vs. 不破 - 3
「…………昨日はお疲れ」
「………………………………」
「なぁ、機嫌直せって」
「……………………………………………………ふんっ」
入学二日目の朝。
神宮高校の大食堂で
彼女の手元には
歩み寄って来られた以上、無視するわけにもいかず挨拶がてら声を掛けたのだが、おはようの一言すら返してくれない。人間としての基礎ができていなわけではなく、狩神が人間として扱われていないと解釈すべきだろう。
朝の六時過ぎとあって、ほとんど学生もいない疎らな食堂は席を選び放題だ。会話する気がないのなら遠くに座ればいいのに、と思うのだが。
反応を見るに、どうやらかなり嫌われたらしい。いっそ
狩神は、居心地の悪さに耐えかねて席を立った。
「……待ちなさい」
「えぇ……」
狩神は持ち上げたお盆をテーブルに戻し、わざとらしく溜息を零して座り直す。
「ようやく会話する気になった?」
「昨日のあれ、どういうことだったの」
「……というと?」
「あんなもので、このあたしが戦意喪失するなんておかしいに決まってるじゃない! ただの小麦粉を溶かした水ですって? どうせ発性の原料でも混ぜ込んでいたんでしょう!? それなら成分を分析したところでバレやしないものねっ!?」
大人しく朝食を嗜んでいたかと思えば、唐突に声を荒げ肩をわなわなと震わせる不破。
「どーどー、落ち着けよ……朝から血圧上がっちまうのは健康に良くないぞ?」
「話を逸らさないで
「そいつは……すまん」
そいつは流石に想定外だった。
タイトルまでなんとなく想像できてしまい、狩神は素直に頭を下げる。掲示板は潰せても画像の抹消までは不可能だし、流石に同情する他ない。その原因を作ったのは誰か、と
「あれは一体全体どういうことなのよ! 納得いかないわ!」
「……いや、種明かしをすると拍子抜けするかもしれないけど……それでもいいのか?」
「どうせロクなもんじゃないってことくらいは分かっているけどね」
「遅かれ早かれ知ることだろうがな……、白く濁った液体が弱点だぞ、お前」
「………………………………………………………………………………………………」
呆れた視線が突き刺さる。
「いやいや! だから前もって言っておいたよな? 拍子抜けするって!」
「そういうことではなくって! あれが弱点って、どういうことって聞いてるのよ!?」
「だから落ち着け! そんな
テーブル越しに胸ぐらを捕まれ揺すられる狩神の指摘で、不破は我に返ったかのようにさっと手を引っ込めて咳払いをした。
「……ど、動揺してるわけじゃ、ないから」
「そんな取り繕ったっていまさらだぞ」
「少しは私の気持ちくらい慮りなさいよ!」
「あるがままを指摘しただけじゃねぇか」
「あんたほんとムカツクわね」
「そいつはお互い様だろーよ。こっちこそ朝一番から不機嫌と不満をぶつけられてテンションはだだ下がりだっつぅの」
「どうやら自覚はあるようだけど、一言多い部分も含めてダメ男なのね」
白い目で対応をする他なかった。どの口がいうのやら。
ああいえばこう言うとはこのことか、と狩神はげんなりする。
「あ、そ。まぁ、そういうことにしておいてやるよ……。そんで弱点の話だったな。周囲に誰もいないからここでもいいか?」
「さっさと教えて頂戴」
「人に教えを請う態度じゃねぇ……」
「昨日あれだけ女子に恥をかかせた男の台詞なの、それ」
狩神は頭痛がする思いで眉間の皺を深めた。
これ以上は本当に無益な言い争いになると悟り、
「……こほん。さて」」
咳払いを一つ挟んだ狩神は、不破の神格について大雑把にさらうことにする。
「それじゃあまずは基本からだな。戦神アテナ。ギリシャ神話に出てくる神の中でも知名度は折り紙付きだろう。強キャラだけど最強じゃねぇってあたりの具合もあってか。今じゃあ神話をモチーフにしたゲームじゃあ引っ張りだこだ。事実、オリュンポス十二神のなかでもその強さは、産みの親であるゼウスに次ぐ……、とも言われているな。神格開放時には必ずと言っていいほどエイジスの盾を装備し、その守備力は確かに神話にまごう事なき無敵を誇ると言っても過言じゃない。まぁ、確かに神格がばれた程度ではどうってことないようにも思える」
知名度も相まって人気も高く、俗的な表現をすれば、神格のなかでは『大当たり』とも言われる一柱だ。戦好きなだけあり気高いが本能に流されず理性的な側面もあり、故に叡智や知略を司る神でもある。
