vs. 不破 - 2


「――が、はっ!?」


 衝撃がそのままクレーターを形成し、外壁にまで決壊が及ぶ。


「く、そが……まさか、こんな間抜けを晒す展開になるとは……」

「一人ごちるなんて余裕、なくってよ?」


 崩れた瓦礫の中を泳いで這い出た狩神しゅうじんの頬が、今度は揺らめく炎獄に肌をなぶられる。


 見上げると、眼前では紅蓮の海が揺蕩たゆたっていた。


「そこ、風下よ?」


 蜷局とぐろを巻いて獲物を求めるようにその身をくねらせる火炎流の行く先は、破砕された壁に空けられた風穴の外側以外に存在しえない。


「ちぃっ!?」


 狩神へと覆い被さるように、灼熱が指向性を伴って襲来する。


 コロシアムの中央で生まれ出づるは、不滅の特性により自爆した梟の特攻による副産物。一度触れたものを情け容赦なく灰燼かいじんに帰すそれを、狩神は大鎌の一振りで薙ぎ払い霧散させて第一波を退け、同時に真横へ転がることで辛うじて第二波から逃れる。


「驕っていたのは果たしてどっちだったのかしらね?」

「くそがっ…………」


 狩神は歯噛みして、観客席を見渡す。


 あの一瞬で失ったのは戦況だけではない。

 不破に対する圧倒的な優位性を手放した。


 それはつまり、観客席の心を不破に明け渡したことを意味し、

「うおおおおおおおおおおおおおおっ! いいぞぉっ、女子!」

「そのまま一気に潰してしまえ!」


 ギリシャ神話における戦神をモチーフとした神格に対して、大きな力を付与するに等しい結果を生み出すことに他ならない。


「そんないけ好かねぇ男なんかやっちまえ!」「小生意気な首席をぶっ潰しちまえ!」「ぼこぼこにして赤っ恥を掻かせろ!」


 いまや熱気の籠もったコロシアムを席巻せっけんするのは死神に対する恐怖や畏敬でなはく、不破へのエールと狩神への暴言だ。


 散々あおったその意趣返し。舐め腐った態度への罰。


 声援の一身に受けた不破が、手中に収めた槍の矛先を狩神へと突きつける。


 形勢逆転は、古今東西変わらず人々の心を捉えて放さない麻薬だ。

 それは神格保有者同士の模擬戦であったとしても変わりはない。


「あたし、戦神だからね。こういうのは得意なの。観客の歓声さえ味方につけてしまえば勝敗は決まったようなもの。この神格はあたしに刃向かってくるありとあらゆる存在を悪と捉え、それを払う力がある。まして、この場の空気は完全にこちら側に傾いたわ。それがなにを意味するかは……、さすがに分かるわよね」

「俺は概念として、お前に倒されるべき・・・・・・悪に成り果てたっつーわけかい」

「ご名答。故に、あたしにはあんたの攻撃の一切が通用しない。その大鎌は、この神聖なる身には傷一つ付けることさえできやしない代物になり下がったも同然。さて、これならどうかしら? まだ続ける?」


 不破は勝利を確信する。


 たとえここで白旗が挙がらなくとも問題はない。何故なら、この瞬間から、不破の誇る盾は対狩神において無敵となったからだ。

 有効な攻撃手段を失った以上、不破の敗北はなくなったも同然だ。


 形勢は圧倒的に有利であることは揺るがない。




 だというのに。



「なるほどなぁ。攻撃を耐え凌いで観客の興味を引きつけるのが戦法ってことかい。そいつはまた厄介なもんだ。まして鉄壁を誇るとなればこうなることまでお見通しだったってわけだよな」

「…………っ」


 不破の心に蟠るのは一抹の違和感だった。

 想定通り――あまりにも想定した通りに、戦況が運んでいる。


 故に、だ。


(なんで……、この状況で嗤っていられるわけ!?)


