vs. 不破 - 4


「……おや、話は終わったのかい?」

「ん?」


 再び声がして顔を上げると、見知った顔があった。

 艶やかな黒髪を腰元まで伸ばしたスーツ姿の女性が対面に腰掛ける。


「どうやら今日はモテ日のようだな、俺」

「こんなおばさんを対象に入れてくれるとは、中々どうして世辞ができるじゃないか」

「……年齢不詳なくせに女子高生も顔負けの若さを引っ提げてこられたらコスプレにしかみえねぇんですよ、知念さん」


 半世紀は生きているはずなのだが、若返りの妙薬を服用しているだの新薬臨床実験の被検体として投薬されすぎた影響だのと噂が絶えない魔性ましょうの科学者――知念ちねんほむらがけらけらと笑う。


 仕草は時々年相応なのだが、それすらコスプレもとい放映中アニメのキャラクターの真似事なのだと言われればそう思ってしまうほどに外見が若い。


「つうか学長のくせになんで昨日は入学式いなかったんすか」

「神格省の新人社員の入省式を優先せざるを得ないからな。いつもはずらしてもらうんだが、今年はどうにも調整できなくてな」

「そういうことですか……」


 神格開放剤を開発・製造している知念ちねん製薬の会長であり、神格じんかく省の大臣であり、都立神宮高校の学長であり、世界に名を残す科学者であり、どころかノーベル化学賞の受賞者でもあり。


 その肩書きすべてを書き記すにはA4ノート片面では収まりきらないとも言われる超人だ。


 多忙を極める彼女との商談はエレベータートークならぬ三十文字トークを厳守せよとのお告げは業界人にとっては常識。

 神宮高校にあっては月5日程度しか学長室にいない、などと噂されるほどである。


 そして、どうやら今日はその一日らしい。


「省庁への挨拶は終わったし、会社のほうは明日が入社式だから、こうして朝からゆっくりできる暇ができてね。折角だし今日くらいは将来有望な学生たちをしかとこの目に焼き付けておこうと思った次第だ」

「だったら顔見知りの俺と会話してる場合じゃないでしょ。その気になればいつでも通話できるんだし」

「それはそうなんだけどね……食堂だったら皆と会えると踏んでいたんだけどなぁ」


 頬杖をついてしょんぼりした顔をする知念ほむら。


「来るのが早いんすよ。俺が一番乗りで不破が二番。どうせ高校生なんか大半は朝飯抜くだろうし、その期待は的が外れまくってます」

「そ、そうだったのか……。いやしかし、それは健康によくないな……。とまぁ、雑談はこのあたりにしておいて、早速だけど本題に移ろうか」

「……………………」


 本題。

 すなわち、上司と部下の間柄に関わる事項であり、役人のトップから『抑止力』という名の雇われ人への情報提供、あるいは業務命令である。


「…………法秤ほうじょうさん伝手でもよかったんじゃないんです?」

「事態が動いたから彼女は徹夜で仕事にかかりきりだ。例の薬物の件で動きがあってね。散々煮え湯を飲まされてきたが、ようやく一歩前進ができそうだ」


 狩神が眉をひそめた。


「……発現助長剤の大本が分かったんすか!?」

「どうやら開発者はきみと同年代らしい。やもすると、この学校に本人がいるかもしれないということを意味する」

「は……? 俺と、同年代、だって?」

「あり得ない話じゃあないと思うけれどね。現に、狩神くんのよう年端もいかない頃から武芸に優れた神格保持者がいるのだから、頭脳明晰な神格保有者が存在することだって何ら不思議なことじゃないもの」


 ま、そういうことはさておき、と知念ほむらが続ける。


「はてさて、どうしたものかと思ってね。狩神くん、いいアイデアないかしら?」

「…………俺、法秤さんから業務停止命令を受けてるんすけど」

「事情が変わったんだから仕方ないわよね。『抑止力』としてあなたを雇用継続しておいて正解だったわ。私の慧眼けいがんもまだ衰え知らずといったところかしら」


 自画自賛とばかりに神妙な面持ちで頷きながら紙カップに注がれた珈琲を啜る知念ほむらに、狩神は不躾な目線を投げる。


「軽く炙るくらいなら、まぁ。知念さんの命令で昨日あれだけふっかけたおかげか今日は新聞部のインタビューがありますし、それが利用できそうです。ああそれと、この学校、裏サイトもあるみたいなんで、そっちで聞いてもいいっすけど」