それこそ数十年前には相当多数の神格保有者がアテナの神格を宿していた。そしてまたこれも因果なのか傾向なのか、保有者の大半は女性であり、優秀な女性の神格保有者は理不尽な悪意や敵意から弱者を守るために世界各地で活躍していたのだ。
「これと言った弱点はないはずよ。ギリシャ神話じゃ下手を打った場面なんてないもの」
「……不破は、アテナが戦の神である以外になにを象徴しているか自覚してるか?」
「もちろんよ」
狩神の問いに、不破は得意げに頷いてみせる。
「
純血とはすなわち処女性であり、潔癖であり、純潔であり、清純を意味する。
「……あと一歩、発想が足りない」
「どういうこと?」
「絶対の処女性を誇るということは、
「あっ…………」
それこそが、強さの裏返し。最大の弱点。
アテナが純潔を穢された話は神話においても有名だ。
唯一の汚点であり、致命的な欠点。
「実戦となればあんな弱点を突かれることなんざそうそうないが、弱体化には最も気を払わねぇとなんねぇのは揺るがない事実だな」
「…………っ」
盲点だったとばかりに虚を突かれた不破は、言葉もない様子だ。
「仮に不破があの液体を浴びる前に俺が種明かしをしていたら、ああまで力が抜けることはなかったろうし、あの無様を晒した試合を避けられたかもしれないがな」
「無様は余計よ!」
「自分の弱点を知らねぇやつが
「ぐっ…………」
渋面を浮かべる不破だが、正論を前に言葉はない。
神格によって得られる力は、保有者本人の認知そのものに大きく左右される。
例えば、狩神にとって半ばアウェイだったあの空気を依代に、不破が狩神を『自らに敵対する悪』と認識したのと同じように。
小麦粉を溶かした液体を『純潔と神聖を蹂躙する穢れ』と一瞬でも認めてしまえば、それはまさしくアテナを神格として宿す不破の肉体と精神を汚染するのは必然だったのだ。
まして多感な思春期であれば、その認知一つで戦意を喪失することは珍しくない。
「神格発現率を限界まで上げていくほど、弱点に対する感応度も上がっちまうからな。アテナの純血性は他の神とは比べものにならないから、穢れに対する克服ができずに挫折する神格保有者も多い。弱体化そのものがトラウマになって、特にこの時期は顕著だな。挫折していく奴なんか両手で収まりきらないほど知ってる」
「だから、なのね。大人になると、アテナの神格を宿した女性が極端に少なくなるのは」
不破は得心した顔で視線を落とした。
結婚や出産、ライフステージの変化に伴う幸せの考え方の変化なのだと。見方によってはそう感じ、発信することもできるだろう。
けれどその実態は、純潔や処女性の喪失に伴う神格発現率の低下によるものである。
「まぁ、そればっかりはしょうがない。未だに解決策はねぇ」
純血を失えば、それだけ神格発現率は下がる。けれど、純血を保ち続けるのは容易なことではない。尋常ならざる膂力と神格の維持は、人間の根源的な三大欲求の一つを封殺し続けるという過酷な試練を課すに等しいのだから。
「こんな暗い話をするはずじゃなかったが……弱点ってのは、そういうことだ。まぁ、滅多なことじゃあ戦闘中に小麦粉を溶かした液体なんかに塗れることはねぇだろうが、これからはくれぐれも用心するんだな」
「……なんだか食欲が失せたわ」
「そっちが強引に話せって要求してきたんだからな。責任は取らねぇぞ」
「もったいないから、代わりに余った分を食べてちょうだい」
「……そいつは構わないが、いいのか? 本当に」
「ええ。あたしは部屋に戻るわ」
お椀に箸を置く不破。その器には半分ほど白米が残っている。焼き鮭も綺麗に半分。
金欠というわけではないが、宿す神格の影響で常人の倍以上のカロリー摂取が絶対の狩神にとってはありがたい限りだ。
「そういや、クラス分けみたか?」
「ええ」
「これからよろしく」
「…………」
挨拶もなく、不破が踵を返して離れていく。
「……普段からあんな調子なんかな、もしかして。低血圧か?」
相変わらずの無愛想を貫いて去って行く不破の後ろ姿を見送って、狩神は譲ってもらった朝食にありつく。
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