 大鎌を構えた狩神が微かに笑みを浮かべていることに気付いてしまう。


 一抹の不安は静かな水面に一石を投じた波紋のようにさざ波をたて、際限なく全身へ伝播でんぱしていく。盤石なはずの地盤が根底から一八〇度引っ繰り返ってしまう、そんな予感がどうしても拭えない。


(まさか、まだ秘策があるというの……)


 疑心、不安、懸念、恐怖、猜疑、そして悪寒。


 普段の、それこそ高校生道士程度の模擬戦であれば、そんなものは不要もいいところだろうが。



「ははっ――」


 ただ。


 この模擬戦においては、それらは全てが正しい警鐘だ。




「は、ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」


 紅蓮を湛える槍の先、哄笑こうしょうを堪えきれない狩神がゆらりと鎌首をもたげた。


「続けない理由があるか? そっちこそ忘れてるんじゃねぇのか!?」

「……はったりのつもり?」

「いいや? んなもん意味ねぇだろ。つうか俺、言ったよな? 遊んでやる・・・・・って」

「この期に及んでまだ勝算があるとでも?」

「……あるさ」


 その返答は、確信めいていた。


「むしろ、不破が神格を強めるほど俺の勝算は高まる。だからこうして掌でいいように転がる道化・・を演じてやったんだろうが。観客の声援で優越に浸るのは楽しいだろ? そいつを否定することは許さないぜ。神格に刻まれた感情が制御できるなら、俺を全力で蹴り飛ばしたあの瞬間、あんな下劣な笑みを零すわけがねぇからなっ!」

「っ!?」


「おまえの敗因は五つだ」

「ほ、ほざけっ……敗因、だと? この戦況においてなにを言い出すかと思えば、なんのつもりかは知らないが見苦しいぞ!」

「……よぉく聞いておくんだな」


 狩神が空いた左腕を突き出し、その指を立てながら愉悦の眼差しを向けて告げる。


「一つ、俺に一矢報いた程度で得意になったこと。

 二つ、戦力差も分からない相手を前に自分の絶対的な神格の強さに自惚れたこと。

 三つ、俺の強さを見誤ったこと。

 四つ、俺の相棒が戻ってくるまでに勝敗をつけることができなかったこと。


 そして――」


 五指を開いた左手を広げ、上空へと伸ばした。


「五つ。ド阿呆が。律儀にも、この話に耳を傾けたこと」

「……――!?」


 狩神の腕の動きに釣られ、仰ぎ見る。

 指摘されるまで気付けなかった。

 いつの間にか不破の真上を滑空していた一羽の黒い烏が、その嘴に咥えていた小袋を離した所だった。


 蒼い空を塗りつぶす白濁の液体が、視界一杯に広がる。

 不破は、不純なそれを連想してしまう。


 ――気色が悪い。


 嫌悪感と鳥肌が先だった。

 危機感は遅れてやってきて、回避が遅れた。


「い、いやあああああああああああああああああっ!」


 咄嗟にかわすことも叶わず白濁液を一身に浴びてしまった不破は、戦闘中であることすら忘れ、全身に塗れたそれを指先で触れる。


 その途端、

「う、あっ――!?」


 意識が溶けて消えていくような虚脱感が襲った。


 思春期特有の先入観があったからだろう。用心するべきという警鐘すら忘却させていた。

 触れるべきではなかった、などと後悔しても遅い。


 足腰に力が入らず、その場に頽れてしまう。段々と思考が鈍くなり、瞼が重くなっていく。立ち上がることすらできない。


 なぜ、どうして――酩酊めいていにも似た心地の中、そんな疑問だけが次々と浮かんでくる。


 原因が分からない。そんな薬があるなんて聞いたこともない。この神格に弱点などあるわけがなく、一層、疑問だけが深まっていく。


「効果は絶大だな……。後々、色々とフォローが必要になるだろうが、これだけは意識のあるいまのうちに伝えておくか」


 霞んだ視界の先で、白濁に塗れた身体を見下ろす人影が言う。


「そいつはただの小麦・・・・・を溶かした水だ。成分分析したらすぐに結果もでる」

 まさか。そんな馬鹿な。

「な……ん、で……っ」

「文句やら疑問やらは意識が回復したところで付き合ってやる。それと、この場はお前の燃料切れてことにしておくぞ。そのあたりの落としどころがお互いにとっては無難な結末だろうからな」

「くっ…………そ…………」

「不破さん、もう、戦闘続行は、無理そう、ですね」


 コロシアムに広がる地獄から遠ざかっていた州欧がやってきて、不破の意識レベルを確かめる。


――大丈夫、あたしはまだ、やれる。


 そう言葉にしようとして、けれど喉から舌先が動かなかった。


 嗚咽だけを漏らし、喘ぐように呼吸をする不破のバイタルを確認し、州欧は無情にも勝者の名を告げる。



 終わった――虚無感と共に、不破の意識が暗転した。

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