「それじゃあまずはその方向でいこう。高校生があんな薬物作っちゃってるのは大人として放っておけないし、なによりこの神宮高校に在籍なんかしていたら早々に摘まみ出しておかないといずれ大変なことになるもの」

「メンツ、丸潰れですもんね」

「その責任を取って息抜きできる場所から追い出される、なんてのは御免よ。ここは私にとって最後の楽園。妙に小賢しい官僚もいなければ成果を出さない高給取りの社員もいない。国家試験を勝ち抜いてきた純朴で熱意溢れる職員と華々しい将来を夢見る若人たちしかいない、まさしく私のための天国なんだもの。手放せるわけがない」


 どうやら学長としての仕事は、知念ほむらにとっては大した負担ではないらしかった。


 新入生の募集をしなくとも毎年のように入試倍率は五倍を超えるため人材には苦慮しないし、なにより知念ほむらへ便宜を図るために予算組みされた東京都からの潤沢な助成金と大臣本人による指示のもとで神格省が交付する特別補助金によって金策とは無縁という事情も関係しているのだが、一介の高校生でしかない狩神にそんな腹黒い大人の事情は知りようもない。


「在籍しつつ調査しろってのが神格省からの正式な依頼ってことでいいんですね」

「仮になにもなければそれはそれで結構。鼠がいるなら公共の場所に姿を現す前にどうにかして欲しいところね。報酬は弾むわ」

「了解です」

「そうそう、くれぐれも『抑止力』であることをばれないように学生をしなさいね。万一ここに鼠がいたら逃げちゃうから」

「それくらい分かってますよ。それじゃあ、また」



※※※



 席を立った狩神の姿を見えなくなるまで見送って、知念ほむらは左腕に巻かれた銀縁の腕時計式デバイスを数度タップしてモニターを立ち上げる。


 時刻は午前の七時前。始業時刻にはまだ早いが、モニター越しの彼女にとっては深夜三一時を迎える、といった頃合いか。二度目の眠気のピークをどうにかやり過ごしているに違いなく。


「起きてるかい? 法秤ちゃん」


 モニターは反応すれど、立ち上る湯気のせいでその姿は見えない。きゅ、きゅ、と濡れたタイルを弱々しく踏みつける足音がスピーカー越しに小さく響いた。見える裸体は湯気のおかげで所々が隠れている。高校生には朝一番から少々刺激の強い光景だが、幸いにも食堂は無人だ。


『シャワー中です。シュージンくんへの連絡、お手数をお掛けしました。本来ならば私がすべきことだったのですが、うまいこと時間が取れず。お手数を煩わせました』

「むしろ久しぶりに面と向かって挨拶できたからいい機会だったさ。じじぃどもの加齢臭と煙草、体内で発酵したどぶ臭いアルコールに囲まれていた昨日までと比べて、なんと清々しい空気だこと。面倒とは思いながらも学長を引き受けて良かったと心底思ってるくらいだ。痴呆も間近の老体の世話ばかりが続いていて、そろそろ未成年と戯れる機会も欲しいと切実に願っていたところだし、ついでの伝言程度、どうってことはないさ」

『……そう言っていただけでなによりです。それで昨日逮捕した神格保有者ですが――』

「おっと、そいつは流石に学食ここではNGだ。場所を変えるから待っていてくれ。それと、情報は狩神くんにも転送をしておいて」

『それでは大臣が学長室に戻るまで、狩神くんへの連絡を先に済ませておきます』

「通話、一旦落とすよ。また5分後に」


 デバイスに表示された終了ボタンをタップし、通話を切る。


 狩神と入れ替わりで早起きな学生がちらほらと学食へ入ってくる姿を横目に、少しだけ名残惜しさを感じつつ知念ほむらもまた学食を後にする。


「いやはや、どうやら世界はまだまだこの老いぼれを休ませてはくれないみたいね……。さて、と。今日もやることやりますか」


 法秤以上に疲労の窺える知念ほむらの愚痴はしかし、誰も聞き届けてはくれない。

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