にぶつける。

 置いてあった紙コップが倒れ、飲み残していた珈琲がこぼれた。


「うわっ、いや、まじかよっ」

「あーあー、ほんとなにやってんだか……、ポケットティッシュ貸したげる」

「お、おう……サンキューな」


 こぼれた珈琲をティッシュで拭き取り、菓子パンを買ったついでに貰ったビニール袋に詰め込んだ狩神は、話しかけてきた邪魔者をきつくめ付ける。


「もうちっと存在感だしてくれよ、不破。びっくりするじゃねぇか」

「あんたがわけわかんないことに没頭してたからじゃないの? モニター見つめてなにやってたかは知らないけどさ」

「……見たのか?」


 不意に冷徹を帯びた声音。

 不破はそこに微かな畏怖を感じ、すぐさま首を振る。


「見てないわよ。文字列がびっしり並んであったのは見えたけれど、それだけ。あんな細かい文字を読み取るなんて、それこそさっきのあんたみたいに目を皿にしないと無理よ」

「……ならいい」


 ほっと一息つく狩神に、今度は不破がいぶかしげな目を向ける。


「それで……あんた、毎日なにやってるの。ロクに授業も聞かない、特別クラスに入る素振りもない、かと思えば数日前からは四六時中透過モニターばっかり見てる。友達を作る気もなさそうだし……そんなんで高校、楽しい?」


 不破の声には、険が混じっていた。

 だから、狩神は戸惑った。


「……不破には、俺がどう見えるんだ」

「なに、案外そういうの気にするタイプ?」

「……いや。ただ単に聞いてみただけだ。楽しいかどうかなんて、いままで誰かに聞かれたことすらなかったからな」

「まるで友達がいたことないような台詞ね」

「…………まぁ、その通りだけどな」


 物心がついたときから、圧倒的に他人と違っていた。

 そのせいで、友達などできるはずもなかった。


 理由は至極単純で、だからこそあまりにも残酷。

 同年代の神格保有者たちからも異物扱いされるほど、あまりにも強すぎたから。

 ただそれだけで、集団の輪から弾かれるには十分だった。


 手の届く範囲の世界なんてこの程度なのだと知って生きてきた。

『抑止力』になってその世界は拡大する一方だったが、睥睨する存在の桁数が増えただけだった。

 そんな立場の、若輩じゃくはいながら次元の違う強さを飼っている狩神が、友達を作るメリットを想い浮かべるなど到底不可能だった。



 足手纏い。役立たず。能なし。

 そんなものとつるんで、なにが楽しい。

 人生が豊かになるなど馬鹿馬鹿しい。



 まして狩神が本来身を置くのは闇と悪意の只中ただなかだ。人生が楽しいか否か、なんてふざけた問いなんて、冗談でも口にはできない。


 狂気の沙汰に身を浸さねば愉悦など感じる余裕もないほどに張り詰めた、人の悪意が巣くう場所では、とても。


「まさか、本当に?」


 狩神の生い立ちなど知るよしもない不破が目を丸くする。そして、少しだけ鼻白はなじろんだ。


 結論だけを知れば、その反応も道理だろう。

 狩神はそう解釈して、補足することすら面倒に感じ、取り合わない。


「そっちから聞いてきたくせに、なに驚いてんだよ。で、呆れ果てて俺の質問に答える気が失せたか」

「どう見えるか、ってことだったわね。まさに死んだ魚のような眼差しをしているわ」

「そいつはまた随分と酷いたとえだ!?」

「鏡でも貸してあげましょうか?」

「遠慮しておく……どうせ目の下に酷い隈ができているくらいは流石に分かってるからな」

「初日の覇気はきもいまとなっては欠片もないわね」


 ふ、と笑みを零す不破に、狩神は流し目を向ける。


「……憐憫れんびんの押し売りは願い下げだ。つうか、なんで俺に絡んでくる。さては不破もひとりぼっちか。そいつは可哀想なこった」

「一緒にしないでくれる。今日はたまたま、弥生と教室で食べることにしていただけよ。購買から帰ってくるのを待ってるの」

「……そいつは安心した。見た目通りにプライドが高そうだからな。心配していたんだ」

「心にもなさそうな言葉をどうも。本心では、赤の他人の人間関係なんて至極どうでもいいと、そう思っているようにしか見えないけれど」


 的を得た返し文句に、思わず鼻で笑ってしまう狩神。

 どうやら人を見る目は確からしい。

 興味がないのは本当だ。ただ、もっと大きな点が欠けている。


「……むしろ、自分の人間関係がそれに当てはまるがな」

「なんて寂しい人」


 なるほど、孤独とは寂寥せきりょうそのものだ。


 自らの周囲にはなにもない。守るべき人も、守りたいと思う人すらも。


 そいつは当然だろう。

 足手纏い、役立たず、能なし――そうやって隣人を篩を掛けてきたその結果がこれだ。


 とはいえ、ここまで他人に同情されるとも想像だにしなかった。


「寂しさ余った兎のように死ぬわけでもねぇんだ。放っておけばいいだろうに」

「拘っているつもりはないけれど。少なくとも、あたしはあんたを特別視しようとは思わないし、しゃくだけれど、あたし自身のことを教えてくれた、その恩もある」

「……あんな情報、いずれ授業で習うだろ。少し早いかそうでないかの違いだ。感謝されるいわれもないし、却って迷惑だ」

「そういえば、恩義を感じている人がどうしてもって言うから、神宮高校に入学したって言っていたわよね」

「なんだ、藪から棒に」


 不自然に割って入ってきた問いは、けれど不破にとっては重要なことだったのだろう。怪訝な顔を浮かべた狩神に対してはっきりと示す呆れた表情。


 圧倒的な強さ故に、これまでは不自由なく生きてきたのだろうけれど。

 それにしたって欠けているものは客観的にみても決定的に明らかで。


「いえ……、その人の気持ちがなんとなく理解できたってだけよ……」


 狩神の保護者が神格省のトップを張っている美麗な女性だったり、現代科学を思いのままにする妙齢の学長であることは不破の知るところではないが、その気苦労や憂慮ゆうりょは想像に難くないのだった。


「それはそうと。学内新聞、見たわよ」

「ああ、アレか」


 朱鷺峰が発行する新聞が学内に出回ったのは今朝のこと。電子媒体で在学生全員に一斉配信される大容量のそれは、月一回の発行とあってかなりの文量を誇る代物だ。


 そこには先日、狩神が朱鷺峰から受けたインタビューの内容も掲載されている。誌面全体で百頁超もあるうちの五頁にも満たない、ほんの数%程度のそれ。

 更に半分は写真でで埋め尽くされるので、大した字数が掲載されているわけでもないが、その分、やはり記憶にこびりつくような言葉が踊っている。


「本気を出すのは弱者の証だとか、同級生とは経験値が違うとか、自分を倒せたら大したもんだとか……、あんた、どれだけ喧嘩を売れば気が済むの」

「俺は当然のことを言ったまでだ。それを喧嘩の安売りと勘違いされても困る。それにいまは対応しようもねぇし」


 神格を開放して暴れるためにはコロシアムのような専用のスペースが必須だ。

 だが、戦場や不破との模擬戦で粉々に破砕された学内コロシアムは、業者の手によって修復されている最中。


 修繕完了までの間、演習は外苑にあるグラウンドで行われることとなり、ともなれば観客席を用意するなど到底不可能。

 見世物として必要な要素を欠いた模擬戦を実施することに意味はなく、よって狩神は模擬戦の受付を一時的に中断している。


「それでも模擬戦やろうって声を掛けてくるやつは減らないけどな。戦場なんか毎日のように申請してくる始末だ。呆れてものも言えないが、あれはやっぱり馬鹿……なんだろうな。たた数日で強くなれるわけがねぇってのによ」

「自分より強い同級生に出会えたのが嬉しいんじゃないかしら」

「……勘弁してくれ」


 仮に喧嘩っ早くてマゾヒスティックなのだとしたら救いようがないな、と狩神は嘆息する。


「コロシアムがしばらく復旧しないのは、あんたにとってはありがたい限りってことか」

「模擬戦ができるようになったところで模擬戦を再開するとも限らねぇけどな」

「あら、そうなんだ」

「色々やることあって忙しいんだよ」


 発現助長剤の製造元が潜んでいる可能性を潰すまでは。あるいは、網に掛けて捕縛するまでは。

 こうしている間にも増える被害者や犯罪者のことを考えると、どうして自分はこうも温い平和に浸っているのだろうかと自己嫌悪すら覚えてしまう。


「……友達を作る暇すらないくらいなのね」

「別に、できなくてもいいと思っているからな。馴れ合ったところで強くなるわけじゃない。幸せになれるわけでもないだろ?」

「…………その人生、やっぱり楽しくなさそうね」


 なにが黒乃くんにとって幸せなのかは知らないけれど、と冷笑を零す不破に。


「俺を怒らせるゲームでもやってるのは、不破は」


 間髪を置かずに狩神はそう投げかけた。


「そ、そんな悪趣味はないわよっ! せっかく、心配してあげてるってのに」

「……そいつは本気か?」


 そんな馬鹿な、と半分呆れ、半分嘲るような笑みで問うと、不破は眉を釣り上げた。


「なっ……、なによその顔!」

「……いや、友達を思いやるんだったら少しは態度に気をつけたほうがいいぞ」

「あんたにだけは言われたくないっての!」

「――なんか、お取り込み中、だった?」


 部屋一杯に響く声。その音域に割り込むように微かに聞こえた小さなソプラノは恐縮しきった様子で、けれど躊躇ちゅうちょすることなく二人の会話に飛び込んでくる。


「……ああ、ようやくきたのか。待ちくたびれた」

「え、え? あの、私、黒乃くんとなにか、約束して……ましたっけ?」


 困惑の表情を浮かべる州欧に、狩神は頬を緩ませる。


「いんや。ようやく子守のバトンタッチができると、そう思ってな」

「誰が子供ですって!?」

「その態度がもう既にアウトだろ……」

「まぁまぁ、楯奈。落ち着いて」


 狩神の言葉に過敏に反応した不破を宥める州欧。


「待たせちゃってごめん。ご飯食べよう? お腹、減っちゃったし。ね?」

「む、むぅ……弥生がそう言うなら。今日のところはこのあたりにしておいてあげるわっ!」

「どうも。そいつはありがたい」

「不破くんも、楯奈の相手、ありがとね。楯奈も、ちょっとは不破くんのこと、気にかけてるってことは、理解してもらえるとありがたい、かな」

「……まぁ、気持ちだけは受け取っておく」


 自分たちの席へと戻っていく二人の背中にぼそりと呟いて、狩神は緊急避難で閉じていたスクリーンを立ち上げようした矢先、




「黒乃って野郎はいるかァ?」


 唐突に開け放たれた教室のドアをくぐって、一組の男女が入ってくる。


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